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10月10日(木) 旧暦9月12日
この赤い実はなんだろう。 よくクリスマスリースに使われる実かな。。。 でっかいクリスマスリースのよう。なんちゃって。 今日は急に寒くなった。 クローゼットのなかの夏物が寒々しく思える。 (更衣しなくっちゃ……)←今更!! ![]() とつぶやきながら、わたしはオレンジ色のソックスを穿いたのだった。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯あり 208頁 二句組 著者の鈴木恭子(すずき・きょうこ)さんは、昭和10年(1935)東京生まれ、現在は東京都調布市在住。平成10年(1998)「沖」入会、能村研三・林翔の指導を受ける。「沖」同人を経て、平成19年(2007)年「対岸」入会、今瀬剛一に師事。現在「対岸」同人、俳人協会会員。本句集は、平成11年(1999)より平成30年(2018)の20年間の作品を収録した第1句集である。序文を今瀬剛一主宰が寄せている。 今句集『歌がるた』を通読して私は不思議な落ちついた静けさと明るさ、爽やかさの中にいる。そしてその理由がこの句集のもつ温かさ、健康的な上品さにあることを納得するのである。 「歌がるた」という句集名は 身を捨つる恋もありけり歌がるた の作品に因んでつけられた。この作品の上五から中七へかけての激しい叙情は「歌がるた」という措辞を得て見事に品良く温かく収まったのである。叙情を信条としながらもそこに明るい諧謔性を利かせているこの作品は、この句集名としては最もふさわしいものではないかと思う。この遊び心が俳句では大切であると私は考える。 序文より抜粋して紹介した。今瀬剛一主宰はたくさんの句をとりあげて鈴木恭子さんについて語っておられるが、この一文は鈴木恭子という俳人のすべてを語っていると思われるので紹介した。 今瀬主宰がとりあげていた句を少し抜粋する。 母の辺に声の集まり十三夜 金魚玉少女の怒り瑞瑞し 久方のひかりの中の梯子乗り 里帰りしてなまはげに追はれけり 賑やかに生まれ音なきしやぼん玉 穂絮とび沼の光に紛れけり 土踏まずくつきり見せて泳ぎをり その奥に人声のあり今年竹 蛇苺まつ赤に熟れて愛されず 鈴木恭子さんのお住まいは、調布市となっているが、ふらんす堂同じ調布市である。ご近所のよしみでこの度ご縁をいただいたのである。 「近くていいわ」とおっしゃって本が出来上がるまでに何度か足をお運びくださった。 本句集の担当は文己さん。 神鶏の固まつてゐる余寒かな かたかごの花の数だけ風見えて 良き事を拾ひ読みして日記果つ 金魚玉少女の怒り瑞瑞し 少年に夏山のあり祖父のあり 丁寧語思はず崩れかき氷 ふらここを大きく漕ぎて父待てり かたかごの花の数だけ風見えて 「かたかごの花」は「片栗の花」の別名だ。「片栗」と発音するよりも「かたがご」と発音したほうが、優しい響きがある。この一句、「か」がところどころにおかれて調べがとてもいい。「片栗」であったなら調べがすこしシャープになったかもしれない。かたかごは小さな繊細な花である。その花が震えるように風に吹かれている。かたがごが小さく震えているから風があることを知るのだ。それを「風見えて」と表現した。 金魚玉少女の怒り瑞瑞し 今瀬剛一主宰も序文でとりあげておられた一句である。少女が何で怒っているのかわからないが、金魚玉との取り合わせがとても新鮮だ。真っ赤な顔をしてほっぺを膨らませた少女が金魚玉の向こうにいるのだろうか。「怒り」を「瑞々しい」なんて言ってもらえるのは少女の特権かもしれない。少女の怒りも瑞々しく、金魚玉の中で泳ぐ金魚もきっと瑞々しい。 蛇苺まつ赤に熟れて愛されず 今瀬主宰があげていた一句だが、一寸笑ってしまった一句である。「○○苺」ってついたものは、大方食べられる。草苺も、花苺も、だけど「蛇苺」だけはダメ。草道を歩いていくと決まってその真っ赤な実が現れる。あまりにも充実した赤なので美味しそうに見えて、思わず手をのばしそうになると、「だめ!!それは食べちゃ、すごくマズイのよ」なんて、誰かが叫ぶ。思わず手がとまってしまう。なんで「蛇苺」なんて付けられたのだろうかと思うほど実は可愛いのに、知らずに口に入れた人間を大きく裏切るから憎まれているのかも。この一句、蛇苺の人知れぬ悲哀を詠んでいる。 土踏まずくつきり見せて泳ぎをり 泳者の姿を眼前にするような一句である。「土踏まず」で決まった。泳ぐとき「土踏まず」が見えるかどうかなんて金輪際考えたこともなかったが、土踏まずはきっと見えるのだろう。「土踏まずくつきり見せて」で、その泳者がたくみな泳ぎ手であって美しいフォームで泳ぎさっていくそんな思いを抱かせる一句である。「足の裏」としたら説明になってしまうが、「土踏まず」と表現したことによって人間の立体的な肉体が見えてくる。しかも泳ぐときにそれがしなって大きく凹んで水しぶきをあげている景まで立ち上がってくる一句だ。 俳句は私の人生に幸せな出会いを授けてくれました。カルチャー教室の俳句講座で十七文字の文学の奥深さに魅了されて「沖」に入会し、能村研三先生、林翔先生にご指導をいただきましたが俳句の面白さが少しずつ分りかけた頃母が亡くなりました。その喪失感は大きく俳句を続ける気力を失い「沖」を退会致しました。事情を知った友人に背中を押され今一度俳句に挑戦しようと予てより直にお声をお聞きしたいと思っておりました今瀬剛一先生の「対岸」の門を敲きました。今瀬先生と「対岸」の皆さまは誰よりも真摯に俳句と向き合い切磋琢磨されています。そのお仲間に入れていただき今瀬先生の仰る「自分が受けた感動を自分の言葉で伝え、共感を得られる句」を詠めますよう挑戦を続けております。その今瀬先生の下で句集を上梓出来ますことを大変幸せに思っております。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 「歌かるた」というタイトルに響き合うもの、というのが著者の鈴木恭子さんのご希望だった。 君嶋さんが用意したラフイメージの中からこれを鈴木恭子さんは選ばれたのだった。 なかなか格調高い。 表紙。 渋い紫色の用紙である。 見返しには金、銀が品よくまぶしてある用紙。 扉のみ光沢のある用紙を用いた。 色鳥やむさし野に水湧き続け 句集『歌がるた』が世に温かく迎えられることを心から願っている。 「序文より」 草虱つけいきいきと老ゆるなり この気概、いいんじゃないですか。こうでありたいと思ってしまう。「草虱」は植物で、今の季節野をあるけば、きっと身体のどこかにくっついてくる。「虱」なんて名前が入っているとちょっと敬遠したいけど、鈴木恭子さんは、へいちゃらである。そんなことはお構いなしに野山を散策し自然をたのしみ、老いに向き合っていこうとする。「いきいきと老ゆる」とは、老いて行くことから目をそむけず前向きに受け入れていこうとすることなんだと思う。いつまでも若くありたいというのとは違う。この腹のくくり方はなかなか立派だと思う。しかも「草虱つけ」よ、なかなかここまでは腹をくくれないyamaokaである。
by fragie777
| 2019-10-10 19:48
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