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9月30日(月) 旧暦9月2日
コスモス(秋桜)。 名栗の川沿いに咲いていた。 今朝朝刊のテレビ欄をみていたら、こんど新しくはじまるNHKの朝ドラの主人公の名前が「喜美子」であることを知った。 (へえ-。そうなんだ。同じ名前じゃん) とわたしは思いすこし興味をもった。実はNHKの朝ドラはほとんど見ないのである。 ドラマでは、「喜美(きみ)ちゃん」と呼ばれるらしい。 (へえー、そうなんだ。。。)とふたたび。 さらに「おてんば喜美ちゃん」なんですって。 わたしはどっちかというと「恥ずかしがり屋」だったな。 元気はつらつとした「喜美ちゃん」が登場することであろう。 昨日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、小川軽舟句集『朝晩』より。 玄米の新米なればさみどりに 小川軽舟 「さみどり」がとてもきれい。そして、なんとも新米がうまそう。句集「朝晩」(ふらんす堂)から引いたが、この作者には「蜂の巣の太り新米とどきけり」(句集「手帖」)もある。私も今、ひそかに新米を待っている。と、書いたので、「ひそか」ではなくなったが、送ってくれそうな人が2人いるのだ。わが家でも蜂の巣が太った。 新刊紹介をしたい。(目下オンラインショップが停止中なのでリンクはできません) 月野木潤子句集『和草(にこぐさ)』 四六判ソフトカバークータ-バインディング製本帯あり。 208頁 二句組。 著者の月野木潤子(つきのき・じゅんこ)さんは、昭和11年(1936)東京生まれ、現在は横浜市にお住まいである。俳句は、序文によると角川書店に勤務されたいたときに「俳句」編集部の大野林火、秋元不死男などを知り、身近にかんじることはあったが作句までには至らず、その後結婚をされてライターのアルバイトをしていた時に、編集者に誘われて句会に参加したのが始めてであるという。その後、昭和50年(1975)のこと、そのご結社には所属せず、平成17年(2005)に横浜市の地域の句会に参加。平成21年(2009)俳誌『ランブル」に入会、平成24年(2012)「ランブル」新人賞受賞をされた。俳人協会会員。本句集には、上田日差子主宰が序文を、ピアニストの小形眞子氏が帯文を、ご長女で「知音」で俳句を学ぶ月野木若菜さんが、言葉を寄せている。昭和58年(1983)から平成31年までの句を収録した第1句集である。 帯文を紹介したい。ピアニストの小形眞子さん。「句集『和草』の旋律感!!」と題して、 音律が際立ちフレーズの美しさが群を抜いている。 奏でる音色の中に色彩を表現する「音楽という演奏芸術」と共通の”絵画的な情景感”に満ちた句集。二拍子 三拍子、四拍子 変拍子までもが巧みに詠まれていてアクセントが随所に感じられる。 そして休符まで透けて見えるような”人生”を楽しめるのです♪ 序文を書かれた上田日差子主宰は、丁寧に著者の生い立ちやこれまでの人生を通して俳句との関わりを紹介し、たくさんの句をあげて月野木さんの美質に迫る。古典の素養も深く、歌舞伎鑑賞、食べること等々趣味の世界も広い著者である。一部のみ抜粋して紹介したい。 初蝶のまだ黄となれぬたまご色 熊谷草滅びの色を背負ふかな 月見草瑪瑙のいろに萎れたり 地中海ブルーの大羽鰯かな 色を詠まれた句は多い。初蝶は「たまご色」、熊谷草は「滅びの色」、月見草は「瑪瑙のいろ」、大羽鰯は「地中海ブルー」と、視覚のみならず、対象物の生命の色を映し出している。五千石の俳句持論に「眼前直覚」があるが、事物の存在を生命がけの自分だけの眼で捉えることである。固定観念を捨て去って自身の眼を信じる。それゆえに、捉えた色が読む者の心に訴えるのであろう。 