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8月8日(木) 立秋 旧暦7月8日 国立・矢川ママシタ湧水に咲いていた臭木の花。 強い太陽光線にまけじと荒々しく咲いていた臭木の花だった。 臭木の花は秋の花である。 今日は立秋。 昼間お弁当を買いに外へ出たのであるが、この残暑、尋常じゃないと思った。 気の毒なのは、宅急便のお兄さん。汗まみれになって真っ赤な顔をして働いている。しかも、最近、ふらんす堂へは時々若い女子の宅急便屋さんが来る。重い荷物を上げ下げしているのだが、華奢な身体で頑張っている。おもわず「大丈夫?」なんて聞いてしまうこともある。 熱中症対策とかもちろんしてるんだろうなあ。。。人ごとながら心配をしてしまう。 ふらんす堂なんて毎日のように荷物があるから、しかもエレベータなんてない。 ご苦労さまです。というしかないけど。。。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、小川軽舟句集『朝晩』より。 いつか欲し書斎に芙蓉見ゆる家 小川軽舟 今日は立秋。季語の世界は立秋を境に秋になる。軽舟さんの句、フヨウが秋の季語。句集「朝晩」(ふらんす堂)から引いた。彼の心境に共感するが、今の私はほぼあきらめている。で、書斎とは呼び難い2階の仕事部屋から、街路樹にケヤキのこずえをながめながら、この小さな家に自足している。ときたまだが、白い雲が寄る。 この「白い雲が寄る」という言い方、いいですねえ。見えるのではなく寄る。まるで坪内さんと友達みたいである。窓からみえる風景というのは案外大切かもしれない。木々や空が見えるというのは、都市生活者にとってそれだけでも心が広やかになるような気がする。 新刊紹介をしたい。 四六判小口折表紙 176頁 三句組 著者の岡田幸子(おかだ・さちこ)さんは、昭和31年(1956)栃木県那須郡生まれ、現在は栃木県宇都宮市在住。平成11年(1999)「運河」入会、平成18年(2006)「運河」同人。俳人協会会員。本句集は平成11年(1999)から平成29年(2017)までの作品を収録した第1句集である。序文を茨木和生主宰が寄せている。 茨木主宰は、たくさんの句を抄出して時の経過にしたがって評しているが、ここでは抜粋して紹介したい。 「運河」栃木支部の指導に当たっておられた、故小室風詩さんは誠実な方だったので、吟行を主とした句会を実施されていた。岡田幸子さんはこの会に参加して、実作に励んでこられた。同じ勤め先の学校に「運河」同人の星野乃梨子さんがおられたことも刺激になったに違いない。(略) 荒梅雨や胎児のやうに夫眠り 草の絮勅額門を出で来たる 烏瓜泣いてしまへば楽なのに 車座に女が一人薬喰 着水の鴨ぐぐと胸つき出せり わたくしを星が見てゐるキャンプかな 幻の魚の名忘れ夏料理 柿剝いて人は斯うして老いてゆく 存分に迷ふつもりで探梅行 青き踏む未だ捨てざる夢ありて 戦知る女は強し花菖蒲 遠き国からの声かと郭公は 喜びの塊のやう裸子は 教頭がうさぎ当番春休み 生涯に今日はいち日日短 作品がしっかりとしているのは作者の持っている言葉が豊かだからである。そしてその表現も慣例にとらわれていないので安心して読むことができる。 本句集の担当は文己さん。 文己さんの好きな句は、 橡の実やからんと母は物忘れ 存分に迷ふつもりで探梅行 蜆汁落ちゆく昏き体内に 秋蝶の影石垣をのぼりけり 学校に行かぬ宣言雲の峰 秋蝶の影石垣をのぼりけり 印象鮮明な一句だ。「秋蝶」ではなく「秋蝶の影」としたことで、秋の空気の澄み切ったひんやり感がある。ごつごつした石垣をその影を鮮明にして秋蝶がのぼっていく、その景が手に取るようにわかる。「秋蝶の影」で秋の季感を十全に詠んだ一句だと思った。 夜の梅をんな手と髪冷たくて これは校正者のみおさんが選んだ一句である。 「この句にはドキドキしました。こんなふうに詠める女の人ってかっこいいと思います…」とのこと。「夜の梅」の季語がいいなあってわたしも思う。 無口なり明けのかなかな聞きし日は これはわたしの好きな句である。「かなかな」の声が作者の身体に棲みこんでしまったのだろうか、悲しいとかそういう感情的なことはいっさい書かれていないが、どこか悲しみのやどる一句である。「無口なり」上5におかれ、明け方かなかなを聞いたので、とある。へたな解釈をこばむ一句であるが、作者の心情が伝わってくる一句であると思う。 ボクサーの目の静かなり冬薔薇 この句もぐっと来た。ボクサーとは、殴り合って相手を倒すことを生業としている人のことである。その身体に闘志を宿らせていなくてはいけない。