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12月2日(月) 橘始黄(たちばなはじめてきばむ) 旧暦11月6日
矢川緑地に咲いていた山茶花。 左手のくすり指が金属アレルギーとなってしまい、指輪をはずしてもう半年以上になる。 でも、すこしもよくならない。 今日こそ、ふらんす堂から30メートル先の皮膚科に行こうって思っていたのであるが、時間がとれなかった。 明日こそはって思っているんだけど。 ところでどうして「くすり指(薬指)」って言うのだろう、知ってます? 今調べてみた。 薬を水に溶かす際や塗る際にこの指を使ったことに由来していると言われる説、薬師如来が右の第四指を曲げている事に由来するという説がある。 へえー、とおもいつつ薬指を見る。 金属アレルギーで荒れたわたしの薬指。 指の名称に「薬」っていう漢字が使われていることに改めて感じいってしまう。 12月1日(日)は、岸本尚毅氏指導のふらんす堂句会があった。 そこに参加している方が、担当の文己さんに、 「小川軽舟さんの句集『朝晩』の電子書籍が欲しいのだけど、買い方がわからないの」と尋ねられた。 「だから、わたしその場で買って差し上げました」ということ。 文己さん、ナイス!! そうなのか、電子書籍を読みたいのだけど、買い方がいま一つ、という方がかなりいる。 一度買ってしまうと、あとは簡単に買えるのだけど。。。 11月30日(土)に行われたお祝いの会について、ご報告したい。 俳誌「円虹」創刊300号祝賀会、俳誌「秋麗」創刊10周年祝賀会のふたつである。 それぞれの主宰の言葉を抜粋して紹介したい。 まずは、神戸のポートビアホテルで行われた俳誌「円虹」(山田佳乃主宰)300号記念祝賀会。 9年前に急逝されたお母さまの山田弘子前主宰のあとを見事に引き継いでの山田佳乃主宰のご挨拶である。 ご挨拶をされる山田佳乃主宰。 (略) 平成22年に山田弘子が逝去してからはや9年の月日が経ちました。今度の2月で10年目になります。それでも毎日毎日休みなくひたすら前にある仕事をやってまいりましたがあっという間に9年10年という月日が経ってしまいました。あの日のことを思いますと昨日のことのようです。まだまだ胸が痛くなります。これまで厳しい道のりでしたが、そんな時にわたしを支えてくれたのが、皆さまの雑詠選のはがきの束です。それををみて乗り越えることができました。それでも失敗ばかりでお恥ずかしい限りなんですけれど、「失敗というのは転ぶことではなく、転んで起き上がらないことだ」という言葉がございます。きっとまた失敗するかもしれないですが、改善して改善してもっともっとよい結社誌を運営していけるよう頑張ってまいりたいと思います。 年に2回宮古島へ俳句を教えに行ってるんですが、宮古島の子どもたちが自然のなかで思いきっり遊びながら俳句をつくる姿を見、自然とふれあう中で子ども達が成長していく姿をみますと俳句というものは子ども達が成長するための助けになる、そう信じております。これからも頑張って宮古島へ行くつもりです。また今回こちらにいらっしゃれないご高齢の方や体調の悪い方などございます。そういう大変な中で皆さん俳句を送ってきてくださいます。俳句はそういう方々の心の支えになっている、ということをしみじみ思います。そういう方々が喜んで投句してくださるそんな結社でありたいと思っております。 前主宰から引き継ぎました「平明で余韻のある句」を大切に精進して行きたいと思います。わたしの好きな言葉に「大切なことはまだ誰もみていないものを見つけることじゃない、誰もが見ているもののなかで、誰も考えなかったものを見出すこと、それが素晴らしいことなんだ」と言葉があります。ある哲学者の言葉なんですが、ささやかな日常のなかにある詩情やすばらしいものを俳句にしていけるようになれたらいいなと思います。 400号にむけて新たな一歩を踏み出します。 皆さまのご指導ご鞭撻を心よりお願い申しあげます。 山田佳乃主宰、「円虹」の皆さま。 創刊300号、おめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 佳乃主宰には、「京極杞陽の百句」と「山田弘子の百句」を「円虹」に連載していただき、いずれ刊行させていただく所存である。 そして、東京・アルカディア市ヶ谷では、俳誌「秋麗」(藤田直子主宰)創刊十周年のお祝いの会が行われた。 こちらはPさんが出席。 ご挨拶をされる藤田直子主宰。 〔略) 鍵和田先生が私たちのことを個性あるように育てて下さった、それじゃあ私も一人ずつの個性を大事にしてやっていこうと思いました。 何分私はただの主婦で、趣味で俳句をやっているだけですから、世間知らずなんですけど、集まって下さる方々が本当に人生経験豊かでそれぞれの世界をたくさん持っている人が多くて、年配の方にかぎらず若い人でもそうですね。いろんなことを教えてくれて、刺激を下さる。とにかく新しい人が来れば嬉しい、佳い句にであえばよし来た、と楽しい楽しいと歩んできました。これは5周年の時にも申し上げましたが、結社をやることがこんなに楽しいとは思わなかった。もともとそのエッセイをまとめた冊子を作ったくらいですから、雑誌を作るのが好きですから。 楽しい楽しい、面白い面白いとやってきて、お陰様でとても明るい結社でございます。 でもじゃあ一体俳句作品はどうなのか。問題はそこですよね。 そこで10年を振り返るというつもりで『秋麗季語別俳句集』という本を作りました。10年ですからまだまだという気もいたしますが、中村草田男先生がなんでも俳句になさった。どんなことでも挑戦して俳句という形になさったということがあって、私は俳句に詠めないことはないと思っております。なんでもいいというのが、自由奔放なことが「秋麗」でございますが、ただしそこには心がなくてはいけない。心があるところには詩があると思っております。この勢いでまとめた俳句集がお眼鏡に適うような句が一句でもあれば嬉しく思います。 実は『鍵和田秞子の百句』もこの会に間に合わせる予定でしたが、鍵和田先生の最新句集の『火は祈り』からも百句の内に納めたいと思い、間に合いませんでした。近いうちにお届けさせて頂きたいと思います。 中村草田男、鍵和田秞子という師系に恥じないような活動をしなくてはいけないと今回つくづく心を新たに思っておりますので、どうぞこれからも御指導頂きたいと思います。 本日は本当にありがとうございました。 藤田直子主宰をはじめ「秋麗」の皆さま、 創刊10周年おめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 ご挨拶にもあるようにまもなく「鍵和田秞子の百句」が刊行になる。 直子主宰が、力を注いでくださった一冊である。 今日はお一人お客さまがいらっしゃった。 いま詩集の作成をすすめている方である。 お名前は、雅季(まさき)さん。 ふらんす堂がある仙川とは比較的近い京王線の稲城というところかいらしてくださったのだ。 すでに製作はおすすめしているのが、原稿を入稿されてから体調を崩され入院をされてしまったのだった。 11月半ばには退院されて今日ご来社くださった。 雅季さん。 ご入院されていたなんておもえないほど、お元気そうな姿にわたしも担当の文己さんもホッとしたのだった。 詩の内容は20年の間ずっとファンである、宝塚の元女優さん(男役スター)に捧げたもの。 どなたであるかはここでは内緒。 詩集が出来上がったときに、紹介したい。
by fragie777
| 2019-12-02 19:38
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