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7月30日(火) 旧暦6月28日
国立の谷保天神裏の青田付近を歩いていたところに出くわした風景。 田んぼに入ってなにかをしている。 友人の一人が尋ねた。 「何をしてるんですかあ」 「田草を取ってます」と。 「田草取(たぐさとり)」 夏の季語である。 はじめて出くわした場面だ。 歳時記によると、「田の雑草を取り除き稲の分蘖(ぶんけつ)を促すために行われる。(略)カンカン照りの太陽を背負い、中腰で泥をかきまわす。田水は湯のよう、稲の葉先が顔を刺すといった炎暑の農作業は過酷だ。昨今は田車を入れたり、除草剤の進歩により労苦から解放された。鴨を水田に放ち、草食習性を利用して草を取らせる地方もある」とあり、こうして人間の手による「田草取」の現場に遭遇するのは珍しいかもしれない。この日はまだ梅雨明けまえの蒸し暑い曇天の日だったが。 取った草は田んぼの底にしずめるのだそうである。 田草取る若狭や雨の涼しさに 森 澄雄 そしてその横にすっと生い茂っている一群れの蘆のような丈高い草。 いつも何だろうって言いながら通りすぎていたのだが、田草取る人に教えてもらった。 「真菰(まこも)」だそうである。 これが「真菰」だったのか、、、と思わずじいっと見つめる。 「真菰」も夏の季語である。「夏の暑い盛りの水辺に、二メートル近く生い茂った真菰の原が、水の上を吹いてくる風にさやさやと吹かれるさまはいかにも涼しげである。」と歳時記にある。 真菰暮れ水の匂ひの空のこる 河野南畦 新刊句集を紹介したい。 四六判フランス装カバー装 208頁 著者の佐々木よし子(ささき・よしこ)さんは、昭和16年(1941)東京都生まれ、現在は千葉県浦安市在住。平成14年(2002)「沖」に入会し能村研三に師事。平成19年(2007)「沖」同人、「沖」新人奨励賞を受賞、俳人協会会員。本句集は平成14年(2002)から平成30年(2018)までの作品を収録した第1句集であり、序文を能村研三主宰、跋分を同人会長の千田百里さんが寄せている。 能村主宰の序文を抜粋して紹介したい。 億年の遺伝子守る海鼠かな この句が巻頭となった句で、グロテスクないでたちの海鼠だが、食材としては天下の珍味として珍重されている。その歴史は古く海産物の神饌として食されていた。棘皮動物といわれ、動物の中でも最も下等な部類に入るのかも知れないが、何億年もの間全く進化もせず、同じ形状のまま今にその姿を伝えている。そんな動物であるからこそ闘争本能などは皆無で、本当の意味での平和主義者として長い時間をこのまま形を維持し続けたのだろう。 鯊飛んですてん晴なり三番瀬 本句集の題名「すてん晴」は、この句から採られたようだ。たしか俳人協会の千葉県支部で浦安を吟行した時に作られた句であると思うが、「すてん晴」とは浦安の方言で「すけるような晴天」のことを言う。いかにも元気で威勢のよい漁師たちが好んで使いそうな言葉である。この句の舞台となった「三番瀬」は東京湾の最奥 部に位置し江戸時代に幕府に献上する魚介類を採る漁場として役割を果たした所で、この干潟では鯊釣りも盛んに行われている。 序文で句集名となった「すてん晴(すてんばれ)」について触れられている。「すけるような晴天」とは知らなかった。しかし、一度耳にするとこんな晴天にあったときは「あっ、すてん晴」と言ってしまいそう。 跋分を書かれた千田百里さんは、佐々木よし子さんのことを「人事句が主流と言われてきた「沖」にあって、叙景句を自認する数少ない作家である」と書く。 風光る波太渡しの手漕舟 いすみ線花菜明かりを弾み来る 草萌の大地におろす集乳缶 漁網干す熱砂の浜を波打たせ そして、「叙景句とはまた一味違ったよし子ワールドに目を向けてみる。」としてたくさんの句をとりあげておられる。そのうちのいくつかを紹介したい。 書肆の灯の涼しさにまた吸込まる 鳥の声よく響く日や障子貼る 倒木の朽ちるに力苔の花 薔薇の香を重しと思ふ夕べかな おとうとに父の手ゆづり蛍の夜 初富士を遠見に喜寿のこころざし 掉尾に置かれたこの作品は、よし子さんの健脚をもっての更なる俳句行脚のスタートと言えよう。よし子さんのこころざしが、花ひらき、実を結ぶことを念じて止まない。 と、千田百里さんは結んでおられる。 今年喜寿を迎えられた佐々木よし子さんである。 本句集の担当はPさん。Pさんの好きな句は、 風光る波太渡しの手漕舟 船虫の影すらもたず四散せり数へ日の鋏の音も寺領かな 冬あたたかみな桃色の鳩の脚 潮の色変へて沖より時雨来る 江ノ電は光の小筺春近し 船虫の影すらもたず四散せり わたしもこの一句は面白いと思う。「船虫」が季語であるが、「船虫」の生態を一瞬の景で描きだした。「影すらもたず」が心憎い描写だ。あまりにも迅速に動く船虫である。