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8月7日(水) 旧七夕 旧暦7月7日
国立・矢川ママシタ湧水 あちこちで捕虫網の親子連れを見た。 ペットボトルをたかだかとかかげていく。 昨日のブログで「俳句四季」8月号の『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』の特集について、触れたが、ちょっと補足しておきたい。 (なにしろ時間が切羽詰まっていて慌てておりました。) 福田若之さんの文章を抜粋したが、そこに書かれていた「『天才の可能性をどう考えるかという理念的な思索のもとに見出されなければならないはずだ」というこの一文を実はもうすこし福田さんに伺ってみたいと思った。 また、堀切克洋さんの「あれから半世紀たって」も興味ふかく読んだ。最後の部分だけ紹介したい。 したがって、この書物に見出しうる希望は、「マイナーであること」(とくに無季や口語)の肯定では必ずしもない。むしろ、わりと最近まで「有季定型」と分断されていると考えられていた新興俳句の作家たちが、それほど単純な仕方で伝統から切断されていないこと、そして新興俳句運動の内部にもさまざまな水脈があることを知ること、一言でいえば「伝統VSモダニズム」という凡庸な対立の見直しを図ることが、この本の読者に課せられた使命であるだろう。 そうした単なるマイナー性の称揚ではない新しい俳句史を提示できる作家=評論家が到来することを待ち望みたい。 ほかの執筆者の方たちのものもそれぞれ読み応えのあるものである。 (全部紹介できなくてごめんなさい) 冊子「第10回田中裕明賞」の在庫がごくわずかとなってしまいました。 たぶん10冊をきっていると思います。 欲しい方はお早めにご注文ください。 この冊子は電子書籍版として、「吟行会」「懇親会」をふくめて年内には刊行される予定ではあります。 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装 196頁 著者の倉本倶子(くらもと・ともこ)さんは、昭和14年(1939)東京生まれ、現在も東京調布市在住。昭和58年〔1984)「狩」(鷹羽狩行主宰)入会、平成9年(1997)「狩」同人(平成30年の終刊まで)、平成31年(2019)「香雨」(片山由美子主宰)同人。俳人協会会員。本句集は昭和58年(1984)から平成30年(2018)12月までの作品より306句を収録した第1句集である。序句と帯文と鑑賞3句を鷹羽狩行名誉主宰が、跋文を句友の鈴木伊都子さんが寄せている。 手に負へぬ嵩となりけり干蒲団 「手に負へぬ」と嘆くどころか干蒲団のふくらみ、ぬくみを喜んでいるのである。 本集には、〈露けしやそのうちといふ時はいつ〉など、季語の選択の絶妙の句があって楽しい。 帯文より。また、「鑑賞三句」からは二句について紹介したい。 帰りには父の荷となり捕虫網 父と子が昆虫採集に出かけた。捕虫網を振りかざしてあっちこっち駆けまわって、さて帰る段になると、子供のほうはぐったりして、捕虫網は父が持ち帰る羽目に。迷惑な話だが、そう感じないのは、子供の夢がかなえられたことで満足しているからだろう。 読み了へてしばらく消さぬ春灯 おそらく長編小説を読み終ったところだろう。男と女が出会い、さまざまなドラマがあって、そしてエンディングへ。春の灯火を「しばらく消さぬ」のは、読了という満足感のほかに、物語の世界から現実に戻るのに手間どっているからにちがいない。 凱旋のごとくかかげて捕虫網 狩 行 序句である。 跋分を書かれた鈴木伊都子さんは、 倉本さんとは支部以外の勉強会での付合いが長い。句会での彼女はいつも毅然とした態度を崩さず、それは昔も今も変わらない。 「狩」入会は昭和五十八年、長い間あたためて来られた珠玉の第一句集である。 通読して季語の同じ句は見当らない。実にすっきりとしている。「句は倉本さんそのもの」である。 と記し、俳句を通して長いおつきあいをして来られたからこその心のこもった跋文を書かれている。 