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7月23日(火) 大署 旧暦6月21日
曇り日の向日葵。 ここに咲いていた向日葵はすべてうなだれていた。 アップで撮ってみた。 花というより怪物の顔のようで、しゃべり出しそうである。 新聞の記事を紹介したい。 21日づけの朝日新聞の「風信」に、小川軽舟句集『朝晩』が紹介されていた。 第5句集。2012年以降の作品から、日々の暮らしの中で詠んだ360句を収録。 夕空は宇宙の麓春祭 23日付けの毎日新聞の新刊紹介には、ふらんす堂刊行の書籍が二冊。 第16句集。百歳を超え、ますます自由闊達な境地がうかがえるかろやかな一冊である。とにかく楽しい。 瀧の上に水現れてすぐ落ちず デジタル調アナログ調と踊見る 敬老の日に堂々と物忘 第5句集。 秋燕や大きくものを焚きし跡 焚火跡細き轍の二本あり 製材所の焚火のなんといい匂ひ など、ものを燃やすことへのひそかなこだわりがかなり面白い十年振りの句集である。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんの「四季」は、小川軽舟句集『朝晩』より。 松蝉や昼深ければ人を見ず 「昼深し」とは不思議な言葉。太陽が昇ってゆき、いつの間にか、しいんとあたりが静まる。いわは昼の静寂さをいうのだ。この句、誰もいない真昼の松林。松蝉は、梅雨の前から松林などで鳴いている小さな蝉。句集『朝晩』から。 新刊紹介をしたい。 四六判上製函入り 218頁 二句組 著者の小島一慶(こじま・いっけい)さんは、知る人ぞ知るかつてラジオ番組で活躍されたアナウンサーである。略歴に1944年の長崎生まれとあるので今年75歳である。むかし中学校時代とか深夜放送の「パックインミュージック」を聴いていたわたしと同世代の人たちも少なからずいるはずだ。また、テレビでは「どうぶつ奇想天外」のナレーションといえはやや声髙の軽快な声を思いださないだろうか。本句集はその方の句集である。俳誌「玉藻」主宰の星野高士氏と出会ってより俳句にふれたことがきっかけが作句のはじまり。本句集には星野高士主宰が序文を、かつてお仕事をともにされた阿川佐和子さんが「序の付録」として文章を寄せている。 一慶さんとの出会いは、今も、三十年以上に渡って続いている「五色会」という、私にとっては、楽園のような句会の横浜吟行であった。何と言っても一慶さんは、私の青春時代を共に過ごさせていただいた、有名なラジオパーソナリティの草分け的存在。そんな尊敬している彼が、その時に、よく俳句という文芸と出会ってくれたと、神に感謝だ。又、出会うだけでなく、更に進化しつつ常に探究心を向上させて俳句に向き合ってくれているのは、大変に有難い事である。要するに、一慶さんは俳句が好きなのである。いや、好きを通り越して、彼は、俳句に夢中なのである。 星野高士さんは、こんな風にその出会いを語る。 さて、俳句は、物の見立てから入るのが多いのであるが、彼の俳句は、その見立てを超え、更に、現実化できている事も一つの面白さである。 そして、たくさんの句を引きながら、一慶さんの俳句の魅力にふれているのである。抜粋して紹介したい。 物あれば輪郭のあり秋の声 楽器みな空洞ありて夏の夕 古本に知らぬ歳月雪の果 四つ角はみな直角の薄暑かな 更衣まだ海の色ととのはず 春塵や立子をうたふ素十の句 梅雨ふかし衣ばかりの海老フライ もつれたるものほどけゆく春しぐれ 不機嫌と無口は似たり炎天下 泣くために来たる昼席十二月 鴨引くやひとごゑうるみはじめたる とぎれてはつづく声明春近し どこでどう作ってもぶれないところが、この作者の強みの一つだ。又、私の信条でもある作者の立ち位置が明確であり、しっかりと読手に伝わってくる。