ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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爽やかな健康体をもつそれなりにクールな感性

7月9日(火)   旧暦6月7日


爽やかな健康体をもつそれなりにクールな感性_f0071480_17324285.jpg

梅雨ただなかの矢川緑地その2。

この緑地に水が戻ったことはなにより嬉しい。




本日付の讀賣新聞に蛇笏賞を受賞された大牧広氏の記事が「超空賞」を受賞された内藤明氏の記事とともに載っている。
「反戦反骨の大牧広さん」と題した記事を紹介したい。

「歴代で最ももめた選考会の一つだったのではないか」。第53回蛇笏賞(角川文化振興財団主催)をめぐり、選考委員の高橋睦郎さんは6月に東京都内で行われた贈呈式で、こう切り出した。
受賞作、今年4月に88歳で亡くなった大牧広さんの大牧広句集『朝の森』 。同作が蛇笏賞にふさわしいかどうかで委員4人の意見は二つに割れた。「目指すは方向性として不十分」「通俗的」といった見方も有り、受賞作なしという可能性もあったが、結果的に独特の個性が同賞の世界を広げることになった。
大牧さんは昭和一桁生まれの市井人として、反戦を貫き、時事や人間を詠む社会性俳句を作り続けた。〈声きつと初音のみなる避難地区〉。被災地が詠まれた巻頭句。時空を超えた戦後の東京。諧謔や哀歓を漂わす句も多い。「3.11以降を敗戦の続き、深まりとして詠み続けることは誰もやっていない」と高橋さんは高く評価する。
「晩年になって一層偏屈なほどひたむきに作句の社会性を追求したことが、受賞につながったと確信している」と、亡き師に代わりあいさつに立った仲寒蝉さん。大牧さんは3月同賞が決まり、翌月、膵臓がんのため死去。5月に約120人が集まったお別れの会で、次女で俳人の小泉瀬衣子さんは「受賞の連絡を受け、俳句人生の最後に大きな賞を頂けたことに喜び、皆で泣いた」と語っていた。(略)(文化部 佐々木亜子)









新刊句集を紹介したい。


小川軽舟句集『朝晩』。



爽やかな健康体をもつそれなりにクールな感性_f0071480_17330045.jpg
四六判ハードカバー装 帯有り 214頁 二句組


俳誌「鷹」の主宰小川軽舟さんの第5句集である。第4句集となる『俳句日記2014 掌をかざす』に次ぐものである。「あとがき」によると「この句集は、二〇一二年から二〇一四年までの三年間の作品を中心に、二〇一八年までの作品を適宜加えて編んだ」とあり、また、「この間、ふらんす堂のホームページに一日一句と小文の「俳句日記」を一年間連載し、『俳句日記2014 掌(て)をかざす』としてまとめた。」とあり、時間的には第4句集『掌をかざす』と同時期のものも収録していることとなる。本句集には、著者による「序に代えて」がある。2018年の12月16日に日本経済新聞に掲載されたものだ。著者があえてこの「序に代えて」を句集の前においたことは、ある思いがあってのことである。そのことはまた「あとがき」にも記されているが、おのずと読者はその作者の思いにさりげなく導かれながら句集の世界入っていくことになる。句集名「朝晩(あさばん)」もまた、作者の思いを見事に象徴しているのではないだろうか。
なぜなら、俳人小川軽舟にとって、朝起きてより、夜になって床につくまでの日々の時間のさまざまな日常の局面を俳句に作品化していくことが本意であるからだ。さまざまな日常の局面とは、サラリーマンとしての、単身赴任者としての、結社の主宰者としての、あるいは俳句をつくるものとしての、父親としての、子どもとしての、夫としての、社会生活をおくる一市民としての、あるいはそのようなペルソナを脱ぎ捨てたなにもない者としての、そういう一刻一刻なかで掴みとったものを俳句に果敢に詠んでいく。その作品が本句集を形作っているのである。
しかし、そういう予備知識もなしに本句集を読んでいったとしても、わたしたちはそこに作者のリアルな暮らしぶり出会い、そうか単身赴任なのか、料理もどうにかやっているんだなとか、そんな景に思いを寄せて、思わず笑ってしまったり、ふーんと思ってしまったり、日常の些事が巧みに詠まれていてさすがと思ってしまったり、するのである。

 レタス買へば毎朝レタスわが四月
 朝顔蒔く転勤先の借家かな
 行春や車窓に背広かけしまま
 サラリーマンあと十年か更衣
 冷奴電気が高くなりにけり
 暑き日の熱き湯に入るわが家かな
 遠ざかる町に家族や立葵