夏は繁殖期、おびただしくいると思う。人影に四方八方へと逃げ惑う「船虫」、まさに「四散せり」である。「沖」における「写生派」の面目たり得る一句だと思う。 八重桜空の青さが重すぎる これはわたしが面白いと思った一句。能村主宰、千田百里さんもとりあげておらず、著者の自選句にもはいってない一句である。八重桜は花びらが蜜に重なっており近くで見ると華やかで綺麗なのだが、すこし離れるとどうにも重くれて花自身もすこしその重さをもてあましているような感がある。八重桜をみて重たそうとは誰もが思うが、この一句、重いのは空の青さと見事に裏切ってみせた。きっと真青なるそらがべったりと八重桜の頭上にのっているように思えたのかもしれない。重さに耐えている八重桜が見えてくる。どうにも重い。。。。 倒木の朽ちるに力苔の花 この句も好きである。生きてしまったものは衰退していくことにもエネルギーを要するのだ。そうよ、人間が歳をとるっていうことだって力がいるのと同じ。しかし、倒木は朽ちていくことについて人間のようにあれこれかまびすしくない。黙って静かにだだひたすらに朽ちていく。作者はその倒木が朽ちていく有様に眼をとめた。横たわり木の生気をうしない朽ち果てていく倒木、しかしその木に苔の花が咲いているのではないか。倒木からエネルギーをすこしづつ貰って、こうやって花を咲かせている。そしてまたそれは死んでいく倒木への苔の花みずからの供華であるかのように。 麦の秋少し熱めに風呂沸かし この一句、とても気持ちのよい句で好き。「麦の秋」が夏の季語であり、歳時記によると「気候も安定し日本がいちばん美しい緑に包まれる時期」とある。そんな清々しい季節にいつもよりすこし熱めに風呂を湧かすという、「ああ、ちょっと熱めのお風呂にはいってさっぱりしたいわ」なんて言って入って、風呂からあがって窓をあけると麦秋である。乾いた気持ちのよい風が身体をつつむ。いいなあって思う。 平成十四年「沖」七月号にて初めて三句掲載されました。 前年の春友人と真間山弘法寺の風生桜を観に出かけた折、「てこなポスト」に投句して参りました。この投句箱は真間史蹟保存会のもので、能村研三先生が選者だったのです。その「てこなポスト」の年一回の発表の場で特選をいただき、先生にお目にかかる機会を得ました。そこで弘法寺の人間学校俳句教室へのお誘いをい ただきましたのですぐに入会し、御指導を受けることになったのです。早速「沖」への投句を始め、これが「沖」への入会でした。(略) かつてゴルフに夢中になっていたことがありました。晩年の趣味として俳句を選んだ事は正解だったと確信しております。人生をこんなに豊かにしてくれるのです。折れそうになった心を励ましてもくれました。先輩、句友の皆様ありがとうございます。句集上梓を機に改めて心よりお礼申しあげます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ほかに 口中に一瞬しぶくレタスかな まつ新な卓布に折目朝桜 不揃ひの未来びつしり青ぶだう 夕立や静止画像のやうな街 午後の部へオルガンはこぶ運動会 秋思とは太古の森に入るやうや 日脚伸ぶ自転車に積む培養土 本句集の装丁は和兎さん。 造本はフランス装カバー装 グリーンをテーマカラーに。 花のパール泊がシンプルな装丁に立体感をあたえている。 表紙は、モスグリーンに。 見返しと表紙は同じ用紙。 扉。 しおり紐は薄緑。 江ノ電は光の小筐春近し 佐々木さんは喜寿を迎えられたが、まだまだお元気で「沖」の中央例会を始め、月に四、五回句会でお会いする機会があるが、「沖俳句」が目指している「俳句の新しさ」に適う俳句を作られているのは有難いことである。 本書の上梓を心よりお祝い申し上げるとともに、お身体をご自愛いただき、さらに句業を深められて益々自在なる句を詠まれることを願ってやまない。 能村研三主宰の序文より。 この「江ノ電」の一句はわたしも好きである。なんたって「江ノ電」ファンなら「光の小筐」と言ってもおおきく頷いてしまう。海風をともなって鎌倉の海沿いを可愛らしく走る江ノ電。いつも心が浮き立つ思い。 ここんとこ、乗ってないな、「江ノ電」に。。。。 そしてもう一度、「すてん晴」とは、、、、、 「すけるような晴天」 のこと。 覚えました?
by fragie777
| 2019-07-30 19:38
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Comments(2)
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オスカーさま
ありがとうございます! まさに、そうでした! 謝!謝!
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