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ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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清々しく、軽ろかな楽しみ。

11月6日(水) 十日夜  旧暦10月10日



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咲き始めの白菊。

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国立・矢川の水辺に沿って咲いていた。

菊を取り囲む空気がまだ硬い。
それが好きだ。



今朝はいちだんと寒い。
わたしはヨシと自分に声をかけてヒートテックのアンダーシャツを身につけた。
今季はじめてである。タートルネックのヤツなので首回りが温かい。
その上に厚手の木綿の白シャツを着る。
まだちょっと心許ない。
クローゼットと呼んでいる押し入れに手を突っ込んで黒のウールの裾の短いカーデガンを羽織った。
おお、これで決まり。
白猫の日向子が一部始終を見ていたのだった。





新刊紹介をしたい。

坂内文應句集『天真』(てんしん)。


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A5判変形ハードカバー装帯有り 242頁


著者の坂内文應(さかうち・ぶんのう)さんは、昭和24年(1949)新潟県生まれ、新潟県加茂市在住で、曹洞宗瀧澤山雙壁禅寺のご住職である。俳歴は、昭和45年(1970)酒卷英一郎の誘いで大岡頌司「鵞」、安井浩司「唐門会」に参加。平成5年(1993)長谷川櫂「古志」創刊より師事、入会。平成25年(2013)中田剛、羽野里美と俳誌「白茅」創刊、共同代表。飴山實、安井浩司、高橋睦郎、長谷川櫂に親炙私淑し現在に至る。本句集は、第1句集『方丈』(平成13年花神社刊)に次ぐ第2句集である。序辞を高橋睦郎氏が寄せている。


高橋睦郎氏の序辞を紹介したい。(短いので全文を)

文應さんは禅林の仏者である。身辺無一物を旨とする禅者が、なにゆゑ俳諧などといふ雑なる詩と遊ぶのか。思ふに求道の道程に出会ふ万象を俳詩の形に昇華しつつ、己を無化しようとの志か。読者としては、その名残りとしての句句を、専念たのしめばよいのだらう。そのたのしみは清々しく軽らかだ。

 昨の花今まぼろしと空の沖  睦郎

坂内文應さんがなにゆえ俳諧などと遊ぶのかという問いに、「求道の道程に出会ふ万象を俳詩の形に昇華しつつ、己を無化しようとの志」と高橋さんは書いてあるので、やはり俳句をつくるのも仏教徒であるということからは切り離せないものなのだ。それは当たり前かもしれないが。たとえば自由律の山頭火が、仏門に帰依しながら俳句と作ったのはとはちょっと違うような気がする。本来仏教徒であった坂内文應さんが俳句と出会った。だから森羅万象を見るときすでにそれは仏者の目なのである。本句集を読んでいてわたしはそれを強く思いその仏者の目に自身を添わせていかなくてははいけないのかとちょっと緊張してしまったのだけど、そう、高橋睦郎氏は「名残りとしての句句を、専念たのしめばよい」と書いているじゃない、と思ってホッとしたのだった。句の背後にある仏教的真意にはたどりつけなくてもその名残としての句句を楽しめばよい、とわたしは理解した。違っているかなあ、そうだとしたらごめんなさいませ。
本句集のおいて高橋睦郎さんが、抄出している15句の中から紹介したい。

 撓みつつ廻るレコード鳥帰る
 山々は木の花白し更衣
 あらたまの山河親切なづな粥
 初経や金泥の文字ばりばりと
 梅雨山を真ツ正面や浄髪す
 黎明や蟻のさなぎの乳(ち) の色に
 秋風や子供二人が草の中
 矢(や)一箭(いつせん)骰子(さいし) 一擲(いつてき)春深む
 
