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8月6日(火) 旧暦7月6日
国立・矢川ママシタ湧水。 水辺の母と子。 このところの熱帯夜つづきで睡眠不足になっている。 スタッフのひとりは仕事中に気持ちが悪くなって、すぐ近くの病院に行って点滴をうけてきた。 家の中にいても熱中症にたやすくなるということである。 お互いに気をつけましょうね。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、小川軽舟句集『朝晩』』より。 関係ないだろお前つて汗だくでまとはりつく 小川軽舟 小川軽舟句集「朝晩」(ふらんす堂)から。作者は俳句結社「鷹」を率いる現代の人気俳人だ。平明、端正な句で知られる。ところが、この句は怒りをぶちまけたような破調、おおよそ軽舟らしくないが、でも、このような句をも作る自在さ、それはやはりこの人の才だろう。「関係ないだろ」とつっぱねるその気持ちに共感する。 小川軽舟さんに、この記事をメールでお送りしたところ、そのお返事の最後に「週末尾瀬に行き、娘にも天の川を見せました」とあった。 (そうか。娘さん、とうとう見ることができたんだ!)とわたしはとっさに思ったのだった。 というのは、句集『朝晩』の「序に代えて」に星を見せるために家族旅行を決行したのだが、結局曇っていて見ることができなかったと書かれているのである。娘さんの「見たかったなあ」というつぶやきが心に残っていた。 やりましたね! 小川軽舟さま。 俳句総合誌「俳句四季」8月号においても、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』について特集してくださった。 「俳句四季」8月号 『新興俳句アンソロジー 何があたらしかったのか』(現代俳句協会青年部編・2018ふらんす堂)の刊行に伴い、「新興俳句」に注目が集まっているようだ。しかし、改めて考えるに、新興俳句とは何だろうか。アンソロジーの編集・執筆に関わった7名の若い俳人に、アンソロジーに執筆した感想、また自身が思う「新興俳句」について語ってもらい、新たな時代の俳句を考えるきっかけとしたい。 とある。 それぞれの方のタイトルとお名前だけ紹介しておきたい。 主観の復権、想像力の可能性ーー神野紗希 他者へのまなざしーー樫本由貴 自身が考える新興俳句ーー西山ゆりこ 新興俳句はいかにして過去形なのかーー福田若之 失われた80年ーー堀田季可 あれから半世紀たってーー堀切克洋 三谷昭と東海村ーー宮本佳世乃 ここではたいへん面白く読んだ福田若之さんの文章をすこしだけ紹介したい。 いわゆる新興俳句運動の核心とは何だったのか。それは一言でまとめるなら、高濱虚子らの「平等」の理念に対する、水原秋櫻子らによる「天才」の理念的な擁護だったように思う。(略) いずれにせよ、ひとは「平等」主義に抗して「天才」の卓越性を擁護する立場をとるかぎりにおいて、多かれ少なかれ新興俳句的だということになろう。もし現代の若い俳人たちが新興俳句となだらかなつながりを持ちうるとしたら、その接点は、連作の再活発化といった表層的な次元でもなければ、それぞれの時代の抱える不安などといったあいまいな共感性の水準でもなく、「天才」の可能性をどう考えるかという理念的な思索のもとに見出されてなければならないはずだ。しかし、僕たちは、というより俳句は、もうずいぶん前から、単純に新興俳句的な理念のもとにとどまることもできなければ、かといって、素朴に虚子的な理念へと立ち帰るわけにもいかないような歩みを、進めてきたように思う。「何が新しかったのか」という過去形の問いもとで、新興俳句はもはや決定的に死んでいる。もちろん、僕たちは新興俳句をなおも愛することができる。だが、その愛は今日すでに遠く隔たったものへの態度を余儀なくされている。 非常に端折ってしまった。 興味のある方は是非、「俳句四季」8月号を読まれたし。 これからまたちょっと出かけなくてはならない。 もう少しじっくり紹介したいところであるが、、、、 ああ、もう時間だ。。。 じゃ、行きますね。
by fragie777
| 2019-08-06 19:51
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