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ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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俳誌「橘」五百号記念大会

7月29日(月)  旧暦6月27日


俳誌「橘」五百号記念大会_f0071480_17550327.jpg

山里の民家に咲いていた射干(ひおうぎ)。

すでに夕暮れが迫っていた。

俳誌「橘」五百号記念大会_f0071480_17550721.jpg
オレンジ色がなんとも優しい。





今日は口にしてはいけないような恥ずかしい事をやらかしてしまった。
スタッフたちに言うと、呆れて大笑いをされたが、わたしはしばらく仙川の街をうつむいて歩かなければいけなくなりそう。。。。
何をやったかは言わない。
ふらんす堂の名前に瑕(?)がつくかも。105.png
繊細な心の持ち主であれば、もう生きていけないなんて思うかも、
しかし、yamaokaである。
思い返すと恥ずかしいけど、どんどんへいちゃらになりつつある。。。。






お待たせしました!

「ふらんす堂通信161号」が出来上がってきました。


俳誌「橘」五百号記念大会_f0071480_19353669.jpg

本日発送をしましたので、今月末あたりからお手元に届くとおもいます。

よろしくお願いいたします。






校正出版社のwebマガジンに、俳人の石島岳さんが、田中裕明の俳句を数句とりあげて鑑賞をされている。

→「気づきの俳句」

是非にアクセスを。




本日の讀賣新聞の「枝折」は、小川軽舟句集『朝晩』を紹介。

「鷹」主宰の第5句集。2012年以降の作品から360句を収録。単身赴任の日々などを柔らかな叙情で詠む。

 風呂は沸き飯は炊けたり初鰹




本日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、山崎照三句集『あはうどり』より。

 串揚とイカリソースと俺の夏     山崎照三

句集『あほうどり』(ふらんす堂)から。作者は1939年生まれ、千葉県佐倉市に住む。串揚げとイカリソーズが自分の夏そのものだった、という句だが、私もかつて「花冷えのイカリソースに恋慕せよ」と詠んだ。学生時代、おかずのないときなど、ごはんにイカリソースをかけて食べた。私の夏もイカリソースと共にあった。




同じ毎日新聞に櫂未知子さんが、「師の『ラストシーン』」と題して、大牧広追悼の文章を寄せている。師であった大牧広氏の初期からの晩年までの作品にそって自身の大牧広氏への思いを語っている。師としてまぶしく仰ぎ見る存在であったが、櫂さんはその師をあたたかな思いで深く理解している。しかし、表現者同士の冷静な眼差しもある。句集『某日』所収の一句「ラストシーンならこの町この枯木」をとりあげ、「口下手だった大牧先生が『本当は映画監督になりたかった」と呟いたことにふれている。櫂さんの心の中の「なぜ」は、その後の句集『昭和一桁』を読んで、選択肢を持てなかった時代に生きた師を思ったと書いている。そして、句集『朝の森』のことに話が及ぶのである。以下紹介したい。

先生はその晩年、作風がかなり変わった。いわゆる市井の哀歓や、都市に住む人のささやかな暮しを描く詠み方から、どちらかというと社会性俳句にかなり接近していった。
 憲兵隊ありし坂にて雁鳴けり
 教練で走りたる野も失せて冬
 敗戦の年に案山子は立つてゐたか
蛇笏賞を受賞した『朝の森』より。有季定型派として季語に全てを任せるというよりも、戦争と平和についての自らの思いを述べる方向へと、大牧先生は変貌していった。その中での受賞決定だった。
贈呈式を待たずして先生の命の火が尽きてしまったのは、まことに残念だった。大牧先生の描きたかった本当の「ラストシーン」はどんなものだったのか、尋ねたかったのだが。


師を見つづけ師の作品を読みつづけたきた者でなければ書き得ない追悼の一文である。







昨日28日は、埼玉県桶川市にある「さいたま文学館・市民ホール」にて、俳誌「橘」の五百号をお祝いする会があって、スタッフのPさんが出席した。
以下Pさんのレポートを元に紹介したい。


