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10月25日(金) 霜始降(しもはじめてふる) 旧暦9月27日
雨にぐっしょり濡れた鶏頭。 同じ日に出会った鶏。 どちらも赤い頭(かしら)を持つ、なんてね。 数日前だったろうか、朝の仕事場に向かう道に腕時計が落ちていた。 女ものである。(多分) 拾って、どこか目立つところに置いておこうかと辺りを見まわしたが、適当なところがない。 小さな文字盤、金の縁取り、真珠のような大小のビーズがベルトになっているたいへん華奢なものである。 文字盤をみると小さな針がけなげに動いている。 それに気づいたらこの時計を身につけていた若い女性の姿が浮かんできた。 針が動いて生きている、さっきまで持ち主のところにあった時計だ。 このままにしておけなくなって交番に届けることにした。 出社前の朝のいそがしい時刻である。 ちょっとかったるいなあとおもったのだが、駅前に交番がある。やや遠回りだが仕方がない。 だって息をしている時計なんだもの。 そうして、届けてホッとした。 持ち主のところに戻ったかなあ、って時々その小さな時計のことを思い出す。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル帯有り 72頁 3句組 第1句集シリーズの一環として刊行。 著者の藤井なお子(ふじい・なおこ)さんは、1963年愛知県生まれ、現在は大阪の茨木市にお住まいである。1999年から2009年まで「白露」におられ、2007年「たまき」入会、2012年「船団」入会、2109年「船団賞」受賞。現在、大阪俳人クラブ理事、現代俳句協会会員、茨木市俳句協会会員、「船団」会員。本句集は第1句集で、船団の坪内稔典代表が解説を寄せている。解説は「『ブロンズ兎』の読み方」と題するようにこの句集をいかに読むかということによって本句集の魅力を導き出している。 この句集『ブロンズ兎』をぱっと開ける。 今、私が開けたのは、13~14ページ。次のような句が並んでいる。 緑陰へ直線裁ちのワンピース 形あるものに余命や四葩咲く 震源の深さを想ひあをぶだう 仙人のまばたき京のアマリリス 空蝉のほかに良いものなどなくて 朝風呂の匂ひ泰山木の花 いいな、どの句も、と思うが、ことにワンピースと空蝉が好き。朝風呂にも魅かれる。でも、京のアマリリスはよく分からない。 こんな書き出しではじまる、それぞれの句の鑑賞があり、 要するに、とても共感する句から、ほどほどに共感する句があって、その一方にほとんど共感しない句がある、それが句集というものだ。 とある。なるほど、「ほとんど共感しない句」もあるのか、そう書いてあって、わたしは正直ホッとした。坪内さんと同じで、わたしも句集を拝読していて、「ああ、いいなあ」って思った句と、「ええっ、ワカンネー」って何度も読み直した句もあったからだ。上記の6句については、ほぼ坪内さんと同じ。好きなのは、「緑陰へ」「形あるものに」「空蝉のほかに」、わからなかったのは、「京のアマリリス」。で、坪内稔典さんは、さらに「ああ、この句はいいな、言葉が跳びこんできた、と思ったら、だれかにその句を紹介して欲しい。どう思う、これ? と話題にしてほしいのだ。俳句はそのように話題にされて広がってゆく詩だ。」と書く。そうか、このことが坪内さんがずっと常日頃口にされている「俳句の口誦性」ということか、と思った次第。五七五という短いフレーズだから、確かに口から口へと伝えていける。坪内さんは、そのいいなと思った句について、大いにお互いに話して欲しいと。 本句集の担当はPさん。 囀やときに曲線ときに点 喉渇くミモザの花の散るやうに 蛇穴に活字は水に溶けにけり 似顔絵の耳から描いてゆく寒さ 小さき子の小さく皮剥くみかんかな 似顔絵の耳から描いてゆく寒さ 理由はわかないが、この寒さは実感した。どこから描いていったとしても寒さは変わらないと思うが、でも白紙を前にしてまず耳の輪郭を描いたとき、寒そうだなって思ってしまう、のはなぜだろう。普通は耳から描くか?描かないよな、わたしだったら、顔の輪郭からかなあ、この句「鼻から描いてゆく」だったらどうだろう。ふ~む。それほど寒さを感じないな、耳からだとちょっとおぼつかない線ではじまる、そんな気持ちがして、寒いよって思うかも。