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1月7日(火) 七草 芹乃栄(せりすなわちさかう) 旧暦12月13日
冬木シリーズ2 朝、駐車場の出口に向かって歩いているとき、五メートルほど目の前を横切るひとがいる。 荷物をさげ深くうつむいて、こころここにあらずの様子。目は虚ろなれどもその視線は地球の奥深くをみつめているような様子だ。 そして、ハッとした。 よく知っている人であった。 背筋をのばし顔をあげたわたしは、その人の行く方向とは反対に歩いて行った。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り。 166頁 3句組。 著者の宮田應孝(みやた・まさたか)さんは、昭和7年(1932)東京生まれで現在は東京・世田谷区在住。平成10年(1998)NHK文化センター青山俳句教室にて小澤實に俳句を学び、平成12年(2000)「澤」創刊に参加。平成23年(2011)第11回「澤」潺潺賞受賞、平成24年(2012)「玉藻」入会、現在「澤」同人、「玉藻」同人、俳人協会会員。本句集は自註第1句集『新涼』につぐ第2句集。平成12年(2000)から平成30年(2018)までの370句を収録。序文は小澤實主宰、栞は「玉藻」の星野高士主宰が寄せている。 風船の溜りをるなり空の涯 はるかなる空の涯には、飛ばした風船が溜っているのだ、という意。若くして亡くなった人への鎮魂の意が籠る。無念の死を遂げた人へ風船を届けたいという思いが感じられる。 集中、次のような句も見受けられた。 流燈会 ジャングルに朽ちゆく兄や黒揚羽 兄の名に命(みこと)付けたり流燈会 兄の新盆幼きわれを「ポ」と呼びし 幼かった應孝さんを「ポ」という愛称を付けてかわいがった兄は、太平洋戦争の南方戦線のジャングルで戦死された。その兄への追悼の思いが一冊の底に色濃く流れていると見ていい。「空の涯」は深い奥行きのある題だ。 序文を紹介した。「空の涯」の命名の所以が書かれている。小澤主宰は、本句集の内容の多彩さに言葉を尽くし、その俳味などについても触れている。そして、 「一巻中もっとも好きだった句」として、 紀州髭白久賀寿(しろひげひさかず)氏より年賀状 紀州にお住いの「髭白久賀寿」氏から年賀状が来たというのだ。「髭白」が姓で「久賀寿」が名である。なんともめでたい。ご長寿の老人をイメージさせる名だが、こどもの頃からそうだったと思うと、微笑んでしまう。 地名「紀州」が乗って、和歌山の森深く住む福禄寿の神を思い浮かべさせるところがある。應孝さんに実際の名で、ゴルフ好きの紳士であるとうかがった。髭白久賀寿氏も本書の刊行を喜んでくださるだろう。 栞を寄せられた「玉藻」の星野高士氏は、宮田應孝さんの交友を中心に書いている。学習院大を卒業されている宮田應孝さんは、おなじく学習院大を卒業された星野主宰の先輩にあたり、また、虚子晩年の弟子・成瀬正俊(1930~2008)の親友でもあった。成瀬正俊といえば、犬山城主としても知られた方だ。そんな俳縁の不思議さを大切に思っておられる星野主宰である。「玉藻」においては、宮田さんは、「枕流」さんと名乗っておられる。 その後折々の句会で御一緒する機会も増えて来たが、枕流さんの俳句はどっしりと腰が据わったものがあるかと思うと、日常の眼前のものも難なく詠われるところもあり、自分で自分をうまく躱すことを心得ているからこその要領と、いろんな角度の俳句がこの句集にも見られるのだろうと思っている。(略) 第二句集ということであるか、未だ未だこれからの句も読んでみたくなってくるのは私だけであろうか。 そして私のもっとも好きな句をここに採り上げて読後感を楽しみたいと思っている。 屑鉄の山に屑鉄空つ風 背凭れに白きムートン立子の椅子 骨董店土間に木馬や春の暮 東京五輪ともに見ようと年賀状 掲示板隠す紫陽花ちよと剪りぬ 今後も良きご縁、良き俳縁をいつまでも続けていきましょう。 本句集の担当はPさんである。 花人に明るく雨の上りけり 爽やかに古稀のまら立つ朝かな 鰭酒にをんな寄り目となりにけり 放屁もて応ふる爺や冬籠 ごしごしとチェロ鳴らしをり熱帯夜 鰭酒にをんな寄り目となりにけり この一句、わたしも笑った一句だ。説明はいらない一句である。季語は「鰭酒」だ。身体が温まって香ばしく酒の甘さを引き立てて美味い。