ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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作文の書けぬ子残れ……

8月27日(火)  旧暦7月27日


作文の書けぬ子残れ……_f0071480_18303960.jpg


金水引の花。


作文の書けぬ子残れ……_f0071480_18303634.jpg

山雀亭に咲いていた。




今朝のこと、出勤途中のふらんす堂へ向かう道すがら、ふと掃いている麻のパンツの左ポケットのところに手をやった。
あらまっ、
ポケットのすぐ下に穴があいている。。。。
よくよく見ると下着の一部がみえるではないか。
黒の麻のパンツで下は白っぽいのでちょっとマズイ。
ほんの1.5センチくらいの穴であるが、気がついてしまうと、どうもね。
仕事場について、
「ねえ、誰かお裁縫道具もってない?」と訊いた。
「これでよければ」と言ってPさんが差し出したものがこれ。


作文の書けぬ子残れ……_f0071480_18301714.jpg
小さなお裁縫セットであるが、なんと生意気なことに一通り揃っている。
わたしは借りてさっそく穴をふさいだのだった。

わたしのことだから、そりゃいいかげんにズボンをはいたまま上からちゃちゃっとね。
それでも穴のあいたズボンをはいているという意識から解放されて
すっかりいい気分。




新刊紹介をしたい。


寺澤始句集『夜汽車』(よぎしゃ)


作文の書けぬ子残れ……_f0071480_18293908.jpg

四六判ソフトカバー装  218頁  二句組


著者の寺澤始(てらさわ・はじめ)さんは、1970年東京生れ静岡育ち、現在は東京・杉並区のお住まいである。1990年大学時代に中世近世文学研究会の句会(谷地海紅指導)に参加したことがきっかけとなって俳句をつくりはじめる。1997年、熊本で「火神」「幹の会」に参加。1998年首藤真澄に師事、「火の神」同人。2001年「未来図」に入会し、鍵和田秞子に師事。10年ほど俳句を中断、2014年横浜の超結社句会「熱刀句乱舞」に参加して作句開始。2016年「未来図新人賞」受賞、2017年「未来図」同人となる。俳人協会会員。本句集は初期の句も収録し、俳句を中断していた時期も「暗黒期」と題しその当時を回想した句を収録し、現在にいたるまでの354句を収録した第1句集である。跋文を『未来図」の先輩である依田善朗さんが寄せている。選句は鍵和田秞子主宰。

跋分にて依田氏が「寺澤さんは自身の生活と俳句の距離が近い。「境涯俳句」に始さんの良さが発揮される。」と書かれているように、本句集には著者・寺澤始の人生が詠み込まれている。学校の先生であること、クリスチャンであること、父であり夫であり、精神的に病んだ時期があり、熊本時代のこと、東京での生活のことなどなど、読者は著者のこれまでの来し方を俳句を通してたどることになる。
寺澤始さんのよき理解者である依田善朗さんの跋分を抜粋して紹介したい。

 今日もまた答へ出ぬまま檻の熊
 橋梁の先に闇ある阿蘇の春

教師という職業は精神を病むこともしばしばある。教室でも職員室でも向かう相手は人間である。人間ほど相手にするのに難しいものはない。一つ歯車が狂えば、悩みの坩堝に陥る。純粋な寺澤さんもそんな時期をくぐりぬけなくてはならなかったのだろう。檻を行ったり来たりする熊に自身の姿を重ね合わせて実感のある句である。
次の橋梁の句も旅吟とは一線を画して、重みのある句だ。過去のことではあるが、今まさに景を見つつ創作している感じである。
今まで挙げてきた句からも窺われるが、寺澤さんは自身の生活と俳句の距離が近い。「境涯俳句」に始さんの良さが発揮される。自分の生活にこだわるからこそ、この暗黒の時期も記そうという気になったのであろう。境涯俳句を詠む俳人は現在俳壇でそう多くはないが、寺澤さんにはぜひともこの路線を進んでいただきたい。

 虹鱒やわれに二つの故郷あり

作者は東京で生まれ、静岡で育ち、東京の大学に通い、熊本に赴任し、そして今東京に居を構えて暮らしている。静岡と熊本が心の底にある。(略)
静岡、熊本、東京、その一つ一つに自分を形成しているかけがえのない思い出が詰まっている。作者はこれらの場所を夜汽車で行き来した。

このタイトルともなった「夜汽車」は、今はなきブルートレインのこと。寺澤さんにとっては忘れられない夜汽車である。
本句集の担当は、文己さん。

 三寒四温胎児宿せる瞳して
 少年の骨の硬さや春の雷
 おでん酒家族となりし縁思ふ
 玫瑰や自転車で行く漁師町
 魚焦がす店主の詫びの涼しさよ
 師の声の真ん中にあり冷おろし
 奥阿蘇の熾あかあかと山女焼く
 機関車の汽笛中也の夏空へ
 浜の辺に兄の影追ふ野分後


 機関車の汽笛中也の夏空へ

寺澤始さんは、かつて高校時代に中原中也の詩にふれて、詩人になりたいという憧れを持ったと「あとがき」に書かれている。ゆえにか、本句集には〈青胡瓜嚙みて中也の闇夜かな〉という句もある。国文学を大学で学んだことも、中也の詩を知ってより国語の先生になりたい為であったという。そんな若き日の中也への憧れがこの一句には込められている。機関車の汽笛も中也もすでに遠き日のこと、夏空へとむかう視線の先には若き日の自分がまぶしく見える。

