ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。

7月17日(水) 鷹乃学習(たかすなわちわざをならう) 京都祇園祭  旧暦6月15日


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17545514.jpg

日差しなきままに咲く百合。



今朝のこと、スタッフが話題にしていたこと。

「東京って雨がふらなくなってもう17日くらい経っているらしいわよ」
「ええっ、そんなに、、、」
「ジャニー(喜多川)さんが亡くなったから天変地異がおこったのよ」
「あははは、そう?」
「聖徳太子が死んだあとも(?)天変地異が起こったらしいですよ」
「そうなんだ」とわたしもここで話題に加わる。
「馬や牛が二足歩行をはじめたらしいです」とスタッフ。
「あはははは、そういう天変地異だったらなんかおもしろいじゃない.
手塚治虫の描く漫画の世界みたい」とyamaoka。
「ジャニーさんが生きていたことによって、戦争を止めてた(?)から、これからコワイ世の中になると思う」ってそういう話題が一部のジャニーズファンの間であるらしい。
「だからみんな選挙行こうよ。平和じゃないとエンターテインメントは楽しめないよ」と言い合っている若者もいるらしい。
そうか、、、
ジャニー喜多川の逝去は、そんな風に語られてもいるのか。。。
彼は戦争体験者だった。
かれの演出した舞台には、戦争反対の姿勢が貫かれていた。









今日は新刊紹介をしたい。

栗林智子句集『さきがけ』。


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17551202.jpg
四六判仮フランス装カバーがけ。166頁


著者の栗林智子(くりばやし・ともこ)さんは、神奈川県大和市にお住まいである。ご夫君は俳人の栗林浩さん。1999年に「白露」に入会、「白露賞」を受賞され2008年「白露」同人、白露評論賞優秀賞を受賞、2012年「白露」終刊ののち、2013年「郭公」の創刊同人としての今日である。本句集は、これまでの作品を精選収録した第1句集であり、序文を井上康明主宰、栞を池田澄子さんが寄せている。
序文を抜粋して紹介したい。

智子さんは俳句に関するエッセーや評論の執筆など、文芸、文学への幅広い興味関心を抱く。俳句とは異なる文芸分野への教養や関心が、句作の際には、新鮮な瞬発力として働いているのではないか。その作句の背景には豊かな文芸、文学の諸相が広がっている。同時に、広やかなみずみずしい情感は、生まれ育った北海道の風景とそこで過した歳月が育んだものではないかと思う。
(略)
句集には、夕暮れの雨や雲、空や水を詠んだ清新な句が多い。なかでも大きく自然を捉えた作品に心惹かれる。 

 夕凪や波ひくときの砂の音
 暮れぎはの空の群青秋寒し
 八大龍王凩は雨ともなはず
 布団干す空にも起伏ありにけり
 枯蓮水にも眠りありにけり

「夕凪」の句、夏の暮れ、海の静かなひとときに聞こえる砂の音は遠い海鳴りを想像させる。「暮れぎは」の句、夕暮れの空を秋寒の季節感によって捉える。自然の変化に濃やかに感覚を働かせる正面きった自然詠である。「八大龍王」「布団干す」の句は、大きな自然の果てしない印象を詠む。この自然の壮大な奥深さが魅力だ。「枯蓮」の句は、冬の蓮池の水に想念の世界へ誘う色を見ている。深まっていく冬の静寂と寒気を伝え、奥深い自然の表情をじっと見つめている。



栞を書かれた池田澄子さんのタイトルは「水 真新し」。

 雪原を真二つにして春の川

この一句によって、句集『さきがけ』は始まる。こんなに大きな、それでいて繊細な厳しい視線が捉えた堂々とした作、そのことが作者を信用させる。先を読もう、と思わせる。。集中、この大景の捉え方のどっしりとした詠み方の作品が、程よい頃合に現れては読者をも程よく緊張させ、また次へと誘う。

 高きへも水は流るる蕗の薹
 雲の峰はるかまで畝まつすぐに
 筒鳥や森の奥まで日の透きて
 空の端よりぐんぐんと夏の雲
 湧き水の水押す力みてゐたり

これらの大景は大きいだけではない。大きくて繊細なのだ。「高きへも水は流るる」は写生だろうか。確かに、水の勢いと地形によっては、水は高い方向へ流れることもあるだろう。そして、その水は蕗の薹を育てる。茎を昇っていく水をも思わせる。(略)
そして「湧き水の水押す力」、書かれてみれば、まさにそうだ。「みてゐたり」の「み」の平仮名は、「力見て」と漢字を重ねて表記したくなかったからだろう。
私の中で一気に、栗林夫人は、俳人・栗林智子になった。
(略)
芭蕉、その他の先人から脈々と書き継がれてきたものの喩としての「水」は、新しくあらねばならない、という思いに、私は胸が熱くなるのである。

 芭蕉忌の流れくる水真新し


本句集の世界を統べているものは、井上康明さんや池田澄子さんが書かれているように、特に池田さんはタイトルにまでした「水」であると私は思った。

 雪原を真二つにして春の川
 高きへも水は流るる蕗の薹
 魁の真白きいのち水芭蕉

句集の最初におかれた3句である。この頁を開き読み始めたときから読者は清冽な水音に支配される。そのことを著者の栗林智子さんが意図的にされたのか、そうでないのかは分からない。あるいは意図的な編集でなくとも、北海道生まれの峻烈な水の世界で育った著者の肉体はどこにいても「水」を呼び込んでしまうのではないか。だから「水」はこの句集のいたるところに顔を出す。水の気配の句は例をあげれば限りがないほどである。