今年はまだ飲んでないな。ここに登場の女性がどうして寄り目となったのか分からないが、あまりの美味さにか、それであったらわかるなあ。これはきっと作者はその場にいてその様子を楽しく見ていたのだろう、それをすぐさま一句に仕立てた。人間は、いや、おんなはいろんな局面で「寄り目」をするかもしれないが、「鰭酒」で俳諧となった。 ごしごしとチェロ鳴らしをり熱帯夜 この一句については、小澤主宰も序文でとりあげている。「うまくないチェロの弦と弓の荒々しい接触が伝わる。ユーモアも味わえる。宮沢賢治の童話『セロ弾きのゴーシュ』に取材しているのだろう」と。わたしもこの一句を読んですぐさま「ゴーシュ」を思い浮かべた。下手くそなゴーシュが動物たちのキッカイな訪問のおかげで素晴らしい弾き手となるという話を、実は最近眠れないままに聞いた朗読で楽しんだばかりだった。しかし、ひょっとしたらこれは、宮田應孝さんの実体験かもしれない。ビオラの演奏を趣味とされる宮田さんが、お仲間との四重奏を演奏の練習のときにでも、経験したことか。熱帯夜がチェロの弾く音をすこし不格好に響かせる、そんな場面を一句に仕立てたのかも。「ごしごし」が暑苦しい。 女相撲横綱金歯秋祭 漢字ばかりの一句である。しかし、これも笑った。「金歯」が最高。秋祭りには「女相撲」が行われる地域もきっとあるのだろう。秋の澄んだ大気のなかで、優勝した横綱女力士の金歯が光る。 梅雨寒や遺灰にペースメーカーも 人の死に立ち会ったときの一句である。まさに焼かれた人間の遺灰を前にしたときの一句だ。焼け残されたペースメーカーが悲しい。死者の命をささえていたものだ。ともども焼かれ、それはそのまま形を残している。肉体は失われ灰となってしまったが、ペーズメーカーは死者の肉体から取り残されてそこにありつづける。「梅雨寒」がさらに気持ちを重たくやるせなくさせるのだ。 『空の涯』は私の第二句集に当ります。平成一二年から三〇年までの「澤」入選句の中から、小澤實先生に再選をお願いした三七〇句を収めています。句集名「空の涯」には、終戦の年、僅か二十一歳で戦没した次兄應信に対する鎮魂の意も籠めました。 俳句には中学生の頃から関心を持っていましたが、正式に勉強を始めたのは平成一〇年の夏︑NHK文化センターの小澤實先生の俳句教室に入門してからのことです。その後一二年には小澤先生の「澤」創立のことがあり、会員に加えて戴いてから今日まで十九年間、ひたすら先生の懇切なご指導を仰いで来ました。更に二四年には、ご縁を得て虚子直系の「玉藻」にも入会、俳句を学ぶ場が一段と拡がりました。今では俳句は私にとって第二の人生の最大の楽しみ、というより、最大の生き甲斐のひとつとなっています。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ほかに、 妻煎餅派われ羊羹派冬ごもり 配布資料三枚綴(とぢ)や団扇に代へ 門灯の守宮動かず人死んで 本句集の装幀は、山口デザイン事務所の山口信博さんと玉井一平さん。 シンプルであるが、すみずみまで神経のいきとどいたレイアウトは美しい。 大人の装幀である。 文字は凸版印刷である。 オフセット印刷ではない、文字の滲みがあり、なんとも言えない味がある。 カバーをはずす。 カバーと表紙は同じ用紙の色違い。 その手にざらつく手ざわりがいい。 黒メタル箔。 見返しと栞。 扉。 同じ用紙の色違い。 花布も栞紐もグレー カバーの金茶が印象的な一冊となった。 今回『空の涯』の句稿を開くと、作品の恰幅が格段に豊かになっていることに気付く。先に読んできたように應孝さんでなければ、なしえない句も多い。たしかな成長が読み取れるのだ。 (序文より。) 工場長室賞状あまたシクラメン この句も俳諧味たっぷりだ。 どこの工場長かは書かれていなくてもよくわかる。世の工場長を代表している。工場長さんってきっといつの時代も現場でがんばり苦労をされているから、その労をねぎらって賞状をいただくこともあるだろう。たくさんの賞状は工場長さんにぴったりだ。そこへもってきてシクラメンである。本当に絵にかいたように工場長さんの部屋が立ち上がってくる。シクラメンも工場長さんもたくさんの賞状の前で嬉しそうである。
by fragie777
| 2020-01-07 19:44
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