母が子に子が母に編むクローバー 若菜さんと潤子さんは、俳句という固い絆で結ばれている。そう考えると、「母が子に」「子が母に」という措辞に、言わずとも知れた互いの思いやりが秘められているであろう。俳句も言葉を編むもの、また絆も編むことを重ねて強くなるもの。「クローバー」の眩しい純白が母子の象徴であることは確かである。 ご長女の月野木若菜さんは、「娘として句友として」という巻末の一文で、 気楽に俳句と親しんで来た母が、「ランブル」の門を叩いて早や十年。門前の小僧だった私も、同年に、「知音」の初心者教室に飛び込んだ。パールピン クの揃いの電子辞書を買って、さながら気分は同級生。今、母は本を開いたかと思えば、たちまち歳時記、句集、図鑑、参考図書を持ち出しては半径一メートルを占領。リビングや炬燵が母の書斎と化し、「言葉のセレンディピティ」 の世界を遊泳する。この集中力と好奇心には、娘として、また句友としても舌を巻く。 おなじ俳句を学ぶものとしてお母さまのことを尊敬の眼差しで見ておられる。 本句集の担当は、Pさん。 パセリ刻む手の平にパとセとリ 打ち伏して箔となりたる冬の蝶 小網さして小鮎のひかり掬ふかな 雨戸閉て木犀の香を外に返す 蟻の曳くもんを見てゐる楸邨忌 鳥どちは水見せ花は空を見せ パセリ刻む手の平にパとセとリ この一句、とても面白い。なんとも柔軟にものを見る方であろうか。「パ」と「セ」と「リ」が刻まれて乗っているという。「パとセとリ」という表現がとても音楽的にひびき、白い手のひらに緑色のパセリの葉片が楽しそうに乗っている、こんな風に料理ができたら人生もきっと楽しくなるんじゃないだろうか。 打ち伏して箔となりたる冬の蝶 これもあざやかな一句である。「箔」という喩が見事である。伏したまま凍り付いた冬蝶なのだろうか、眩しく光を帯びている、それを「箔」と喩えてみせた。「冬の蝶」なればの一句である。 蟻の曳くものを見てゐる楸邨忌 この一句に、わたしも眼がとまった。楸邨の蟻の句を思い出した。「蟻殺すしんかんと青き天の下」。著者の月野木さんもきっと楸邨の蟻の句が心にあったのだと思う。ほかの蟻の句であったかもしれないが。蟻が何かを曳いていく、それをじいっとみているうちそこに蟻と向き合う楸邨の姿が彷彿としてきたのか、「蟻の曳くものを見ている」という時間、そこに流れる無為な時間、ふっと蟻に向き合う楸邨の姿が立ち現れる。月野木さんが角川書店に勤務され「俳句」の校正のお手伝いなどをしていたときに、あるいは楸邨に会うこともあったのではないか。そんなことを感じさせる一句である。 夏芝居くび美しく絞められて 上田日差子主宰も序文であげておられたが、面白い一句だ。「くび美しく絞められて」にドキッとさせられる。夏の芝居は、衣装もかろやかで肉体の線がきわやかに分かるものが多い。余計なものがないだけ人間と人間の肉体のかかわりも明瞭にみえる、伸ばした手のうごき、あお向けになってしなる首、死につつある人間のもだえを「美しく」として意表をついてみせた。 この度は 日差子先生の後ろ楯を得て、第一句集 『和草(にこぐさ)』 の上木が叶いました。句集名は、私の育った富山県高岡市に、越中守として赴任していた大伴家持の歌『秋風になびく河傍(び)の和草のにこよかにしも思ほゆるかも』に依ります。家持像の立つ古城公園は、高校への通学路。和草は、生えたばかりの柔らかい草のことともアマドコロの古名とも言われますが、「にこよかに」の言葉を引き出す序詞でもあります。とかく眉間に皺が寄りそうな此の頃を、より、にこやかに過ごしたいと願う思いも込めての句集名です。 「あとがき」の一部を一抜粋して紹介した。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 ご本人の希望はふたつ、タイトルを赤の文字で、帯を変化に富んだものに、ということであった。 