そして、 帰りには父の荷となり捕虫網 初刷をとり落としたる齢かな 葉桜やブロンズ像に触り艶 雷門前で一礼薄ごろも 吸口の一片包丁始かな 大漁旗たてて運ばれ夏料理 噺家のくるりと返す夏座布団 日時計の影もたぢろぐ暑さかな 倉本さんは調布支部を束ねて二十年余。その間一度も休むことなく指導に当って来られた。素敵なお仲間に囲まれて、これからも究極の表現を求め続けて行かれることでしょう。 本句集の担当は、Pさん。 読み了へてしばらく消さぬ春灯 一畝の青きものにも春の雪夫の忌に嵩なき髪を洗ひけり 家を出るときから駆けて運動会 客を待つ嵩となりけり干布団 夫の忌に嵩なき髪を洗ひけり 跋文とあとがきによると著者の倉本倶子さんは、まだ四十代の半ばにご主人を亡くされている。したがって、本句集には亡き夫を詠んだ句が少なくない。この句はそのひとつだ。「三人のお子様を抱えて気丈に生きて来られた」と跋文にあるが、きっとご苦労されたことと思う。気がついたら、むかしはたっぷりとあった黒髪もずいぶんと少なくなってしまった。若くして逝った夫の今日は忌日である。ふさふさとした髪を持つ夫の面影を思いながら、嵩なき髪を洗う。なんとあれから年月が経ってしまったことよ。 夫の忌もくれなゐを濃く百日紅 わたしは亡きご主人を詠んだ句としてこの句をあげたい。さきほどの「髪洗う」やこの「百日紅」の季語でわかるように、ご主人が亡くなられたのは、夏である。夏の盛りの暑い時期だったのだろうか。こちらの句は句集のかなり前半におかれている。したがって夫が亡くなってからまだ浅い年月なのだろう。燃えるような百日紅の色、百日間咲き続けるという百日紅。今日の夫の忌日にもその色を失わずいやいっそう赤々と咲いている。あまりの赤さを見つめているとふっと淋しくなる。 火の恋しこころならずも人を責め ちょっとドラマチックな一句だ。思いもかけず人を責めてしまった。なにゆえに。。。悔やむこころ。苦々しい気持ち、そんな自分のこころを見つめているとなんだか寒々しくなってきた。アア、火が恋しい。「火の恋し」と上五にもってきて、中七下五でたたみかけるように詠みっぱなしにする。気持ちの不安定感を出して効果的だ。宙ぶらりんな気持ちの余韻が残る。 まだ、仕事に家事にと忙しく過ごしていた四十代半ば、俳句に誘われました。 自分の楽しみを持たなければ老後が淋しいと思っていましたので、早速句会を見学しました。 畳の部屋、細長い机、ノート、えんぴつ、そして巡る短冊。初めて経験する雰囲気に魅了され、その日に入会をきめました。 怖い物知らずであったと思います。 その数か月後に突然夫との永遠の別れを迎えることになってしまいました。 暫くの休会の後句会に戻ることができました。地元の句友の皆さん、家族の応援があって今があると感謝しています。 調布には田畑あり、名刹あり、水の豊かな多摩川ありと句材には困りません。自宅前の野川では、今は難しいですが、愛らしいかるがも母子の姿も見られました。 ここを終の住処として俳句を楽しんでいこうと思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 紺色と金箔の響き合いが美しい一冊となった。 表紙。 見返しには、金と銀の箔。 扉。 花布は、金色。 しおり紐は紺。 帰りには父の荷となり捕虫網 句集名「捕虫網」は鷹羽狩行先生より賜りました。誠にありがとうございました。 亡き夫と子供達との夏の日々が映画のシーンのように甦り、感激一入です。 「あとがき」の言葉である。 著者の「倉本倶子さんは、調布にお住まいであり、ふらんす堂とはご近所である。 そんなことから、句集が出来上がるまで何度も訪ねてくださった。 時々はお嬢さんもご一緒に。 とちゅうでちょっと体調をくずされたが、本が出来上がる頃にはすっかりお元気になられたのだった。 ご本人だけではなく、心配されていたお子さんたちが何よりもこの本の出来上がりを喜んでおられることだろう。 端居して夫在りし日の遥かなる 夫がいた日々、そして激しい夫恋の日々もすでになつかしく、いまは落ち着いた静けさが身のうちを支配している。生きてきたことへのふかぶかとした充足感とも。。
by fragie777
| 2019-08-07 18:57
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