カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
10月22日(火) 旧暦9月24日
雨の一日ではじまった。 即位礼生殿の儀をテレビで放映していてすこしの間ぼんやりと見ていた。装束の白、供えられた食材をいれた白木の器など、白という色はなんと清しい色なんだろうなんて思った。 しかし、昼から出かける用事があったことを思いだす。 寒い一日である。 こんな日はセーターを着たくなる。 ということで、 急遽衣替を30分でやった。 衣替えをしながら、実感したことは、それなりに生きているとセーターというものの数は増えるものであること。 まあ、よくもぞろぞろと出てくるセーターであることよ。 適当に押し入れに突っ込みながら、ややため息をついたのだった。 セーターは、ある程度伸縮自在であるので、体重の増減にもそれなりに適合してくれるから始末がわるい。 着られなくなったから捨てようという理由がなりたたない。 そういうわけで、かさばるセーターをぐいぐいとタンスに押し込み、セーターは悲鳴をあげんばかりであった。タンスの引き出しを引けばわがセーターは勢いよく飛び出すであろうとも。 出先で見上げた雨に濡れた金木犀。 (唐棉(とうわた)という花であると教えていただいた) 雨に濡れて色鮮やかである。 今日は「白」という色の美しさを感じた日なので、田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』より、10月23日のものを紹介したい。鑑賞は森賀まりさん。 しろい昼しろい手紙がこつんと来ぬ 藤木清子 しろい昼に届いたこの一通の手紙は遠い記憶のようだ。色のない世界に「こつん」という音だけが響く。いつもからっぽの郵便受けに乾いた音がひとつ。本当に手紙は来たのだろう。だがそれは手紙が届いた音というよりも、まるで作者の孤独がたてた音のようだ。 作者藤木清子は、生年、出生地不明、昭和11年、夫と死別を機に神戸に転居。日野草城の「旗艦」創刊に参加し、新興俳句の担い手として女流では初の同誌同人となった。掲出句の他にも「ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ」「からたちのやはらかきとげ昼ながし」など自らの孤独を見つめる詩情は、昼という明るさの中でいっそう冴えていて痛々しい。 昭和15年10月「ひとすぢに生きて目標うしなへり」などの句を最後に消息を絶ち、その後は不明。掲出句は『女流俳句集成』(立風書房刊)所収。(無季) 藤木清子は、セーターを何枚くらい持っていたのかしら、 ふっとそんなことを思った。 セーターをたくさん持っていたって孤独は埋められないけれどさ。 ↑こんなこと思う自分を馬鹿だなあっておもってますが。。。。。
by fragie777
| 2019-10-22 23:17
|
Comments(2)
|
ファン申請 |
||