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8月23日(金) 処暑 旧暦7月23日
国立に咲いていた臭木の花。 臭木の花には、あるはげしさがある。 明け方、悲しい夢をみて目が覚めた。 夢のなかで心が張り裂けそうだった。 目が覚めてもそういう夢を見る自分が悲しかった。 かたわらにやって来た猫を胸に抱き寄せるとあたたかかった。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、小島一慶句集『入口のやうに出口のやうに』より。 秋風や小諸に寄つてみたき店 小島一慶 句集「入口のやうに出口のやうに」(ふらんす堂)から。作者は1944年生まれ。ラジオのアナウンサーとして著名。句集の題名には最後に季語「夏至」がついて一慶さんの一句になる。だが、同年生まれの気安さを発揮して言えば「月」もよさそう。いや、月の方がファンタジックで面白い。ところで、長野・小諸の店は何屋さん? 坪内稔典さんと同じお歳だったのですね。いま知りました。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバークータ-バインディング装 218頁 二句組 著者の今村たかし(いまむら・たかし)さんは、昭和15年(1940)青森市うまれ、現在は東京都練馬区にお住まいである。昭和56年(1981)に「杉」に入会、森澄雄に師事。平成7年(1995)「杉」同人。現在は、「杉」同人、現代俳句協会会員、練馬区俳句連盟会長、練馬区生涯学習団体登録「かるがも俳句会」代表。本句集は、第1句集『百回』(2009)に次ぐ第2句集となる。 本書『遊神』は、第一句集『百会』に続く第二句集である。第一句集を上梓した後の平成二十年から平成三十年までの十一年間を三百八十句に纏めた。「遊神」は十五年ほど前に私が扁額に認めた書で、「心を気ままに遊ばせる」といった意味がある。齢七十九となった今、日々をのんびりと句に詠んで過ごしたい、そんな思いを「遊神」に託し句集名とした。 「あとがき」にこの句集の命名の由来を書かれている。 老いてなほ遊び大事や梅の花 句集の前半におかれた一句であるが、まさにこの句などはその心意気の一句といえないだろうか。 「梅の花」の季語によって、遊びも放縦な遊び、というよりもゆかしき趣のある遊びであることを思わされる一句である。 本句集の担当は、文己さん。 水音に春の来てゐる厨かな すれ違ふ声の明るき花の門めまとひに急ぐともなし旅一人 まだ生きる力を鎌に枯蟷螂 春日傘まはして日の香こぼれけり 起重機のくるりと回る梅雨晴間 初旅の傘一本を持て余す 澄雄の忌男のつつくかき氷 逆光に枯れて華やぐ芒かな わが影もともに摘むなりつくづくし 大柄に替へし座布団夏に入る 文己さんと好きな句がけっこうおんなじかもしれない。 水音に春の来てゐる厨かな 台所の炊事仕事をしているその水音に春の到来を感じた、というのがいい。野山の散策で水音に春を感じるというはよくあるが、煩雑な家事のやりくりのなかにも春の訪れを見出すその心ばえが詩人である。いままで暗かった台所も一挙に明るくなったような思いのする柔らかな水音だ。 めまとひに急ぐともなし旅一人 この一句、句集名の「遊神」のスピリットを思う一句だ。「めまとひ」は煩わしくうるさいものである。ぶつかれば急いで手ではらうか身をよける。ついせせこましくなってしまう。しかし、「めまとひ」を前にしても悠然たるものである。気楽なひとり旅を楽しむ遊び心が一句となった。 澄雄の忌男のつつくかき氷 この一句、わたしも好きである。ちょっと笑ってしまった。森澄雄は、時空に心を遊ばせて深い句境をみせた俳人である。作者にとっては師となる人である。その忌日に師を思いながら、かき氷を食べている。そんな雄渾な句風の師を思いながら、男がかき氷をつついているといういじましい感じがなんとも面白いと思う。「男のつつく」という表現で、師を失った自身のすこし情けないようなさみしさもある。 