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11月14日(木) 旧暦10月18日
紫式部の実。 紫という色をこの実にまんべんなく神さまはお許しになったのだって思う。 今日の14日づけの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、藤永貴之句集『椎拾ふ』より。 外(と)に出(い)づる度にしぐるる日なりけり 藤永貴之 句集「椎拾ふ」(ふらんす堂)から。作者は1974年4月21日生まれ。私は4月22日生まれなので、なんだか親しい気になる。もちろん、福岡市に住む作者と面識はないのだが。今日の句、時雨の降り方をよくとらえている。時雨は降っていると思っていたらすぐにやむ。ここで降っていたのに、たちまちあっちへ移っている。 「俳壇」12月号が届く。 対中いずみさんが、「田中裕明小論」と題して特別寄稿を寄せている。 「田中裕明賞」のことなどにも触れてくださっている。 抜粋して一部を紹介したい。5冊の句集についてふれ、「第二幕へ」という項で、 さて、今年、田中裕明生誕六十年となる。没後十五年を経て、田中裕明の作品とその影響力は褪せることがない。むしろその輝きは増している。裕明の実人生は2004年12月30日に幕を閉じたが、没後、静かに第二幕が始まっている。 と記し、(そうか、生きていたら田中さんは60歳となっていたのか。。。)その第二幕として、田中裕明の師系につらなる俳人たちによる、「静かな場所」(対中いずみ代表)、「はるもにあ」(満田春日主宰)、「秋草」(山口昭男主宰)の創刊、『田中裕明全句集』の刊行、「田中裕明賞」の創設について記している。そして波多野爽波、岸本尚毅、高橋睦郎などの言葉を紹介しながら、田中裕明の詩情について解明を試みている。本論には、田中裕明の言葉が宝石のごとく配されていて、それに出会える喜びがある。それは対中いずみという俳人のなかにつねにあたらしく注ぎこまれている言葉であり、俳人としての彼女の血や肉となっているものだ。最後は、対中いずみにとっての田中裕明の「詩情」について記している。抜粋して紹介したい。 田中裕明は感情量の大きな人だった。抑えた詠み方をしているが、一句の背後に豊かな感情をたっぷりと抱えている。(略)裕明はときおり孤独という語を用いたが、孤独のなかで自らの人生を見つめ、心を澄ませてゆくことも詩人の生き方であったろう。ことに『夜の客人』『夜の客人』以後の句群は澄み切っていて聖性すら帯びている。 くらければ空ふかきより落花かな (『夜の客人』) 仰臥して冬木のごとくひとりなり (『夜の客人』以後) それが末期の眼であるから澄んでいるというわけではない。裕明の句は『山信』時代から澄んでいる。ときに当惑するような句もまじるが濁ってはいない。取り合わせや押韻など技法の冴えもあるが、いちばんの魅力は句が澄んでいることだと思う。その澄んだ光が人の心に届くとき、作品は時空を超えて愛されつづけるのだろう。 まもなく、山口昭男さんの『自句自解ベスト100』が刊行になる。 その自句自解には、爽波や裕明が頻繁に登場する。具体的にどう作句指導をしたか、それがよくわかって興味深い。師に教えられたことを書き記すことによって、その師をおおいに顕彰することになるということを教えてもらった一冊である。 おなじく「俳壇」12月号に、ふけとしこさんのインタビュー記事が載っている。ふけとしこさんは、今年ふらんす堂から句集『眠たい羊』を上梓された。本号にはその書影もあり、それについての記事も載っている。 ここでは、ふけさんが所属している「船団」と「椋」のそれぞれの代表者に出会ったときのことを抜粋して紹介したい。 ――当時、俳壇賞選考委員だった坪内稔典先生との出会いも受賞がきっかけだったんですよね。 授賞式の日にはじめてお会いしました。いきなり「あなたにあだ名をつけたよ、「毛虫のふけ」ってと言われて。受賞作の中の〈まるまるとゆさゆさとゐて毛虫かな〉を気に入って下さったとのことでした。(略) ――坪内先生から言われて印象に残っていることはなんですか? ひがんだり無理をしたりすることはない、できることをやればいいということ。あなたは硬いところから発想している、そこをもう少し柔らかいところからの発想に切り替えたらいいのに、ということを言われました。(略)やっぱり伝統系で始めているから、殻があるのでしょうね。調べがよくて姿のよい句が好き、というのはずっとありますから。それが先生に言わせると古風だということになる。殻を破るって簡単に言いますけれど、それは言うほど易しいことじゃないですものね。(略) ――現在「椋」でも活動されていますが、きっかけは何だったのですか。 対中いずみさんに石田郷子さんを紹介されたのがきっかけです。(略)郷子先生のことは俳句もさることながら、生き方にすごく憧れました。飯能市のそれも名栗という山の中へ引っ込んで、山里の暮らしを堪能されていて、そのこともとても羨ましくて。たまたま「椋」を送って頂いていましたら、どんな所だろうって名栗まで行ったんですね。「私が入ったら邪魔かしら?」って聞いたら、「そんなことないよ」って。それで決まり。2010年のことでした。 今日はお客さまがおひとり見えられた。 ご近所の吉祥寺からである。 歌人の徳高博子(とくたか・ひろこ)さん。 徳高さんは、現在は「未来短歌会」に所属する歌人である。 すでに4冊の歌集を上梓されている。 この度、その4冊の歌集とこれから上梓される予定の第5歌集の作品より、各100首ずつを自選され自選歌集を上梓されるご予定だ。 その歌集稿をもって、歌集のご相談に見えられたのだった。 徳高博子さん。 初期の作品が塚本邦雄の目にとまり、それが機縁となって「玲瓏」で学ばれたこともあるという。 いまは、「未来短歌会」の黒瀬珂瀾氏の選を受けておられる。 カソリック信者でおられ、「どこの教会ですか?」と伺ったところ「吉祥寺教会です」と。 「中村草田男のお嬢さまおふたりもいらしておられます」と、おっしゃってにっこりとされた徳高さん。 パイプオルガンの奏者として奉仕をさいれていたこともあったということである。 「パイプオルガン!! まあ、すばらしい!」 って担当の文己さんとわたしはおもわず叫んだのだった。
by fragie777
| 2019-11-14 19:32
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