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11月22日(金) 小雪(しょうせつ) 旧暦10月26日
ご近所のクィーンズ伊勢丹ではすでにでっかいクリスマスツリーが飾られている。 ちかくの食品ストア「カルディ」でも、おやまあ、たくさんのサンタさんが。。。 わたしのカレンダーでは、クリスマスはまだまだはるか先である。 その前にやらねばならないことがありすぎる。。。 共同通信発の関悦史さんによる時評で、ふらんす堂刊行の句集が三冊とりあげられている。 紹介したい。 森下秋露「明朝体」(ふらんす堂)は、元「澤」編集長の第1句集。くどく描写を重ねる、いわゆる澤調でつらぬかれ、〈プールサイドに尻の跡あり皆立てば〉など克明な肉感に富む句が多いが、諧謔の向こうにときに冷ややかな無意味の領域が見える。〈使ひ捨てカイロ固まる毛羽立ちて〉〈キャッシュカード我が名の突起冷たしよ〉などは今の生活に特有の小物が、死から照らし出された普遍的な寂しさを帯びる。 藤永貴之第1句集「椎拾ふ」(ふらんす堂)は、静的な叙景のなかに、細やかな感性がひそむ。〈桐一葉塀をこすりて落ちにけり〉〈塵取にとられし雹やくつゝきあひ〉は、さまつな出来事から大きな自然の生動を引き出している。決して大仰に世界に対峙してみせることなく、耳を澄ませることで無音の領域の大きさをうかがわせるような身構えにより成り立つ詩情が清新。〈線分を短く星の飛びにけり〉 井越芳子第3句集「雪降る音」(ふらんす堂)にも、そうした静けさをもってでなければ捉えられない量感があるが、詩情の内実は、世界への驚きというよりは人生の感慨にひたっている。ただしそれを陳腐化させない器の大きさがある。〈草に降る雨の止みたる網戸かな〉〈森離れゆく春月をベッドより〉 ほかに鍵和田秞子第10句集「火は禱り」(角川文化振興財団)、島雅子第2句集「もりあをがへる」(朔出版)、石川九楊「河東碧梧桐」(文藝春秋)が取り上げられている。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、吉田林檎句集『スカラ座』より。 矛先は大統領へおでん酒 吉田林檎 おでん屋で飲む酒が季語「おでん酒」。その酒、仕事仲間などと飲むことが多い。一人が、「トランプ大統領には哲学がない。地球や宇宙の未来に対する高邁な思想がない」と弁じると、隣はダイコンに箸を立てて「賛成!」と怒鳴る。おでん酒の仲間は意気軒高だ。句集「スカラ座」(ふらんす堂)から。作者は星野立子新人賞など受賞。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 212頁 2句組 著者の齊藤昭信(あきのぶ)さんは、1944年(昭和19)東京生まれ、現在は東京・品川区在住。1996年(平成8)「天為」入会、2004年(平成16)「天為」同人。俳人協会会員。この略歴に齊藤さんは、趣味を書かれている。それが面白い。ちょっと紹介したい。5つの趣味があり、「旅行」学生時代は日本各地を旅行、現在は中国各地を旅行、「骨董」古伊万里を収集、日本や中国の博物館にて磁器、陶器等の鑑賞。「盆栽」各種の盆栽収集。とくにさつき盆栽。「太極拳」はじめて25年になります。「中国語」60歳からはじめて、今も学校にて勉強中です。本句集を読んでいくとこの多彩な趣味の裏付けがあることがわかるのである。 人生に対してきわめて前向きな方である。本句集に有馬朗人主宰が序文を寄せている。 ふらんす堂から2016年に句集『沙漠の舟』を上梓された西脇はま子さんは義姉にあたり、ご家族の環境は俳句一家である。そのことに有馬主宰は触れられてから、 その中でも昭信さんは、一九八六年(昭和六一)自分で会社を設立しその事業の推進のためもあり、中国の歴史や文化、太極拳を学び、さらに六〇歳にして中国語を学び、中国へ毎年数回吟行旅行を続けておられる。