帯は上の部分を丸く凹ませて動きのあるものにした。 帯を書かれる方が音楽家の方であるので、メロディがながれるようなそんな曲線をいかして欲しいということだった。 こんな風に帯をカーブにしたのはふらんす堂でもはじめてである。 裏側。 帯をはずすと、 カバーをとったところ。 見返しは淡いおちついたグリーン。 扉。 扉の用紙には細やかな綺羅がある。(わかるだろうか) クータ-は、カバーとほぼ同じ色。 帯のカーブが楽しい上品な一冊となった。 昨日まで見えなかったものが、今日見えてくる。そのような感覚を、人生においても俳句においても持つことがある。これからも、新たなポエジーの世界が潤子さんに開示されて行くことであろう。 集名の「和草」のかもしだす柔らかさと和(にこ)やかさは、潤子さんの詩精神の柔軟性を映し出している。 ふたたび序文より。 初蝶のまだ黄となれぬたまご色 わたしの好きな一句である。「たまご色」にやられた。こんな色の初蝶をあるいは私たち誰もが見ているかもしれないが、こう言い止めたのは、著者がはじめてだろう。初蝶は「黄色」って思っていて誰もがその「黄色」を疑わないが、しかし、黄色くなっていく前の「たまご色」の段階だってあるのだ。「うす黄色」とかではなくて「たまご色」と詠んだところが、理屈を超え、飛躍があって、物質感があって、そして納得できる。 今日はお客さまがひとりいらした。 木村文(あや)さん。 木村さんは、お茶の水女子大の大学院生である。 リトアニアの博物館の研究をされている。 リトアニアについて、超絶詳しい方のようである。 (リトアニアって地球上のどの辺にあるかってご存じ、あるいはその国家の歴史は成り立ちなども) 恥ずかしながら、わたしは、ほとんどわからず、木村さんが口頭でシンプルにして明確に教えてくれていまはその国の位置をおおよそわかる) 今回のご来社の目的は、リトアニアの女性詩人の詩を翻訳して自費出版されたいということ、そのご相談である。 一週間ほど前にこんなメールをいただいた。 リトアニア語の詩の本「Anksti ryt?(朝早くに)」の対訳の本を考えています。 翻訳は私がしております。 37編の詩が収録されており、原書のページ数は74ページです。 1920年代に出版された本で、著者は1945年に死亡しており、著作権の保護期間は終了しています。 リトアニア文学史上でも重要な作品とされているものであり、来年2020年に予定されているリトアニア政府による日本との関係強化年間にむけての出版を目標にしています。 わたしは俄然興味をもったのである。 詩人の名前は、「サロメーヤ・ネリス」女性である。 1904年に生まれ、1945年に亡くなっている。 詩集は、23歳の時に書いたものを一冊にして刊行した。 それを木村文さんが翻訳して世に出そうというのである。 翻訳をすこし読ませてもらったが、若い詩人の明るさに満ちていて読みやすいものだ。 今年末の刊行を目指したいということ。 担当は木村さんと同じ歳の文己さんがやることになった。 ふたりとも20代、そして20代のときに書かれた女性詩人の詩集を刊行する。 木村文さん。 「リトアニア語の通訳をしたり翻訳をしたりしていますけれど、詩の作品の訳ははじめてなのですこし緊張してます」と木村さん。 ふらんす堂の書棚にリトアニアの詩人の詩がはじめて並ぶなんて、とても嬉しいです。美しい本にしましょう、とyamaokaは申し上げたのだった。 これは、リトアニアで紹介された木村文さんの写真であるということ。 お婆さまより貰った着物を着ておられる。 なかなかユーモラスな写真である。
by fragie777
| 2019-09-30 19:39
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