今後の一慶さんの俳句作りを信頼する、何よりの所以(ゆえん)である。 ともあれ、この一書を隅なく読んでいる内に、こちらの心が満たされてゆくのが、よく分かった。屹度、この句集の後にも、一慶俳句は、進化しながら作られて行くと思うと、何か楽しくなって来た。 「序の付録」(という言い方も面白いが)を書かれた阿川佐和子さんは、テレビでの仕事の場としての出会いからはじまった小島一慶というアナウンサーとのあたたかな交流を語る。兄のように励まされたことなど具体的なさまざまな思い出を蘇らせる。そして、 一慶さんのさりげない話にはいつも物語がついてきた。名もなき草を取り上げても、銀杏の赤ちゃんを見つけても、旧友の思い出を語るとき、変わったプロデューサーにあだ名をつけるとき、一慶さんの言葉の後ろにはいつもワクワクするような景色が広がった。 五、七、五の短い言葉に乗せて、一慶さんはこれからも読者の心をつかんで離さない物語を伝えてくださるにちがいない。 門外漢ながら本書を一句一句、梅干しを味わうように(たとえが悪いですね、すみません)読んでいたら、この句に出合った。 この先の狂気は知らず初桜 今度お会いしたとき、この一句に秘められた物語を、あの透き通る声で語り聞かせていただきたいものだ。 と、阿川佐和子さんは、「序の付録」を結んでおられる。 余計なことながら、この句、「初桜」をこんな風におくのはなかなかなんじゃないだろうかと、わたしは思った。「桜咲く」であったら通俗になってしまう、そんなところを「初桜」だ。己を律する精神の緊張ようなものがありはしないだろうか。 入口のやうに出口のやうに夏至 句集名となった一句である。句集名からして不思議さをまとっている。そしてこの一句だ。「夏至」という季題をこんな風に詠んだ人間はいないのではないか。シュールと言えばシュール、人を食っているといえば人をっくっているような、しかし、天文学的にいえば、北極は太陽が沈まず、南極は太陽を見ない、地球上では白黒がはっきりする時であり、それはまた行き方によっては入口のようであり出口のようでもあると、あえて理屈をつけてみたが、この一句は、そんな解釈をこばむようにしてゆったりと不思議である。そして魅力的な一句である。 そんなふうにわたしにはとても面白い句集だった。 ゆったりとした気息があり、それでいて味わい深い。 思ひ出に続編はなし春の雪 思い出というものに続きがないということ、そう、たしかに思い出はいつも完了形でやってくる。だからその思い出というものをちがう色合いのものにかえるなんてことはできない。「思ひ出に続編はなし」は悲しみの表現である。続編があればことなる物語へと展開させていくことだってできたはずだ。それができないのは残酷で悲しい。この一句、「春の雪」の季語がすごくいいと思う。上5中7の感傷的でやや手垢がついた謂いを「春の雪」が救っている。ふんわりと優しく。 更衣まだ海の色ととのはず この一句も好きである。どう解釈すべきか、ちょっと説明しようがないのだけれど「更衣」という季題がもつイメージを海にまでもっていってしまうのがすごい。たしかに「更衣」と「海」はそう遠くないところにあるかもしれない。しかし「更衣」と「海」を俳句においてどう結びつけるのよ、と考えたとき、「海の色ととのはず」などという表現はなかなかちっとやそっとで出て来ないのではないか。心憎い一句だ。 白玉や女同士は暴走す これには笑った。「暴走す」ですと。「暴走」なんていう言葉を俳句につかうのは簡単じゃないと思う。しかも、暴走に対峙しているのが、「女」であり「白玉」である。「女同士」と「暴走」は、男の視点からの「女同士」への批評の目である。しかし、それを救っているのが「白玉」だ。ややシニカルにしかし優しく女をみる男なのだ、結局。 アナウンサー歴五十年。 