俳誌「橘」五百号記念大会_f0071480_19032775.jpg

ご挨拶をされる「橘」主宰の佐怒賀直美氏。



振り返って見ますと私も「橘」との関わって大分年月が立ちました。
大学時代に松本旭に出会って、ちょうど「橘」が雑誌になる頃ですね。
今日はそういったお話も本阿弥秀雄様からお話し頂くんですけれども、ちょうどその頃に私が大学生で俳句を始めたころなんですね。
卒業してすぐに編集を手伝わせていただき、その時にはもう本阿弥秀雄さんが編集長でバリバリとやっていただいていておりまして、
一緒に最終校正をしたのを懐かしく思い出されています。
その時に一緒にいてくださったのが針ヶ谷隆一さん、残念ですけども先月お亡くなりになりました。
そんな事も思い出されます。
毎月毎月ですね、校正をして終わりますとちょっと一杯引っかけたり。
そんな懐かしい思い出もすでに30数年前の出来事です。
旭先生、翠先生が亡くなられてからも、もうそろそろ4年が経とうとしているという、時間というのはどんどんどんどん過ぎていくものなんですけれども、
でも我々、時間に追われるのではなく、時間を追いかけていきたいなと思います。
編集の仕事も結局そういうことですね。
前を前を見ながら、そこでどんどんどんどん時間に近づいていく、時間を操るように、そんな「橘」であってほしいなと思ってこれからも頑張って行きたいと思っています。
今日は500号ですからね、改めて「橘」の目指すもの、これを皆さまにもう一度確認して頂く気持ちで読み上げさせて頂こうと思っています。
私も大変大好きな「橘」の目指すものの三項目です。

「一、私たちの生命(いのち)は、一回限りである。密度の濃い人生を送らなければならない。そのために私たちは俳句をつくる。“生きることの証明”につくると言ってよい。」
私たちの生はこのように本当に一回限りの生を精一杯に生きて、旭先生も翠先生もそうでしたし、橘の諸氏も自分の生をまっとうして俳句を一生懸命つくって、今頃空から我々を見守って下さっていることと思います。

「一、対象世界を、自分の感動をしっかと見極めなければならない。いわゆる“感動の焦点化”を行う。写生の大切な所以である。」
我々が「橘」を通して俳句を作っていくというのは、目の前に季節の言葉「季語」があってそこに自分自身をどう灯影させていくかということに真向かいながら、そこで感動の焦点化をしながら俳句を作っていく。「生きる証」につくる俳句というのは自分がそこにいなくてはいけないと思います。しっかりと自分を持って、自然と向き合って、その中から生まれてくる五七五が自ずと「橘」の一句になっていくと思っています。

「一、自分を“生み出しもの”への感謝を忘れまい。そこから豊かな俳句が生まれる。」
私はこの三つの項目の中では三番目が一番すきです。
何故かと言いますと、一つ目二つ目は同じような言葉を結社の指針としているようなところは沢山あると思うんですが、三つ目の「生み出でしものへの感謝を忘れまい」というのを指針として表に出している結社というのはそんなにないんじゃないかなと思います。
その辺りが松本旭が一番言いたかったことなんじゃないかと思います。
もちろん、両親であり、祖先であり、あるいは仲間、広げていけば大自然そのもの。
最近は宇宙開発も進んでいますが、宇宙の中の地球であり、地球の中の日本である、そして日本の中の我々であり、そして俳句をつくる仲間である、とどんどんどんどん感謝の輪を広げることによって我々も自然に近づくことができるのではなかろうか。
感謝の心も持ちながら、自然と向き合う、その中で一生懸命自分の生涯を俳句に向かっていくというような姿勢で、700号、1000号と目指して行ければと思っております。


「記念大会」は、一部と二部にわかれれ、本阿弥書店の本阿弥秀雄氏による記念講演「橘創刊の頃と旭先生」があった。

師・松本旭の『松本旭句集大全』〔橘俳句会・篇 本阿弥書店刊)が刊行されたばかりである。



俳誌「橘」五百号記念大会_f0071480_19120876.jpg


佐怒賀直美主宰をはじめ、俳誌「橘」の皆さま
五百号おめでとうございます。
心よりお祝いを申しあげます。171.png171.png171.png









さあて、帰ろう。

あのいつも通る道はやめて、違う道を行こう。

ひょっとしてわたしの醜態を見た人もいるかもしれないからね。。


ああ、気づいた人がいませんように。(って絶対無理)










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by fragie777 | 2019-07-29 19:40 | Comments(0)


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