わたしは好んでボクシングの試合をみることはないが、ある意味華麗なスポーツだと思う。この「ボクサー」、戦い終えたボクサーであろうか、いや戦うまえのボクサーであってもいいのだ。そんな目をしたボクサーに出会った。季語「冬薔薇」が、華麗にして厳しいボクサーという存在と響き合っている。冬薔薇の持つ孤高さは、静かな目をもつボクサーの孤高さでもある。 抗ひの眼崩さず卒業す 作者の岡田幸子さんは、長い間教職にある人である。多くの生徒を卒業させて来た方だ。この一句は教師なればこその一句である。多くの生徒のなかでひとり、反抗的な眼差しを持ち続けて卒業していく生徒、そんな生徒だっていることだろう。「抗ひの眼」とは納得していない抗議する目である。納得していない、ということが大事なことだってある。そんな生徒に目をとめたのだ。 (略)ぽつりぽつりと俳句に関わりながら教員生活を続けてきた私ですが、平成二十八年、還暦を迎えました。仕事も一旦退職しました(とはいえ、そのまま継続して同じ職場にお世話になっていますが……)。そうした境遇になってつらつらと己の来し方を振り返ることが多くなってきました。 教員生活は、今年で三十六年、最初の数年間は高校生に古典や現代文を教え、異動した中等部では思春期の子供たちの指導に四苦八苦しながらも十九年間を過ごし、現在は小学生に囲まれて生活しています。 その間、結婚し、子育ても経験しました。夫の両親と実家の両親、四人を見送りました。 迷いながら、躓きながらの不器用な生き方だったと思います。そのような自分の来し方を少し整理してみたい、それには折々に詠んできた俳句で辿るのがいいかもしれないと、句集出版という身の程をわきまえぬ望みを抱くに至りました。平成十一年から平成二十九年までの作品を茨木先生に選句していただきました。また身に余る序文と句集「初桜」のタイトルも頂戴しました。桜は、私が最も心を寄せる花です。私の生家である寺の境内に、樹齢数百年と推測される山桜の老木がありまして、毎年それは見事な花を咲かせます。この老木の下で舞い散る花びらを浴びながら遊んだ幼年時代の記憶は、今でも私を魅了します。 「あとがき」の一部を抜粋して紹介した。 ほかに 浅漬を嚙むその音をほめらるる 着水の鴨ぐぐと胸つき出せり 春暁に覚め海底にゐる如し かたくなに無言を通す草いきれ 団栗のかはいい方を拾ひけり 夏の蝶光の中に見失ふ 束ねても抱いてもさびし吾亦紅 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 著者の岡田幸子さんには、はっきりとした希望がおありだった。 桜の花びらを散らすこと、銀箔をつかうこと、 それを君嶋さんはデザイン化した。 花びらに銀箔をつかうこともご本人の希望である。 扉。 余生にも華やぎはあり初桜 「初桜」は句集名となった季語であるが、この句、岡田幸子さんの現在を「余生」というのは早すぎる感じがするが、好きな桜の、この時期のはじめての花だからこう詠んだのだろう。あとがきに「桜は、私が最も心を寄せる花です。私の生家である寺の境内に、樹齢数百年と推測される山桜の老木がありまして、毎年それは見事な花を咲かせます。この老木の下で舞い散る花びらを浴びながら遊んだ幼年時代の記憶は、今でも私を魅了します。」と岡田さんは書いている。 この鮮明な記憶を大切にして、第二句集を編むべく作句努力を続けてほしい。 序文の言葉である。 教頭がうさぎ当番春休み 茨木主宰も序文でとりあげていたが、この句、好きだな……。春休みの学校の一風景である。教頭先生とうさぎ当番でなぜか似合っている。教頭先生ともなるともうそんなに若くはなく、担任をもっているわけでもないので、学校全体をこまやかに見回す役割というか、校長先生は対外的なことで忙しくしていたりするかもしれないので、学校全体の把握は教頭先生に任されている、と勝手におもった。と言ってもわたしは学校の教職制度については無知である。春休みでも登校してせっせと兎の世話をする教頭先生、兎も教頭先生にきっと心を許していると思う。 余談であるが、ふらんす堂のスタッフの文己さんは栃木出身。文己さんの弟さんは作新学院出身で、岡田幸子さんは、作新学院の先生である。文己さんの弟は作新学院の野球部の名キャッチャーで数年前に甲子園に出場した。だから、岡田幸子さんはもちろん文己さんの弟さんのことをよく知っているのである。茨木主宰の序文に登場する星野乃梨子さんも作新の先生で、お二人でふらんす堂にいらしてくださったのだった。そんなご縁のある方たちである。
by fragie777
| 2019-08-08 19:54
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