俳句歴は十二年目となる。 同じ言葉を表現方法とするが、アナウンサーの言葉と俳人の言葉は、全く、別物である。アナウンサーの言葉は、ひたすら外へ向かう。同じものを描写するにしても、アナウンサーは、瞬時に反応し、次々と言葉にして行く。間が無い。沈黙が怖い。興奮は興奮のまま、表現が、オーバーになることが多い。〔略) 一方、俳人の言葉は、ひたすら内へと向かう。一旦、言葉を沈潜させ、熟成させ、表現してゆく。間を大事にし、沈黙を怖れない。 僕が俳句に夢中になったのは、これまでと正反対の言葉の表現に魅了されたからに他ならない。新しい遊び道具をもらった子供のようなものだ。しかも、初めて参加した星野高士先生の「五色会」の横浜吟行で、いきなり特選をいただいた。所謂、ビギナーズラックである。〔略) それにしても、この本は、世界で一番幸福な本である。 我が師星野高士先生の序文。超多忙の中、愛情にあふれた過分なお言葉を頂戴した。 アートディレクター副田高行さんの装丁。藤井保さんの写真。 そして、二つ目の序文として、かつての盟友阿川佐和子さんである。本当に、身に余る光栄以外の何者でもない。 又、全体の陣頭指揮は、長女の連れ合いである、コピーライターの照井晶博君に執ってもらった。 そして、そして、句座を共にして戴いた「五色会」の皆さまに、お礼を申し上げたい。殆んど、すべての句は、この会で生まれ、育てられたものである。感謝。感謝。 ほかに けふ誰のためにも生きず冷さうめん 物あれば輪郭のあり秋の声 白梅やより添ふものを影と呼び 家中のあかりあつめてさくらんぼ ゆふかぜのほどくひかりやさるすべり 死者生者敗者勝者や雲の峰 我のこと我は好きなり八つ頭 巻末の「あとがき」はかなり長いものであるが、ところどころ抜粋して紹介した。ご病気であることもあとがきには書かれている。 本句集の装丁は、「あとがき」にも書かれているように著名なアートディレクターである副田高行さんによるもの。 ボール箱いりのもの。 中から色鮮やかなブルーの本が現れる。 水色のクロスに白の箔押し。 見返しもブルーである。 花布、栞紐もそれぞれやや異なる色のブルー。 本文扉。 本文レイアウトは副田高行さんと伊藤歩さんによる。 文字の色はブルー。 書体は丸明オールド。 藤井保さんの写真が3葉入っている、うちのひとつ。 すべて印刷はブルー。 ややクラシカルな雰囲気をまとい、書物然とした威風のある句集となった。 改めて、『入口のやうに出口のやうに』第一句集、出版本当に良かった。今後とも、いろいろな場面、いろいろな時間を共有して、俳句を作りまた語り合いましょう。序文を書いていると、もっと書きたくなる句集ではあるが、この辺で、筆を措かせていただき、余韻を楽しみたいと思っている。 序文より。 本句集にはご本人もかかれているように弔句がいくつかある。小島一慶さんがお仕事で交流のあった方々で、わたしたちのよく知っているお名前が多い。 そのお一人であるコラムニストの天野祐吉さんは、わたしも好きな人だった。 その句と「あとがき」の言葉を紹介したい。 ありがとうまたねと別れ冬の星 天野祐吉さんには、TBSラジオで、二十年以上にわたり、コメンテイターとして、大変、お世話になった。 「インタビューってネ、相手を見るということです。インターは、相互に、ビューは、見るという意味でしょ。」 インタビューの真の意味も教えて戴いた。 「ありがとう。またね。」は、生前の天野さんの最後の言葉である。 天野祐吉さんは、やわらかにものを見る目をもった人だった。 浅漬や男にもある女顔 余白のたっぷりある句集である。
by fragie777
| 2019-07-23 20:56
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