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12月11日(水) 旧暦11月15日
実南天。 今日は歩いて仕事場へ。 正直のところ、歩いたら仕事場までいったいどのくらいの時間がかかるのかわたしはこれまで意識して計ったことがなかった。 人から尋ねられたりすると、「ううんと、20分から30分くらいかな」などとそのときの気分で適当に答えていた。 今日は改めて計ってみた。 家をでたのがちょうど午前9時、途中で写真を撮ったり昼食用のおにぎりを買ったりして、仕事場についたのが9時28分、ほぼ30分はかかるということが分かった。 途中道草をせずおにぎりも買わなければ、たぶん所要時間は24分くらいかもしれない。 これを往復でやれば、一日のうち一時間弱は歩くことになる。 デスクワークの仕事であるから、いい距離かもしれない。 一週間のうち2日から3日は歩きたいものである。 断固としてこれを敢行すれば、やがてyamaokaはスラリとすることは間違いなし。である。 12月14日付けの図書新聞の「文学・芸術」コーナーの岡和田晃さん(文芸評論家・ゲームデザイナー)の「〈世界内線〉下の文芸批評 第58回」「『呪われた詩人たち』の時空を超えた緩やかな連帯」というタイトルの時評に、秦夕美・藤原月彦『夕月譜』が取り上げられている。そこの部分を紹介したい。 秦夕美/藤原月彦『夕月譜』(ふらんす堂)もまた、「呪われた詩人」たちのコラボレーションである。赤尾兜子門下の二人が、1983~88年に頃ボレーションした作品を、30余年後にまとめ直したものだ。『藤原月彦全句集』(六花書林)刊行により、過去のものとして封じられた俳人・藤原月彦は再生を遂げた。厳格で唯美主義的な形式が採られていながら、タイポグラフィを駆使した「遊び」の精神が大いに発揮されている。ここはぜひ、万難を排して現物を入手していただきたいのだが、タイポグラフィや連作の枠を外しても、高度な作品が揃い踏みとなっている。「夕されば雪雪雪(みゆき)の雪の墓並び」には驚かされた。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装クータ―バインディング造本 200頁 二句組 著者のくにしちあきさんは、1949年東京生まれで東京・港区在住。1951年から75年まで、海外に滞在。大学はフランス文学科を卒業し、それを生かした翻訳の仕事をされている。2010年に「知音」(行方克巳・西村和子代表)に入会、2013年「知音」同人、2017年上智大学ソフィア俳句会入会。現在俳人協会会員、国際俳句交流協会会員、ソフィア俳句会会員。本句集は2006年から2018年までの作品を収録した第1句集である。帯文を行方克巳代表、序文を西村和子代表が寄せている。 国境の村の魔除けのたうがらし 勤勉な汗の匂ひとすれ違ふ 少女のころから フランス語とフランス文化にしたしみ、グローバルな視野を育ててきたちあきさん 日本の風土と生活に根を下ろした今、独自の感性とスタイルを備えたちあきさんの俳句が育ちつつある―― 行方克巳代表の帯文である。 くにしちあきさんは、その語学力をいかして翻訳のみならず通訳のお仕事もされているようだ。当然のことながら本句集にはそれにまつわる句がたくさんあり、その句について西村代表は序文で句をとりあげて観賞をしておられる。 百千鳥通訳いつも一人称 ケセラセラケセラセラセラ蝌蚪泳ぐ また同じ単語をひいて春の昼 読初は訳すつもりのミステリー 一行を訳せぬままに夏果てぬ 中でも注目したのは次の一句だ。 産声は万国共通春曙 言われてみてはじめて気づいたことのひとつ。人間の第一声に言語の違いはない。これは考えてみると人類はひとつであることの証である。この興味は、作者が翻訳という異言語と取り組む仕事をしていることと無縁ではない。日本語でもフランス語でも、産声は同じ。世界中の人類共通の声なのだという発見は感動的だ。「春曙」は新しい命への祝福と同時に、人間界の希望をも伝える。 三人の子供の母である作者にしてみれば、これは決して新しい発見ではないはずだ。しかし、俳句という自分自身の表現手段を得たことによって、はじめて形となった。このことを喜びたい。 熱風の押し寄せてくる神輿くる 季語は「熱風」というより「神輿」。エネルギッシュな一団の熱気を表わしたのが「熱風」であろう。渡御の沿道で待ち受けていた神輿の先触れが、すぐ近くに来た迫力が存分に描けている。「押し寄せてくる」「くる」と畳みかけた表現が勢いを持っているからだ。 音読してみると、さらに効果が伝わる。語気の強さと激しさが、有無を言わさず迫って来るからだ。言葉で描くとはこういうことだ。 くにしちあきさんは、本句集を上梓される前に、ふらんす堂より小冊子でフランス語対訳句集を作られている。海外に行ったときに名刺がわりにということでの小さな少頁数のものである。西村和子代表をはじめとする「知音」のお仲間がフランスへ何度か旅行をされたとき、頼もしい通訳と案内役だった。その案内役がいかに有能で素晴らしかったかも序文で触れているのである。 本句集の担当は、Pさん。 真白なタオル一枚春を待つ 片蔭のとぎれて紀元前の街 初刷りのどさと地球の重さかな 勤勉な汗の匂ひとすれ違ふ 寒紅を濃く曳くけふは負けられぬ 初刷りのどさと地球の重さかな これはインパクトのある句である。西村和子さんも序文でとりあげておられた。わたしも句集を拝読しながら、一瞬(ムムムッ)て思って立ち止まった。初刷りはなんであろうか、かなりの量と嵩のあるものだ。地球の重さって言ったってあなた知ってるの地球の重さをって言いたくなるが、それを言ったら野暮である。