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10月7日(月) 旧暦9月9日
秋明菊。 秋明菊にはピンク色もあるが、わたしは断然白が好きである。 今日は秋らしい日となった。 久しぶりで和服を着たせいか、今日は下半身の筋肉が歩くと痛い。 日頃使わぬ筋肉をつかった所為だろう。 昨夜は8時頃、家に帰ってすごい勢いで着物を脱ぎ散らかし、黒のTシャツとコットンパンツにはきかえ、薄手のコートを羽織って(まるでおっさんだな)と思いなら、仕事場に車を走らせ、ブログを書いた。 書き終えたのが10時過ぎ、(写真を加工したり、録音を聴いたり、結構時間がかかるのね)、商店街をあるいていくと商店街は人通りがとだえることもなく、さいきんとみにふえたキャバクラの女子たちが通りに立っていたり、男子がさかんに呼び込みをしている。昼間の賑やかさとはまたちがう賑やかさであった。 新刊紹介をしたい。 宿谷晃弘句集『野菊』(のぎく)。 A5判ペーパーバックスタイル 72頁 四句組 第1句集シリーズ 著者の宿谷晃弘(しゅくや・あきひろ)さんは、昭和52年(1977)東京生まれ。平成6年(1994)「狩」に入会、鷹羽狩行・片山由美子に師事。平成18年(2006)第28回狩座賞を受賞。「香雨」同人。本句集は、初学の頃から平成30年までの作品を収録した第1句集である。序文を片山由美子主宰が寄せている。 序文によると、片山主宰は、著者を高校生の時から指導をされていたようだ。「ぼくは山口誓子が好きです」という少年。純粋で、思慮深さをただよわせているがどこかぎこちない少年。友人もできずひとり図書館に籠もる少年、社会生活がおくれるだろうかと心配をしたようであるが、大学生活をそれなりに楽しみ、大学院を経て、就職という問題が迫ってきた。句集はそのあたりからのことから始まっている。 本句集は、一人の男性が就職をし伴侶をみつけ結婚し子育てをしていくという過程を俳句によって記したものであると言ってよいと思う。 片山由美子主宰は、宿谷さんの俳句をとおしてその人間の成長と俳句の学びの成長をあたたかな眼差しでみつめ、心を寄り添わせながら序文を書き進めている。そのおりおりの生活の日々を詠んだ作品をとおして宿谷さんがもっている表現する力を見逃さずそれを的確に言及している。抜粋して紹介したい。 就職を急かされてをり百千鳥 青芝へ職なき足を放り出し サングラスおのが言葉に傷つきて こうした作品が鬱々とした日々をよく示している。それが単なる心情の吐露に終わっていないのは、季語に心を託す術を身につけているからだろう。 とんばうの翅金網を弾きけり 団栗の青きを吞みて雨の川 まばらなる人出に灯し菊花展 ものをきちんと見て描写することもおろそかにしていない。視覚的印象が鮮明な句は案外多いのである。 無花果の果肉泡立つごときかな 葉牡丹の渦の白さの押合へり 冬麗や紙のごとくに鳩の舞ひ この三句に見られるような把握は平凡ではない。 本句集の後半は結婚して充実した日々をやや手放しの感で、俳句に詠む。それについては、 後半の愛妻俳句、育児俳句は作品として甘いと言われるかもしれないが、人生のかけがえのない日々を句集にとどめることは許されていいと思う。間もなく第二子も誕生とのこと、ますます人生の、そして俳句の幅が広がることを期待したい。宿谷くん、おめでとう! と、心からのエールを送っている。 本句集の担当は、Pさん。 夏シャツを帆とし少年橋を越す 青芝に職なき足を放り出したんぽぽに日なたの厚み増しにけり 風邪引いて妻子に遠き心地かな 青芝に職なき足を放り出し 「青芝」が季語であるが、生命力盛んな芝草の力と青々とした生気がもうそれだけで伝わってくる。青芝はどんな人間の足だって受け入れる。すらりと伸びた美しい女の足も、やわらかな嬰児の足も、犬の躍動する足も、だからそこに「職なき足」があったってかまわない訳である。しかし、この足、青芝の強靱さにたいしてなんとも心許なき足である。「放り出し」た足の持ち主の心情が痛いほどわかる一句である。「職なき足を放り出し」たことによって、求職活動の重みから自身を解き放ったいっときの安堵感がうかがえる。そして、青芝に癒やされた足を回収するのである。 たんぽぽに日なたの厚み増しにけり この一句には、著者の屈託感がある。たんぽぽは生命力のある野の花である。お日さまの日差しをたっぷりその小さな花にうけていよいよ明るくかがやく花、踏まれても首を昂然とあげて咲く、そんな日差しを跳ね返すような野生の花である。そのたんぽぽに日なたの厚みを見、それがさらに厚くなったという。小さなたんぽぽには息苦しいだろう。たんぽぽを見下ろす著者の鬱屈した感情がたんぽぽに差す日差しを重たくとらえたのではないか。ふっとそんな風に思った。「日なたの厚み増し」たという表現は面白いが。 涼しき灯重なりあひてさみしき灯 わたしはこの一句、面白いと思った。涼しき灯が重なって「さみしき灯」となったというのである。