 冷されて馬美しく耳立てり
 夜は青き雪国氷りたる睫毛
 雪だるま耳のあらぬは悲しけれ
 湧き水の水押す力みてゐたり
 枯蓮水にも眠りありにけり
 ふところに水のこゑ抱き山眠る
 聖堂を沈め河骨花あかり
 幼な子と水のこゑ聴く春の昼
 初夏の夜明けは水のやうな空
 渓谷のここは東京したたれり
 空の潭(ふち)より秋冷のはじまれり
 露の玉水のたましひかと思ふ
 罔象女(みづはのめ)そは赤蜻蛉かも知れぬ
 芭蕉忌の流れくる水真新し

どうだろう、このさまざまな「水」。実はもっともっとたくさんの「水」が詠まれているのだ、これはその一部。多様に水の容である。

 炎天のあの雲流氷かも知れぬ

炎天の雲に流氷を思うなんて、常軌を逸しているほどだ。しかし、詩歌は合理性を詠むわけではない。栗林さんには、炎天下においても水が見えるのである。しかも氷った水である。そこがすごい。「水オタク」なんて言ったら叱られちゃうかな。だから当然「水の声」を聴けるし、「水のたましひ」だって見える。そして、

 罔象女(みづはのめ)そは赤蜻蛉かも知れぬ

「罔象女(みづはのめ)」とは、「水をつかさどる神」のこと、著者は赤蜻蛉に「罔象女」を見ているが、わたしは栗林さん自身が、「罔象女」ではないか、と密かに思う。それほどこの句集には「水」が行き渡っている。俳諧の精神においても「水」は大切だ。池田澄子さんが栞で書かれているように、「「水」は、新しくあらねばならない」のだ。
本句集においては、よどんだり濁った水は登場しない。それは真水といってよいほどの透明感と冷ややかさをもち、著者の詩心をかきたてるのだ。清心な水の響きに満ちて。
読者は『さきがけ』を読み終えたとき、まっさらな水で心を洗われたような読後感をいだくことだろう。


可愛いおばあちゃんになるためのツールくらいに思って始めた俳句ですが、俳句に虜(とりこ)にされてしまいました。虜にされたと思いつつ、どこか冷めてもいるのです。句集は出さない、出せないと心に決めていました。それが優柔不断にも上梓することになり、この場に及んで恥ずかしい気持であります。

「あとがき」を抜粋して紹介。

ほかに、
 
 白躑躅すとんとすずめおちてきし
 蜃気楼どこかで赤子生まれしよ
 馬の尾を梳く青年の夏帽子
 鳥呼ぶ木呼ばぬ木春の来てゐたり
 石ころは地球のかけら地虫出づ
 春の泥どつさり昇降口の靴
 初蝶と見しより音のなき世界
 見えさうで見えぬたましひ白牡丹
 歩くとは風を生むこと聖五月
 鳴かぬ虫ゐて鳴く虫のせつせつと
 枯尾花空錆びることなかりけり
 冬のたんぽぽこころにも日溜りが
 嚔して鎌倉の栗鼠おどろかす


本句集の装丁は和兎さん。

ふらんす堂に来社された時、栗林智子さんはいろんな造本のなかから、仮フランス装のご本を選ばれた。
そして、透明感のあるカバーのものを。



ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17551571.jpg

紙というよりはトレーシングペーパーを堅くしたような素材のものをカバーに。
(ふらんす堂では始めて使ったものである)


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17551878.jpg
表紙の模様が透いてみえるしかけ。


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17552049.jpg

カバーをはずすとこんな風に。


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17552564.jpg


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17552344.jpg
栞と。


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17552737.jpg
扉。


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17553188.jpg

栞紐は紫に。


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17553361.jpg


ひょっとしたら罔象女(みづはのめ)なのかも。。。。_f0071480_17553696.jpg


句集『さきがけ』には、みずみずしい叙情の物語が鮮明に広がっている。それは、栗林智子さんの目が捉えた世界に他ならない。この第一句集をさきがけとして、その俳句がさらに広く深く進展することを期待したい。

井上康明主宰の序文より。



 鶏頭のぢつとしてゐる日差しかな

面白い一句だと思った。「ぢつとしてゐる」という措辞は「鶏頭」にはふさわしい。その名のとおり、どこか動物めいた鶏頭である。意志をもって動かずにいるということもあるいは考えられる。上5中7で鶏頭の様子がリアルに見える。そして「日差し」、じつはこの句「日差し」も鶏頭にとどまって「ぢつとしてゐる」ように思えないだろうか。秋のあたたかなそうなしかし鶏頭の色をきわだたせるような澄んだ日差しである。








どうやら風邪を引いてしまったらしい。
(調子に乗ってるからだよ、って、うーむ。言い訳は致しません)
朝からイソジンでうがいをしているのだが、喉の痛みだけでなく、鼻水も出てきた。
スタッフの緑さんが、「パブロン」をくれた。
「ビタミンCと一緒に飲むといいですよ」って。
わたしは引き出しに手をのばし、ビタミンCの錠剤の入っている瓶から3粒とりだしてパブロンと一緒に飲んだ。
もう2時間ほど経っているが、これはもしかするとさらに悪化するかもしれない、という感触がある。
参ったな、、、
ともかく、ブログを書き上げたら帰ろう。。。













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by fragie777 | 2019-07-17 20:19 | Comments(0)


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