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12月6日(金) 旧暦11月10日
12月という月を小さい頃は好きだった。 誕生月でもあってクリスマスもあってプレゼントを貰ったりして、少女のyamaokaは人並みにうきうきしたりしていたのだが、長じてもうこんな歳になってまだ机にしがみついて仕事をしているような私には、えらく恐ろしい月となりつつある。 年末故に心にかけなくてはいけないことがいろいろと出て来て、それがちっともはかどらずいたずらに時間は流れ、一挙に2019年は逝ってしまうのである。 気持ちばかりは焦りつつ、そして確実に一歳は歳をとる。 ああ、嫌だ、嫌だ、といいつつ、もう12月の第1週目の週末となってしまったのだった。 11月30日付けの中日新聞にて、加藤かな文さんが、『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 渡辺純枝』を紹介してくださった。抜粋して紹介したい。タイトルは「聖なる気配が漂う」 (略)『シリーズ自句自解Ⅱベスト100渡辺純枝』が刊行された。渡辺氏(岐阜市・「濃美」主宰)のこれまでの四句集『只中』『空華』『環』『凜』と数冊のアンソロジーから百句を自選し、自解を加えた一書。品のある端正な句が並ぶ。 梅白し月光は人あたためず 歩きつつ読む夕刊や土匂ふ 鳥の仔の祭の中に落ちて啼く 牛といふ塊動く芒種かな 自解に接することで、他の俳人と一線を画する渡辺氏のかけがえのなさが見えてくる。 母の伊勢父の熊野も夕焼けて 上田五千石に初めて会ったとき、「母の伊勢父の熊野……の人ですよね」と声をかけられたそうだ。五千石は、伊勢神宮と熊野三山という二つの聖地とつながる渡辺氏を心に留めていたのだろう。目の前に現れた渡辺氏にその霊感を実感したにちがいない。 二三寸先の世が見え粽結ふ 「私は子供の頃から、ディジャヴの体験が多い。」との説明。かつて五千石が感じた霊性を、渡辺氏自身も自覚している。(略) 名を呼ばれ蝌蚪の水より立ちあがる 蝌蚪はオタマジャクシ。渡辺氏は、長谷川双魚の主宰した大結社「青樹」で俳句を学び始めた。やがて宇佐見魚目や飴山實など、俳壇から少し距離を置く俳人たちの下で自身の俳句観を深めるようになった。そんな折、「青樹」二代目長谷川久々子氏から「青樹」への復帰を依頼する手紙が届く。「私は相当に迷ったけれど、お手伝いならできるかもしれないと思い覚悟をした。ぼんやりと蝌蚪の水を眺めて遊んでもいられないとおもったのに」とこの句の成立にて語る。だが、結局、「青樹」は終刊となり、俳壇に衝撃を与えた。後継誌「濃美」が発刊されたのだが創刊主宰が急逝。渡辺氏は周囲から懇願されて二代目主宰に就任。現在に至る。彼女はいつも何かに召喚される。霊性を帯びた俳人だと思う。 俳人の酒井和子さんが亡くなった。 ご子息の酒井康隆氏よりご連絡をいただいた。 8月18日、鎌倉市の病院で亡くなられたということである。 ご連絡をいただいてわたしはやや唖然とした。 というのは、多分この亡くなった日のすぐ近くの日に、お電話をもらって酒井和子さんとお話をしているのだ。 ご闘病であったのかも知らず、かなり能天気な会話をかわしたことを覚えている。 酒井和子さんは、とても弱々しいお声であったが、もとから静かな方であったのであまり気にとめずに電話を切ったのだった。第二句集『海燕』(かいえん)を2002年にふらんす堂より上梓されてより、「ふらんす堂友の会」の会員となっていただき、よくふらんす堂の本を買ってくださった。時々注文のお電話をいただいていたようだ。そんな風にそっとふらんす堂を応援してくださっていた。 いまから思えば、最後に頂いたお電話は、お別れを告げるためのお電話だったかもしれない。 それなのにyamaokaは、持ち前の鈍感さで何も気づかず、おしゃべりをしてしまったのだ。 なんということ。。。 第二句集『海燕』 箔をたっぷり使って題字は師の森澄雄によるもの。 本文は活版印刷。 今見ても美しい本である。 冬麗の鳩一羽たちみんな翔つ 終はるとも咲きはじめとも冬桜 オルガンの蓋明けてあり涅槃図に 新涼や眉をつくれば知恵生まれ 子の頃は戦に過ぎし月見草 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 今日はお客さまがふたりお見えになった。 俳誌「青芝」(梶原美邦主宰)の編集長の土生依子さんとやはり一書に編集作業をされている北村典子さん。 来年迎えられる俳誌「青芝」創刊800号を記念して、合同句集を上梓されるご予定である。 合同句集「青芝十二光」。 実は700号記念のときに、ふらんす堂より合同句集を刊行されている。 合同句集『青芝十一面』 今回それをつぐ、『青芝十二光』である。 「青芝」という結社は、日野草城を師系に創刊主宰は、八幡城太郎。1953年の創刊であるから66年に歴史をもつ結社詩である。 合同句集もすでに12冊目となるのだ。 ふらんす堂は11冊目よりご縁をいただいている。 その打ち合わせに土生依子さんと北村典子さんがご来社くださったのである。 『青芝十一面』のときもご来社いだだいた。 この時は梶原美邦主宰もご一緒だった。それが2011年だったと思う。 もうすでに8年の時間が流れたのだ。 お二人をご紹介したいと申し上げたら、とても恥ずかしいということで写真は掲載しません。 記念に撮影はいたしましたので、あとでお二人にはお送りするつもりである。 担当は文己さんである。
by fragie777
| 2019-12-06 19:42
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