15句のなかから私の好きなものを紹介した。
本句集の担当はPさん。Pさんの好きな句は

 冰らんとしてやまみづのうすみどり
 兎は未完夏毛ふさふさ揃ふまで
 小鳥来る空の広さをつかひつつ
 剃りあげて冬日のぬくさ載せ歩く
 秋の風夢の継目を吹くらしく
 乾くまで水の色して新障子
 少年が水噛んでゐる夏休
 たんぽぽの絮やルドンの目玉して

 剃りあげて冬日のぬくさ載せ歩く

この句はわたしも好きな一句である。お坊さまは、坊主頭であるからいつもしっかり頭を剃っておられるんだと思う。この一句、お坊様であることのゆえの素敵な体験である。「載せ歩く」という措辞に膚に直にあたる冬日のぬくもりの有り難さを心から喜んでいる気持ちと幼子のようにそれを「載せて歩いている」愉しさが伝わってくる。さっぱりと坊主頭になった作者の童心も思わせる一句だ。

 たんぽぽの絮やルドンの目玉して

この一句はいかにもPさんが好きそうな一句だ。たんぽぽの絮とあのルドンの有名な目玉の絵が結びついた。坂内文應さんは本句集を読めばわかるが、芸術への造詣が深く美意識にすぐれた方である。だからこのような一句もひょいっと作られてしまうのではないか、と私は思った。「冰らんとしてやまみづのうすみどり 」という句も美しい一句だ。

 梅雨山を真ツ正面や浄髪す

高橋睦郎さんも抄出しておられたが、わたしはこの句もさっきの「剃りあげて」と同じように好きな句である。「浄髪」とは仏教用語で「髪を剃ること」を言う。この句は構図が好き。梅雨山を目の前に見据えて髪を剃ってもらう。山と対峙するようなかたちに身を置いて。梅雨の山であるから、雨にけぶりさっぱりとはしていない、これが晴れ渡った夏山だったとしたら気持ちがいいかもしれないが、それだけで終わってしまって、この句が醸し出す奥行きが出ない。「梅雨山」だからムムムッって思う。ちょっと勝負しているような感じ。

 柿の花瓦をすべり落ちにけり

わたしは出来るだけ作者の目のみが捉えた句を選んでみた。柿の花って小さくて硬くて落ちると弾む、この一句は「柿の花」という季語が十全に語られていると思った。柿の木は民家のそばに植えられていることが多い、これまで柿の花は21世紀の今日まえきっと屋根を落ち続けてきているのだ。ここは瓦の屋根、ただ落ちたのではなく、すべって落ちたのである、景がよく見えてくる。柿の花の黄緑色、それに対する瓦の質感や色なども見えてくる一句だ。

 どこからも冬菜畠の見ゆる家

これもあっさりした一句。しかし景色は明確だ。冬菜畠に取り囲まれた一軒の家。青々として冬菜が日差しに映えている。「囲まれてゐる」とかしないで「どこからも」「冬菜畠」が見えると詠んだところに「冬菜」への作者の思いが(気づかないかもしれないが)潜んでいる。つまり(いいなあ)っていうかすかな思いが。そこが作者の冬菜への挨拶なのだと思う。

 秋風や子供二人が草の中

この句はとても好きな句である。草の中とあるので、きっと小さな子どもが蹲っているのかもしれない。これ「春風」としたら、あまりにもわかりやすい一句となってしまう。「秋風」だから心惹かれるのだ。ひんやりとした草の中、子ども二人はしゃがんでいるのか佇んでいるのか、この子どもに動的なものは感じない。ちょっとひっそりとしたものを感じる。そしてやや淋しさを思ってしまうのは、それは「秋風」だからだ。「秋風」という季語の力を思わせる一句だ。