これば比喩なんだから、ただ重いっていうだけではない、地球的規模、つまり我を超えていくものが詰まっているそしてあなどれないものがそこにはある、そんな我を呑み込みそうに迫ってくる重さなのだ。新年早々の地球の重さだ。そんな初刷り、たぶんゲラであろう、それを前にして身が引き締まるのだ。粛々としたそして逃れられない重さである。 勤勉な汗の匂ひとすれ違ふ こちらは、行方克巳代表がカバーの十句選に選んでいた句でもある。汗が季語。汗だくだくの人とすれ違ったのであるが、この句は「勤勉な汗の匂ひ」とすれ違ったのである。ただの汗の匂いではない。勤勉なというなんともあ頭の下がるような「汗の匂ひ」なのである。でもね、どうして「勤勉な」って分かったのかしら。汗の匂いに勤勉とそうでないヤツの匂いの違いってあるか。スポーツ競技をしていても汗は流れるからね、って一瞬わたしはそう思ったけれど、これは労働者の汗なのである、それはその人の様なりを見て、服装から顔つき物腰すべてを含めて、(この人は勤勉)って思ったその汗の匂いの濃さを、敬して一句にしたのだ。「汗の匂い」に絞った簡潔な表現のなかにその人物像が浮かび上がってくる。 宙吊りに自転車売らる梅雨半ば この一句はわたしが面白いと思った一句。宙吊りに自転車が売られているという光景は、何も梅雨の季節でなくてもよく目にする光景である。売られている自転車は新品であろうからピカピカに光っている。しかし、梅雨の季節しかもただ中であるとすれば当然空はどんよりとして小雨が降っている、そんな中の宙吊りの自転車は日頃のピッカピッカもどこかややくすんでみえ、あるいはどんよりした空を映し出して景気が悪い。梅雨の季節ゆえに金属の材質感が見る側にやけに迫ってくる。水をたっぷりと含んだ大気は、金属を錆びさせそうで、売られている自転車も己のピッカピッカを十全に表現できずさぞ不本意であろうと、わたしは同情するのだ。宙吊りにされている自転車に。。。 帰省子の靴の大きく歯の白く あっけらかんとした一句である。「歯の白く」がいい。家を離れて一人で生活をはじめても健やかに成長をつづけ頑張っている子どもへのオマージュである。「歯の白く」で親の嬉しい安心感のようなものもみえてくる。好きな一句である。 十五年ほど前仕事に明け暮れていたころ、何を思ったか夫が誕生日に山本健吉の『季寄せ』をプレゼントしてくれた。それが俳句に親しむきっかけとなった。 パラパラ覗くうち、「月」でも雨なら「雨月」、見えなければ「無月」という季語があると知り、その柔軟な発想に惹かれた。断言して言い切る、というのも気に入った。隣で夫が初心者の見本のような句を詠むのも気になり始めた。 かくして十三年。手ほどきを鈴木鷹夫、節子先生に、その後知音に入会し行方克巳、西村和子両先生のご指導を仰いで九年になる。最初は手にした表現手段が嬉しく、好き勝手に詠んでいたのが、やがて、言いすぎ、ひとりよがり、前にも言った、ありふれている、という時期が来て、ずっとそこでもがいている。今しか詠めない、私にしか詠めない、平易で深い句が詠みたいのだが。 ここを抜け出すためにも、一度来し方を整理しようと思い立った。また、仲間の句集を拝読するたびに「ああ、この方って、こういう人だったのネ」という感慨を持ったのも大きい。普段は気づかないのに二百、三百とまとまるとその人が浮かび上がる。それは、克巳、和子両先生の選句に負うところが大きいのだが、「私って」という発見ができるのではないかと少しワクワクしている、怖くもあるが。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 よきご主人ではないですか。 いまではよきライバルなんでしょうね。 本句集の装幀は和兎さん。 白い紙ではなく、グレーの用紙を使って欲しい、ということがくにしちあきさんのご要望だった。 二種類のグレーの用紙のうち、ベージュとピンクをほんのり感じさせるこちらのグレーをくにしさんは選ばれた。 題字は、末永薫氏。 グレーの用紙に赤を差し色に。 ということでタイトルは赤をうすくしてその上にパール泊を重ねた。 背も。 帯はなしにしてシンプルに。 カバーをとった表紙。 見返しは鮮やかな赤。 扉。 差色の赤が印象的な一冊となった。 秋ひと日答探して美術館 美術館に探る答とは、簡単に見出せるものではない。しかし、創作を続けることで見えてくるものがある。それを信じて、これからも詠み続ける作者である。 序文より。 寒紅を濃く曳くけふは負けられぬ 気合いの入った一句である。勝ち負けの只中にいるのだ、作者は。「濃く曳く」「負けられぬ」とたたみかけるように言って、心の勢いが一句の勢いとなって読者につたわってくる。口紅を使う人間であれば、こういう気持ちはわかるような気がする。なにか勝負するっていうことがどちらかというと苦手なわたしは、あまりこういことで口紅を濃くするっていうことはないが、最近はちょっと濃いめの口紅を使っている。どうしてかって、そりゃR化まっただ中だからね、だんだん生気もなくなってくるじゃない、少しは顔に彩りを添えようっておもっているのね。自分のためというより、見た人に不快感を与えないようにっていうのかなあ、ああ、でも、それにしてはよく「口紅はみ出しているよ」って言われる。そこだよね、yamaokaの問題点は。。。 以下は余計なことですが、 今日来るときに、道路を計測(?)している人たちがいた。 その人たちが書き記したもの。 面白いから写真に撮る。 この図面のような絵、どんな意味があるんだろう。 わかる人はすぐにわかるのかなあ。。。
by fragie777
| 2019-12-11 19:41
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