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8月16日(金) 京都五山の送り火 旧暦7月16日
木槿。 これは底紅という木槿。 仙川商店街の裏通りに咲いていた。 台風が過ぎ去ったあとの暑さときたら、と思いながら商店街をあるいていると風がさあっと抜けていった。 ひんやりと心地よい風、、、、 秋の風だった。 12日づけの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、牛田修嗣句集『白帆』より。 縁側に坐せば山あり盆帰省 牛田修嗣 句集「白帆」(ふらんす堂)から。作者は横浜市に住む。盆と正月には多くの人が生家や故郷に帰る。どうしてか。四季になる以前、この列島には二季で暮らす時代があった。正月から盆までの野の季節、そして、盆から正月までの山の季節。四季の時代になっても、基層には二季が生き続け、今に至っているのではないだろうか。 二季の季節があったというのは初耳だった。「野の季節」と「山の季節」という分け方も牧歌的でいいなあと思い、もっと調べようとググってみたら、なんと「日本は四季から二季へ移行しつつある」という見解にぶつかった。つまり、寒さと暑さの二極化でその間がない、春と秋が失われつつあるということか。。。えらいこっちゃである。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 210頁 二句組 著者の丹治美佐子(たんじ・みさこ)さんは、1956年(昭和31)東京生まれ、現在東京・葛飾区にお住まいである。1998年(平成12)「プランタン句会」(鍵和田秞子指導)に参加、2000年(平成12)「未来図」入会、2006年(平成18)「未来図」同人、2009年(平成21)「秋麗』入会、2011年(平成23)「秋麗」同人、2017年(平成29)第7回「秋麗賞」受賞。俳人協会会員。本句集は2000年(平成12)より2018年(平成30)までの作品を収めた第1句集である。「序に代えて」は「秋麗」の藤田直子主宰が寄せている。抜粋して紹介したい。 すみずみに雑巾かけて星祭 家のすみずみまで綺麗に拭き上げたいという思いには、夜空が澄んで星と星が出逢えますようにという祈りの心がある。この句を読むたびに、丹治美佐子さんらしい一句はこの句だと思ってきた。美佐子さんは綺麗好きで、几帳面で、暮しの一齣一齣を大切にして過ごす人。そしていつも心が澄んでいて落ち着きのある人である。 浅春やくけ針銀紙にくるまれて 山茶花や細断さるる企画案 薫風やスコップ似合ふ女なる 雨あがる前のあかるさ合歓の花 朝寝して羽化の心地を楽しめり てんとむし紙鍵盤に着陸す 秋薊やさしき噓をつかれけり とんばうや点呼のたびに変はる数 遠泳や沖雲ぐいと引きよせて 美佐子さんは「未来図」に入会して間もなく、未来図新人賞を受賞し、同人になった。鍵和田秞子先生からの信頼が厚く、『未来図歳時記』の編集委員に抜擢された。 その仕事を一緒に担当した私は、美佐子さんの几帳面な仕事ぶりにたいへん助けていただいた。十年前に私が「秋麗」を創刊してからは「秋麗」の編集、句会の幹事、 大会の会計、俳句鑑賞欄の連載等を引き受けてくださった。そして現在は『季語別秋麗俳句集』の編集チーフとして働いている。 藤田直子主宰は、「「未来図」時代から鍵和田先生の名代として初学の頃からご指導頂いている藤田直子先生の」と「あとがき」にあるように「未来図」時代から指導をされてきた方なので、きめ細やかに丹治美佐子さんの作品をとりあげて評している。 本句集の担当は、文己さん。 うたた寝の耳より覚むる鉄風鈴 ひと手間を惜しまぬ人よ実むらさき 風船やフリーキップで逢ひにゆく 傘の柄のひんやりとして著莪の花 枯木道己が匂ひを消しゆけり うたた寝の耳より覚むる鉄風鈴 「耳より覚むる」、この感覚すごくわかる。これは「鉄風鈴」が鳴ったのでそれを聞きとめた耳が目覚めた、という順序ではない。まず、身体の中で耳が目覚めたのである。耳が目覚めるって、あるでしょ。何かの気配を耳が感じるというか。熟睡だとそうはいかないけど、「うたた寝」だとわかる。耳が目覚めて、あたりの音をききとめようとした時に、鉄風鈴がなったのである。この一句には、鉄風鈴の前に切れの深い間があるのだ。耳が聞き止めた鉄風鈴のやや重たき音色。それだけが宇宙を支配しているかのように余韻がある。 柏餅どかと盛りたる本家かな この一句に笑ってしまった。「本家」ってこういうものである。と言っても本家(ほんけ)、分家(ぶんけ)、新宅(しんたく)とか、今の時代どのくらい通用するかわからないが、わたしの子ども時代にはおおいに機能(?)していた。「本家」のおじいちゃんとこと、従姉妹たちがたくさんいる「新宅」によく遊びに行ったものである。