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10月14日(月) 体育の日 旧暦9月16日
橡(とち)の実。 栃とも書く。 美味しそうだけどこのままでは食べられないらしい。 種には澱粉が多く含まれるが苦いので水でさらしアク抜きして、橡餅や橡団子にして食べる、と歳時記にある。 わたしは小さい頃郷里の秩父で食べた記憶があるが、粟餅や橡餅よりも白いお餅のほうが好きだった。 いまは食べる機会があまりない。 その風味や舌触りをいまでも覚えている。 なつかしい味がよみがえる。(今から思えばある意味なかなか贅沢だったかもしれない) 名栗の橡の木。 この木の下にたくさん実が落ちていた。 橡の実と言ひて拾ひてくれしかな 高濱虚子 今日は体育の日で祝日であるが、大阪からお客さまがおふたり見えられた。 俳誌「かつらぎ」の森田純一郎・教子ご夫妻である。 森田純一郎氏は「かつらぎ」主宰、教子氏は「かつらぎ」編集長。 今日は、「かつらぎ」前主宰で御尊父である森田峠氏の全句集のご相談に見えられたのだ。 「かつらき」は今年「創刊90周年」を迎えられた。 阿波野青畝、森田峠、森田純一郎と引き継がれた伝統ある結社である。 2013年に森田峠氏が亡くなって6年となる。 来年の2020年の6月6日の忌日までの刊行をめざしての全句集である。 今日はいろいろな資料をご覧になって、造本や体裁、編集作業について打ち合わせをさせていただいた。 森田純一郎・教子ご夫妻。 東京にはご長女がおられる。 昨日は、そのご長女が結婚されたフランス人のご主人のご両親がフランスから日本に来日され、深大寺を案内されたという。 「とても喜んでいました」と森田ご夫妻。 俳誌「かつらぎ」9月号をご持参くださった。90周年の特集号である。 純一郎主宰のご挨拶の一部を紹介したい。 青畝先生はいろんな多方面のことを詠む一種の天才肌の俳人だったんですが、峠はそんな器用な人間ではなく、息子の私から見ていてもそうだったんですが、写生一筋でした。家族で旅行に行っても、突然じっと立ち止まる。子供にとってはとても退屈だったのですが、そんなことはお構いなしで俳句を作るという父は、写生を貫き通した一生でした。「峠俳話」に「写生句を作るのは心を純粋に保ちつづける為である。写生句を極めることによって心の純度は高くなっていくのだ」と述べていますが、対象物に真剣に向かい合って、此処だと思ったら全然動かないんです。そこで何かの感動が生まれるまでじっとしている。そしてそれが五七五になるまで句帳に書き留めない。最近「俳句四季」に「私の俳句手帳」というものを書きましたが、峠からは完成してないとあかんぞ、そうしないと俳句が下手になるぞ、とよく言われました。なかなか大変ですが、初心の頃読んだ波多野爽波の俳句スポーツ説、多作多捨の作り方、考え方に影響を受け同感しまして、吟行に行ったら最低三十句は作る。しかも出来た状態で作る、ということを今もやっております。 (「かつらぎ」9月号「主宰の挨拶」より) 台風が来る前にご上京され、台風が去った後、飛行機で大阪に帰られた森田ご夫妻であった。 「森田峠全句集」については、ご縁をいただいて刊行させていただけるのはとても嬉しいお仕事である。 わたしは、牧羊社勤務時代に森田峠第2句集『三角屋根』(1981年刊)の編集担当だった。 長い時間を経てこうしてふたたび森田峠作品の仕事をさせてもらえることを不思議な巡り合わせのように喜んでいる。 頑張ります!
by fragie777
| 2019-10-14 18:37
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