あまり理由をあれこれ思ってもダメ、しかし、「寒さ」と最後においたのが寒さを決定した。 蛇穴に活字は水に溶けにけり この句、Pさんだけでなく、校正のIさんも好きな一句であるということ。「蛇穴に入る」が秋の季語。これもこの句を体感するかどうか、ということなのか、実はわたしはよく分からないのである。感性が鈍いのかもしれない。「活字は水に溶け」るということ自体も飛躍があって、そこに「蛇穴に」である。ああ、そうか、この「活字は水に溶け」るというのは、紙にかかれた文字が水に溶けつつあるような事態を想像すればいいのか、いろいろな飛躍を含んだ一句と思えば面白いのかもしれない。わたしの想像力が貧困かもね。 小さき子の小さく皮剥くみかんかな なんと可愛い一句だろう。「みかん」という季語がもっとも愛らしく詠まれた一句だ。目の前にその小さな子に剥かれていく蜜柑が浮かんでくる。小さな手が剥いているのであるが、小さな手とは言わず、「小さく皮剥く」でより具体的に蜜柑に寄り添うことになった。わたしは読み過ごしてしまっていたが、いい句だと思う。 アイロンを広く滑らす葉月かな この一句はわたしの好きな一句である。本句集には、ああいいなって思う句はたくさんある。気持ちが健やかになるそんな一句に出合うことがおおい。この一句は、アイロンがけの一句である。季語は「葉月」、九月のことだ。「葉月」なんていう言い方、なんと素敵な言い方だろうって思う。いいね、日本語とも。新涼の爽やかな季節となるとアイロンがけも大汗をかかなくてすむし、楽しい仕事となる。「広く滑らす」で著者がアイロンがけを楽しんでいる様子も見えてくる。そして「葉月」である。夏が終わって収穫の季節を迎えようとしている生産的な意気込みまでも見えてくるような、そんな一句とも。 アサヒビール大山崎山荘の庭にあるブロンズの彫刻、『ボールをつかむ鉤爪(かぎづめ)の上の野兎』(バリー・フラナガン作)。その姿は、今まさに飛び跳ねようとする瞬間を捉えているように見える。三メートルを超える兎は細くデフォルメされ、後足が巨大な鉤爪の上に乗っている。勝手ながら、私の俳句の守り神にしており、この句集のタイトルとした。 初学のころ「日々眼前に繰り広げられる現実は、どの一瞬を輪切りにしても一つの俳句にできる。8ミリ映画で言うなら、流れるフィルムの中の、ある一つのフレームが一つの俳句だと思えばよい。」というような論を読んだ。そんな過ぎ行く現実に対して、自身の脳から生まれる幻想や記憶を直感的に速いスピードで関係付けて行けたら、俳句はスリリングなものになるだろう。何れにしても、生きている限り現実がある、というのは有難いことだ。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ブロンズ兎万緑をいつも跳ぶ による。ほかに、 空缶の尖りて光る鳥の恋 哲学なのか宗教なのか梅ふふむ 半分に切つてますます春キャベツ 冬凪へ乳白色の母の声 鮎跳ねて辞書の表紙の色褪せて 青空のたつぷりとあり葱坊主 本句集の装丁は和兎さん。 帯の色は、フランスの伝統色の Rose corail (ローズ・コライユ)、珊瑚色のピンクとある。 赤すぎず、大人っぽいピンクである。 珊瑚の色とあるから、海を感じさせるのもいい。 タイトルと名前も同じ色である。 扉。 575の言葉が音を立ててながれるせせらぎ、それが藤井さんだ。 藤井さんの句をめぐる話題が、さざ波のように、または微風のように、あるいは道端のイヌフグリの花のように広がったら、とてもすてきだ。 帯に書かれた坪内稔典さんの言葉である。 さくらさくら念の為にと速達に 好きな一句である。どんな手紙なのだろう、桜の満開の季節に投函された手紙って。きっと大切な手紙なんだろうと思う。だって念の為と速達にするくらいだから。リズムがよくて、そう、すぐに覚えてしまう一句である。作者の思いを伝えようとはやる心がこちらにも伝わってくる、そんな一句だ。そう、「さざ波のように」「微風のように」。
by fragie777
| 2019-10-25 19:41
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Comments(2)
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