 少年の骨の硬さや春の雷

わたしもこの一句は立ち止まってしまった。骨は硬いものであり、それは老若男女を問わずそうじて難いものだ。しかし少年の骨は硬い。なにゆえにそう思うかというと、そうじて少年は痩せっぽっちである。身体をさわれば薄い肉体に骨がすぐわかるほど。少女の身体のほうがいっそう柔らかい。そんなまだ成熟していない少年のごつごつした肉体と「春の雷」の取り合わせが斬新だ。春の雷とは、啓蟄のころに鳴り出すという。虫たちが活動をはじめるころに鳴り出す雷と少年の骨の硬さ。万物は生成に向かって動きはじめるのである。

 梨を食み初心に返る夫婦かな

これはわたしの好きな一句。こんな夫婦いいなあって思った。寺澤さんご夫婦のことを詠んだのかしら。奥さまの寺澤佐和子さんは、同じ「未来図」に所属する俳人で、一昨年ふらんす堂より句集『卒業』を上梓されている。この句集の制作過程でもお二人で一緒に二度ほどご来社くださった。とても仲のよいご夫婦である。「初心」というものに一番ふさわしい果物は、「梨」以外にちょっと考えられない。梨をむいて食べながら、ふたりの気持ちを確認しあってリセットしなおす、「シャキシャキ」と梨を食む音が聞こえてきそうである。

 手の内にチョーク折りたる九月尽

これは「暗黒期」と題された回想の一句である。教師をしていてもつらかった時期である。新学期がはじまって指導や授業も充実していく時にままならぬ身に憤りを感じ、思わず握ってたチョークを怒りにまかせて折ったのだ。しかし生徒たちには分からないように。そんな鬱屈した思いが一句となった。本句集には教師としての優しさや思いにみちた句もあるのだが、わたしはこの一句に心が止まったのだった。だってすごくつらそうである、そういう気持ちだって俳句にすることができるのだ。
 
 枝豆を飛ばさぬやうに政治論

これにはちょっと笑ってしまった。政治の話は激してくると口角泡を飛ばして、我をわすれてしまうなんてこともある。ここではきっと仕事をおえた仲間たちとビールでも飲みながら談笑しているうちに政治の話になったのだ。枝豆をむくにもつい力がはいってしまって、あらら、枝豆がとんで相手の顔にあたってしまう、なんてこともある。やや興奮しているやりとりが見えてきて、面白い一句である。


句集の題名は『夜汽車』とした。九州にいた頃、今はなきブルートレインと呼ばれた長距離寝台特急列車を使うことがよくあった。『夜汽車』には、第二の故郷である熊本、故郷静岡、出生の地であり、現在住んでいる東京を繫ぐものという意味を籠めた。さらに夜汽車の旅にちなんで吟行句を一章として独立させた。また、読み返してみると基督教に関する句も目立つ。これは二十三年の長きに亘って基督教学校に勤務してきたことにもよる。しかし、信仰というものは、私にとって決して簡単な問題ではなかった。様々に屈折もあった。これらの句は、神への或いは自己への様々な問いかけや懐疑、心の葛藤の軌跡でもある。

「あとがき」を抜粋して紹介した。



装幀は君嶋真理子さん。

寺澤始さんにはいくつかのご希望があった。
君嶋さんには、それらをできるだけ取り入れてもらった。

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もう少し紺色のものとこの紫がかった色のふたつを用意したのだが、寺澤さんはこちらを選ばれたのだった。

こちらの色のほうがより個性的になったと思う。


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タイトルは銀箔押し。


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帯もメタル感覚の用紙を使った。


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表紙。


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見返し。
寺澤さんは、「イメージ通りの装丁に仕上がり、見返しのメタルが夜汽車の感触を表していてとても気に入りました。」 と。


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本文の冒頭に置かれた聖書のことばである。

平和を実現する人々は、幸いである。
その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイによる福音書第5章9節)

あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
(マタイによる福音書第5章13節14節)


 
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 秋灯や夜汽車の模型走らせる

平成も終わろうとしている。もはや、夜汽車は走っていない。人生の様々な時期と場所が密接に結びついて心の奥底にあるばかりである。夜汽車の模型を走らせると、過去の一コマ一コマが脳裏をよぎる。その思い出と共に作者は未来に向かって新しい人生を、新しい俳句を切り拓いていくのである。

依田善朗氏の跋文より。




 作文の書けぬ子残れ小六月

句集の最後におかれた一句である。
もはやチョークを折ることもなく、優しい先生であられるのだ。
作文指導をなさるというのが、なんともいいなあ、数学と漢字書き取りとかちがってなかなか面倒じゃないかって思う。細やかな指導が要求されてくる。すこし大仰な言い方になってしまうけど、ものを作り出していく方向づけをする指導なのである。「小六月」の季語があたたかい。







実はいま梨を食べながらブログを書いてんの。今日のお昼の食事のあとに食べようとおもって4分の1に切って梨を持ってきていたのだけど、すっかり忘れてしまって、寺澤さんの梨の句について書いているとき、思い出したのである。リュックの底をガサゴソとやったら出てきた。
で、食べております。
わたしも初心にもどろうっと。
ええっ?
いったい何の初心?
これだからねえ……。128.png


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by fragie777 | 2019-08-27 20:42 | Comments(0)


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