一九九〇年(平成二)以後既に七〇回以上も中国各地の吟行をしている。このことが昭信さんの俳句に大きな影響を与えている。即ち昭信俳句の最も大きな特徴は中国吟行句である。しかもそれは単なる旅吟ではなく、日常生活の心、平常心で作られているのである。 京劇の白蛇伝奇の夜長かな 老北京蘭鋳も売り猫も売る 大寒や李朝白磁の馬上杯 星飛んで文殊菩薩の五台山 冬帝はすでに玉座や紫禁城 二胡の音や杜甫草堂の蓮の花 西魏仏足裏を見せり岩燕 天山の谷深くして鳩を吹く 既に堂々たる力作である。徹底的に現場主義の作風である。しかもたまたま旅で興味を持った風景を軽い気持で詠んだのではない。その地の持っている文化を深く理解し、その歴史の長さを熟知して作っている。 天秤棒不意に路地より羽抜鶏 呉の国の暮れなんとして桐の花 胡同の細き路地より竈猫 昭信さんはこのように中国を心から愛している。それは風土や歴史のみでなく、日本に留学して来た中国人の若者達を心から歓迎し、便宜を図り、しかも中国へ帰った後も友好を続け、訪中する度その人々と句会などをやり旧交を温めていることである。真に日中友好の上で大きく貢献している人物である。 齊藤昭信さんが本句集のタイトルを「黄河」とつけられたことでも中国への思いの深さは推して知るべしである。齊藤さんは東京・日本橋生まれ、生粋の江戸っ子で下町をこよなく愛する方である。それゆえに本句集には下町詠んだ句も多いが、やはり圧倒的なのは中国詠である。 本句集の担当は、文己さん。 「中国の地名にすこし詳しくなりました」と言って、文己さんが選んだ好きな句は、 外套を脱ぎ日本橋渡りけり 馬の意の甲骨文字の麗らけし蜻蛉の影濃き交河故城かな 大雁塔高きに登り絹の道 人形町暖簾変はらず去年今年 楽の音は絹の道より春の星 長江を渡る夜汽車や霾ぐもり 星涼し甲骨文字の虎と鹿 外套を脱ぎ日本橋渡りけり この一句はわたしも好きな一句である。「外套」が季語である。その外套を脱いで、「日本橋」を渡ったというただそれだけの一句であるが、この「日本橋」という情緒ある地名がいい。中央区にある日本橋川にかかる橋で江戸時代に命名され今の橋は20代目にあたるらしい。いまは大きなコンクリートの橋で車が行き交う江戸の情緒などは感じられない橋であるが、そういう現実を超えて地名のもつ力がこの句にはある。そして著者の「日本橋」という名前を持つ橋への思いも感じられる。冬の晴れた日なのであろうか、歩いていて暑くなってきておもむろに外套を脱ぐ、そして丁寧に腕にかけて日本橋を渡るのである。(ああ、俺はいま日本橋を渡っているのだ)という幾分の感慨をこめて。そのそんな思いが伝わってくる一句だ。 馬の意の甲骨文字の麗らけし 星涼し甲骨文字の虎と鹿 本句集には「甲骨文字(こうこつもじ)」という言葉がよく登場する。調べたところ「殷の王朝によって占いをした内容を亀の甲羅や獣の骨などに刻んだ文字のことです。殷代といえば紀元前17世紀から同11世紀末くらいの遥か昔の王朝です。(略)甲骨文字の段階では文字というより絵のようです。」とあり、そこには馬や虎や鹿などが、その形を象徴するように描かれているのだろうか。本句集を読んでいくと、この二句でもわかるようにこの「甲骨文字」に魅了されている齊藤昭信さんの姿が彷彿としてくる。中国のおそるべきほどに奥深い伝統文化をこの甲骨文字においても知ることができるのだ。 長江を渡れと吹きし石鹼玉 これはわたしの好きな一句である。わたしはまだ中国へ行ったことがないので、「黄河」も「長江」も見たことがない。テレビで放映されているの見て、なんという広大な川であることよ、と口をあんぐりあけて見入ってしまう、ということはあるが。しかし、テレビの放映というのは、いわゆる長江の一部をカメラで撮って見せるものであるから、その長さはハンパじゃないからさまざまな長江の顔があるわけである。この句、シャボン玉を吹いている景である。こどもたちなのか大人も一緒に加わっているのかわからないが、「長江を渡れ」などとそんな無謀なこと言って吹いているのである。