これは詩人の目だ。著者の心情を映しだしているのかもしれない。「さみしく揺れる」とかいうのでなくて「さみしき灯」となったという断定がいい。しかも「重なりあひて」で手が込んでいる。「涼しき灯」から「さみしき灯」への飛躍、あるいは化学変化(?)は、まるで錬金術のようにわたしには思える。 身籠りて木犀の香に睡るなり 妊娠して眠る妻を金木犀の香りが取り囲んでいる。なんとも安らかなひとときである。「木犀」の香りが一句をより効果的にしている。眠っている妻のみならず、胎児にもこの優しい香りは母親を通して届いているかも知れない。眠る妻をみている著者自身がその香りに満たされているのだ。安らかな他者をみることによってもたらされる安堵感、そのとなりの一句は、「われ父となるやもしれず曼珠沙華」、自身の内面をみつめるとやや心配で落ち着かないものがあるのだろうか、「曼珠沙華」の燃える赤とその複雑な構造が、そんなことを感じさせる。 振り返ってみると、常に鬱屈した思いを抱えて生きてきたように思う。血縁・地縁、学業、自分の性質等、諸々のことが絶えず私を苦しめてきた。それが私の句や行動を強く束縛してきたことは否定できない。だが、妻と出会え、子に恵まれ、父母に子を抱かせることができ、そして妻子とともに故郷を離れたいま、私も少し「硝子戸を開け放って」(『硝子戸の中』)、自分や世間を優しい目で眺めてよいかもしれないとも感じている。たとえ、「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない」(『道草』)のだとしても。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は和兎さん。 第一句集『野菊』をここに上梓させていただく。私が、細々とでも句作を続けてこられたのは、片山由美子先生の御指導と激励があったからに他ならない。 親子三人野菊とともに吹かれをり 句集の巻末におかれ、句集名となった一句である。 ここにいたるまでのやや屈託をもった一人の青年の人生が、本句集にはつぶさに詠まれている。 とんばうの翅金網を弾きけり この一句、とくに好きな句である。金網を弾く強さをもった虫の翅を考えると、蜻蛉意外には考えられない。蜻蛉と金網の一瞬の出会い(?)を、すばやく物質感覚をもって言い止めた。郷里の家では、蜻蛉がよく家の中に飛んできた。網戸の金網に衝突し一瞬バタバタし方向をかえて飛んでいく。その網戸にふれたときの感触がこの一句で蘇った。
by fragie777
| 2019-10-07 20:09
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Comments(6)
白のシュウメイギクいいですね。
家を建て直す前は、我が家も白が優勢でしたが、今の家になって、白が少なくピンクが優勢に。秋になると白頑張れと応援してます。 息子なように若い方の俳句いいですね。(学生時代の国語の時間以来、俳句ご無沙汰の私が、言うのもおこがましいのですが。)
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昨日は、ご臨席ありがとうございました!!
本日は、35周年記念吟行句会を行いました。その席で、山岡さまのブログのコメントを、会員の前で係が披露させていただき、みな、感動しておりました。 そして、お草履の件・・・、そんなことが起こっていたとは!! 実は私も、古い草履(しかもウレタンの)で、ぼっこり、裏側が剥がれ落ちたことがありました。ああいうときの、絶望感・・・。ご無事にご帰宅、ようございました。 記念大会に鍵和田主宰がご挨拶できなかったことは残念でしたが、ご来賓の皆様が、楽しんでくださったようで、ほっとしております。 今後とも、いろいろお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします!
石地まゆみさま
昨日はお疲れさまでございました。 とても良い会でした。 コメントをありがとうございます。 昨晩は若々しい空気があって、とても活気に満ちた会でした。 鍵和田先生のご快癒をお祈りしております。 あの明るい笑顔にまたお会いしたいです。 草履の件、お恥ずかしい次第です。 「集成」のことでは、いろいろとご尽力をいただきますが、よろしくお願いいたします。 (yamaoka) ![]()
コメント欄、一日ずれていましたね(-_-;)
失礼いたしました。 「集成」の件、一度お目にかかりたいと思っておりますので、また連絡させていただきます。 なお現在、「WEB三和書籍」というサイトにて、歳時記の話を書かせていただいております。 お時間のある時にでも、ちらりと見てやってください。 写真も今のところ、ほぼ、私の写真でございまする。
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