師の声のいまも聞こえて桃の花 これはわたしの好きな一句。やはり師・森澄雄を思う一句である。「桃の花」の季語がいい。この季語によって師がどんな存在であったかわかるような気がする。森澄雄はずいぶん厳しい方だったのではないか、とわたしなどは思うのだが、確かに俳人として己を厳格に律していた方であったと思うが、弟子にとってそれは厳しくもつまるところ優しい暖かな師ではなかったか。桃の花をみると師の声が聞こえてくるというのだ。厳しい冬がおわり、あたたかな春がやってきて桃の花が明るく咲く。指導者としてきっと弟子のこころを明るい方へとむけさせてくれたそういう師であったのだと思う。 春眠の重たき眼持ち歩く この一句もおもしろい。眼にどれほどの重さがあるかはかったことがないのでわからないが、また、季節によって重さがことなるとも思えないが、しかし、春は眼が重い、わたしもそう思う。どんより眠たさがまさりややうつろな感じ、しかし、自然は人間を呼んでいる。重たい衣をぬぎすててやや身軽になって出かけてはみたものの、どうも眼だけは眠たい、まぶたがおもたいのかもしれないが、眼としてさらに実感が出た。 師森澄雄には、俳句を始めた昭和五十六年より二十九年間指導して頂いた。師を失ったことは誠に痛恨の極みである。師曰く、「妻を娶ったら妻を愛し、子供が出来たら子供をいつくしみ、友を大事にする。俳句もまた奇異を弄せず……」の言葉を私は今も心に据えて、俳句作りの信条としている。後継者の森潮主宰には、引き続き「杉」誌上で発表の場を与えて頂いていることに感謝している。 人は朝起きて、食事をし、活動し、夜は寝る、を繰り返す。日々の出来事を日記代わりに詠み、わずか五・七・五で表現する。積もり積もった句の集まりが、詠み人の人生をも表す。そういう意味で、〈俳句は人生〉だと私は思っている。 「あとがき」の言葉である。 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 ちまちまとした一冊にならないようにデザインした。 カバーのタイトルの黒メタル箔が力強い。 表紙。 このやや濃いブルーグレーがテーマカラーである。 扉。 ちょっとわかりにくいがクータ-の色もこの色。 大空は宇宙の扉鳥帰る 俳句は最も短い「詩」である。私は、自分自身の句を「詩」に近づけるべく、これからも努力を続けていきたい。 ふたたび「あとがき」の言葉を紹介した。 君のことみな知つてゐる蟬の穴 この一句にぎょっとしてしまった。 ええっ、知ってるの。。蝉の穴ならそうかもしれない。あの小さな穴のなかをのぞくと果てしない暗闇があり、ブラックホールのようでなにもかも吸い込んでいきそうである。その穴のそばをとおっただけでわたしがスキャンされてすべての情報が蝉の穴のなかに吸い込まれていく。そう思わせるものがたしかにある。もうこれからはうかうかと蝉の穴のそばを通れない。と思ったが、でも、きっと「蝉の穴」はわたしの情報を他者には漏らさないようにも思える。つまり吸い込むだけで吐きだすすべを知らないのだ、蝉の穴は。そう思うとそれほど怖くないな。と思ったが、やはりあの黒々とした穴は、どうしたって油断できない。 この句集を制作中に今村たかしさんが、担当の文己さんにネット配信の記事を送ってくださった。 以下に紹介しますので、是非にご覧になってください。 JCOMの小林綾子さんの番組で、「練馬人図鑑」と言うのがあります。 先週、私が練馬区俳句連盟会長として、その番組に出演しました。 当JCOMの放送は練馬区および周辺限定でしたので、放送後はその内容をネットに公開されました。 録画時はどうなるものかと心配しましたが、テレビ局が上手く纏めてくれました。下記のURLで参照できます。 →「練馬人図鑑」
by fragie777
| 2019-08-23 19:40
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