わたしの記憶では、「柏餅」というより「おはぎ(ぼた餅)」を本家では山盛りにして出した。それも握り拳以上のデッカイやつ、とても食べきれずもてあまし、それ以来ややトラウマとなり「おはぎ」は苦手。ここでは「柏餅」であるが、「本家」ならごもっともである。山盛りこそ、本家が本家たる所以である。たぶん本家では働き手には不自由しなかったと思うので、この柏餅は自家製のあんこがたっぷり入ったものだと思う。お皿なんかじゃなくって、お盆に盛ってあるのよきっと、おじいちゃん家はそうだった。 紙風船音の重さを返しけり 「音の軽さ」ではなく、「音の重さ」なのだ、紙風船は。ゴム風船は「音が軽い」。しかし、紙風船はかなり思い切りつかないと空中にたかくあがらない。畢竟、つよく着く、じゃ「音の強さ」か。いや、「強さ」だけならおよそ紙風船らしくない。強く打つとベシャとかバシャとかとても軽くない、重くれた音がする。その物質感が「音の重さ」という表現となった。「返しけり」で広がりも獲得した。表題となった句も「風船」の句である。著者の丹治美佐子さんは、「風船」がお好きなのかもしれない。 新宿の吹かれ上手な枯葉かな この一句も面白い。丹治美佐子さんは、東京生まれ、東京在住の東京っ子である。新宿とかはきっと身近な街だろうと思う。わたしも新宿はよく行く街であり、好きな街でもあるので、この風景は具体性のある場所をもって思い描ける。高層ビルがあり、雑踏でひしめいており、車の往来も激しい。ところどころ植えられた落葉樹もあり、コンクリートの上を風がふくと舞う。都会ではすべてが主張しあっている。枯れ葉でさえもただでは吹かれない。人間の目をひくためにまるで演技をしているかのようにっくるっと廻ってみせたりして、、、自然の只中であれば気づかないような枯葉も都会では人間の目にそんな風にみえることもある。気取った銀座でもなく、おしゃれな渋谷でもなく、雑然としたエネルギーに満ちた新宿というのがいい。 句集名の「空のつづき」は、〈風船や空のつづきを探しゆく〉から採りました。初学の頃の句ですが、風船が空のつづきを探しているように、私にとっての俳句は、自分自身の在り方を見つめ直す旅のような気がしているからです。 本年は改元により平成が幕を閉じました。この改元の年に私の平成の歩みとして一句集を纏めたことで、令和へ新たな気持ちで一歩が踏み出せることを嬉しく感じております。これからも、身の回りの細やかな対象に心を寄せ、日々丁寧に暮らすことを心掛けたいと思っております。 刊行にあたり、鍵和田先生には、お心のこもったご助言をいただきました。また、藤田先生には、選句の労と身に余るご序文を賜りましたことを心よりお礼申し上げます。俳句という文芸に対して、常にぶれることのない真摯な姿勢を示して下さるお二人の師に出逢えましたことが何よりの宝物だと切に実感しております。そして、心挫けそうになった時に支えてくれる句友、温かく見守ってくれる家族と友人達に、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は和兎さん。 カバーには光沢のある用紙をつかう。 タイトルは銀箔押し。 表紙は紙にブルーで印刷。 扉の用紙は透明感のあるもの。 花布は白。 栞紐は見返しとおなじブルー。 風船や空のつづきを探しゆく 身近な物から大きな世界へと視野を広げてゆく美佐子さん。句集名となった句が美佐子さんの世界をよく表している。 序文より。 雛あられ嫌ひな色のなかりけり この一句も好き。雛あられをこんな風に思ったことがなかったのでちょっと驚いた。雛あられっていったいどんな色があったかしら。口にはこぶことに夢中で、だいたいひとつひとつ口にいれたりしないで、こうがばっと何粒かを威勢良く放り込んでむしゃむしゃと食べてしまう。こんな風に思う丹治さんってきっと幸福な満たされた少女時代をおくったのではないだろうか。小さなてのひらにおかれた雛あられ、それをひとつひとつ愛おしむように小さな口にいれる、ああ、この色可愛いな、この色もすてき、なんて思って、ご家庭の愛情にみちた風景がみえてくる。お姉さまもいらっしゃるようなので、きめ細やかに育てられたのだと思う。このように雛あられを詠める丹治さんって素敵だなあって、がさつなyamaokaは思うのである。 そうそう、がさつといえば今日のお昼にランチを買いに出かけて戻ってきたところ、つくづくと自分にあきれ果てた。 ロッカーのドアは開けっ放し、引き出しはことごとく(四つも)開けっ放し、しかもものがはみ出している。そんな感じですべてが途中で放り出してある。立つ鳥あとを濁さずというが、これじゃ濁りっぱなしである。なんなんだろう、わたしってヤツは、と思ったけど、 すぐに忘れるのである。。。。
by fragie777
| 2019-08-16 20:31
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