長江を知らないわたしでも長江がおそるべき川幅を持っていることくらいはわかる。絶対的に無理って思うがそうやってシャボン玉を吹く、そこには春の長閑さがあっていいなあって思う。ひょっとした作者も加わって楽しんでいたのかもしれない。中国に慣れ親しんでいる作者の顔もみえてくる。 義士の日の枝打ちの音はげしかり この一句は有馬主宰も「江戸情緒のある句」として序文であげておられたが、好きな一句である。泉岳寺に行って詠んだ句。その前の一句が「極月の空澄みきつて泉岳寺」。「義士の日」とはいわゆる赤穂四十七士の「討ち入りの日」で12月14日にあたる。枝打ちのはげしい音がそのまま義士たちの仇討ちへのはげしい感情を蘇らせているように聞こえてくる、そんな思いにさせる一句である。実はわたし、12月14日生まれなのね、だから、なんだか義士たちが他人には思えなくて、ちょっと感情移入してしまうのである。いい句だと思う。 この句集には中国各地で作った多くの俳句を載せました。それは、まだ俳句を始める前、平成二年五月、結婚二十周年を記念して北京を訪れた時。そこで目の当たりにした万里の長城、故宮、天壇、明の十三陵などの壮大な建造物の規模と悠久の歴史に圧倒され、中国に魅了されてしまったからです。 俳句を始めてからは、中国各地を訪れる機会も増え、今までに七十回を数える程になりました。今では、西安、北京、上海、延安、黄石、南昌などに仲間が居り、「天為」の同人、俳人協会会員になった人もおります。毎年彼等と歴史ある中国の地で句会をするのが至上の楽しみです。 平成三十年五月七日、シルクロードの出発点である西安市の西安外国語大学構内に有馬朗人先生の「長安の糸より細き冬の月」の俳句が石碑として建立されました。それは、毋育新氏と私の長年の夢でした。建立に当り、西安外国語大学の王軍哲学長を始め「天為」の方々のご臨席の中、有馬朗人先生と王軍哲学長が石碑の除幕をされた時の感動は、生涯忘れることができません。 「あとがき」の一部を抜粋して紹介した。 有馬朗人主宰の句碑建立にもご尽力された齊藤昭信さんである。 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 たくさんのラフを用意してどれも気に入っていただいたが、なかでもこの亀の文様のものをとりわけ気にいられたのだった。 タイトルの黄河はツヤなし金箔で。 表紙の布クロスは明るい黄土色。 見返しはさらに明るい黄土色。 扉。 花布は、金。 栞紐は、茶色に。 滝壺へ百雷をなし黄河落つ この『黄河』の上木を契機に齊藤昭信さんが日中友好に一層活躍され、更に多くの佳句を生み続けられんことを心より祈りつつ筆を擱く。 有馬朗人・序文より。 「齊藤さん、次に中国へ行くときにはキャリーケースに句集を入れて持っていかなければ、とニコニコしながら仰っていました。俳句の教え子の方がたくさんいるそうです。 」と文己さん。 この句集の製作過程で、齊藤昭信さんはなんどもふらんす堂にご来社くださった。 さすがにフットワークの良い方である。 このブログでも紹介したが、文己さんとわたしに中国のお土産と言って、「夜光杯」という玉でできた酒杯(グラス)をくださった。この夜光杯は中国に詳しい友人によると「西域のもの」でワインを飲むのに良いということ。 さっそく私は赤ワインを注いで試してみたのだった。 これが夜光杯である。 月の光のなかで飲むといっそう素晴らしいらしい。 春星や磨き上げたる夜光杯 昭信 本句集に収められた夜光杯の一句である。 今晩あたり、食器棚にたいせつにしまってあるこの夜光杯を取り出して赤ワインを注いでみようかと思っている。 カリフォルニア産であるが、美味しい赤ワインが冷やしてあるのだ。
by fragie777
| 2019-11-22 19:16
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