ほかに、好きな句を数句のみあげたい。

 まるめろの傷だらけなる光かな
 猫の爪剪れば十薬香のほのと
 昼暗し町屋の奥の金魚玉
 裏返す枕冷たし十三夜
 通り雨蟬殻へはた蟬穴へ
 芝を焼く焔の奥を馬通る


俳句は裁断の詩芸といわれるが、短いがゆえ精神の屹立の根拠を保ち、小さいがゆえ強靱にして風化にも耐えよう。俳句は、取りも直さず世界最前線、最前衛の文学そのものであることを了得すべきと考える。
私たちの日常底からみても、俳諧のプラットホームはその誕生以来、存外に堅牢にして秩序と解放の両方をもたらす言葉の建築であった。俳句はひとりの
時間、大勢の時間が同時存立するための最短定型であることは言を俟たない。学すべきである、遊ぶべきである。
 
「あとがき」を抜粋して紹介した。


本句集の装丁は、間村俊一さん。

ご本人のたつてのご希望である。

間村さんの装丁によって、工芸品のような一冊が出来上がった。


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題字はツヤなしの銀箔。
銀箔の使い方はむずかしい。
多くは地味になってしまうのである。
間村さんは銀箔を華やかに使用する魔法をもっている、っていつも思う。
図版のカラ押しと題字の銀箔押し、すこしもうるさくなっていない。



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一色刷りに見える帯であるが二色刷りである。
このへんの配色は心憎いばかり。


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表紙の布クロス。
グレーの糸と紺の糸が織り上げたものでグレーにも紺にも見える。

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図版をカラ押し。


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角背、銀箔押し。

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見返しは深いあずき色。この色がなんとも奥深い。


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扉。
ここに記された文字はすべて意味があり、著者のご希望によって間村さんがレイアウトをした。
すごく面白いと思う。



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シャープな角背。
花布も栞紐も見返しに響き合ったあずき色。


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堂々とした格のある一冊となった。

願わくは、この詩型とだけは偽の関係の陥穽に落ち入らないようにありたいし、物と言葉の気配から立ち上がってくる信号には、自分なりにせめては耳目を洗い直してゆきたいと思う。

「あとがき」より。


 たて笛で氷をつつき下校の子

これも好きな一句である。この景って誰しもどこかで見た、そんな思いにさせる一句である。小学生だろうなあ、たて笛を習わされてランドセルに立てて入れて、ひょいっとそれを抜き取って氷などをつついたりして、道草を食う。だってたて笛は氷をつつくのにちょうど良いんだもの。氷もたて笛だったら突かれてもまっいいかって。そうそう、「芝を焼く焔の奥を馬通る」もすごく心惹かれて句って書いておきたい。










今日はお客さまがいらっしゃった。

船山フミさん。

ご近所の国領にお住まいだ。

「俳句を長くやっていたのですが、先生が亡くなってしまって、止めてしまいました。でもたくさんの句が残っていて、友人がそれを句集にしなさいって言ってくれて、思い切って句集に纏めることにしました」と船山フミさん。

2016年にふらんす堂より詩集『山姥の唄』を上梓された友清恵子さんがふらんす堂を紹介してくださったということ。

「ところでその俳句の先生ってどなたですか?」と伺うと、

「山田みづえ先生です」

「あらまあ、よく存じ上げている先生です。ふらんす堂から句集を出されていますし、わたしお家にもよく伺いました」と。

「それはなんとも不思議なご縁です」とすこし涙ぐまれた船山フミさんだった。

俳誌「木語」で山田みづえ先生に選をしてもらったものを一冊にということになったのだった。


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船山フミさん。

「句集をつくるなんて、思ってもおりませんでした。でも、作る気持ちになってとても嬉しいです」と。

すこしこちらでお手伝いをして句をあつめてさしあげる必要がありそうであるが、急いではおられないので、担当のPさんが頑張ってくれると思う。

山田みづえ先生は、出版社勤務のときからご縁があって句集を担当したり、ふらんす堂をはじめてからは何度もお宅にうかがって童話の本をいただいたり、いろいろとお心にかけていただいた。
そういうご縁の方の句集をつくる、ということになって感慨深いものがある。






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by fragie777 | 2019-11-06 19:47 | Comments(0)


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