最初の方の俳句をあげてみたのだが、暮らしぶりがよく見えてくる。心憎いばかりだ。わたしは「レタス」の句が特に好きであるが、単身赴任者とはこういうものか、仕事場できっと果敢に仕事をこなしながらも一人暮らしとこんな風にむきあっている。無理なく読み手に伝わってくるのは作者の力量ゆえである。

 爽やかに仕事ができる体かな

あっけらかんとしたこの一句も好きである。つまりは、この一句に象徴されるようにこの句集を一貫しているのは「爽やかな健康体をもつそれなりにクールな感性」なのだ。なんていうともっと陰影深いものがあるなんて怒られちゃうかもしれないけど。しかし、それが本句集を闊達で清新な魅力あるものにしているんじゃないかって私は思うのである。

 正月の仏壇小さき父の家
 昼飯を父と食ひたる二日かな
 炎天や父の名を待つ母の墓
 母のもの捨つる終活父の汗

ご両親を詠まれた句である。惻々とした思いが伝わってきてしんみりとしてしまうが、しかし、じめじめしたものはない。

 人死んで犬もらはるる小春かな
 鷹の見る絶景見たし死ぬまでに
 ひぐらしや木の家に死に石の墓

「死」について詠んだものを拾ってみた。作者は「死」ということをかまえなしに結構クールに詠んでいるのではないだろうか。作者の丹田あたりですでに「死」を受け止めている、そんな「死」に思えてくる。健全なる肉体にやどる丹田だ。「ひぐらし」の句なんてある覚悟がないとこうは詠めないと思うんだけどどうだろう。とくに下五の「石の墓」はリアルすぎて息がつまりそうだ。
著者の身体には非情さや不条理であることをしかと受け止める装置があって、そこから世界を見ているのではないか。うまく言えないが「死すべきものの覚悟」がそれほど無理をせずに身にそなわっている、それゆえにこそゆるやかな気息があってユーモラスを感じさせるゆとりのようなものがある。
そして眼前にある今が大切だ。

 雪降るや雪降る前のこと古し
 紫陽花のまだ色浅き日々大事


私の人生は私の世代の標準的なものである。あえて境涯俳句と呼べるような特色はない。しかし、平成も終ろうとする今、かつての標準がもはや標準でなくなっていることに気づいた。私の平凡な人生は、過ぎ去ろうとする時代の平凡だった。だからこそ書き留める意味もあるだろう。「序に代えて」として昨年の暮に日本経済新聞に寄せたエッセイを載せたのは、そのような意図の一端を知っていただければと思ってのことである。

「あとがき」を抜粋した。本句集の上梓の意図にふれることができる。

好きな句はたくさんあるが、いくつかあげたい。
季語が人間のくらしぶりのなかで巧みに詠まれている。

 職場ぢゆう関西弁や渡り鳥
 浅く踏む会社の前の落葉かな
 神の留守祇園に飯を食うてをり
 靴墨のつんと香の立つ淑気かな
 夕桜傘さしかけて投函す
 郭公や雨滴ににじむ水彩画
 そのあたり夜のごとくに百合白し
 あめんぼのもうゐぬ水輪ゐる水輪
 新涼は膝寄せてくる妓の如く
 身に入むやぶつかつて来し中国語
 神楽の夜宇宙さへぎるもののなし
 肩の雪払ひ珈琲頼むなり
 御降の庭下駄濡らし過ぎにけり
 女湯に天井つづく初湯かな
 松過やバターめぐらすフライパン
 冬萌や読まれて手紙楽になる
 拭きあげし黒板に梅かをるなり
 下萌や家のタオルの日の匂ひ
 オルガンは雲踏むごとし春惜しむ
 筍のまんまと背丈のばしたり
 サイダーや有給休暇もう夕日
 母のもの捨つる終活父の汗




本句集の装丁は山口デザイン事務所の山口信博さんと玉井一平さん。


爽やかな健康体をもつそれなりにクールな感性_f0071480_17330108.jpg
白を基調とした文字のみの非常にシンプルな装丁となった。


この句集を手にとった方はお気づきだろうか。

「朝」には「月」がり、「晩」には「日」があることを。


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「朝」の「月」をツヤなしの銀箔押しで。


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「晩」の「日」をツヤ有りの金箔で。



爽やかな健康体をもつそれなりにクールな感性_f0071480_17332218.jpg

背もまた、平面とおなじように銀箔と金箔を用いた。

装丁者が意匠をこらしたのは、それのみではなく、「朝」と「晩」との距離である。
たっぷりと距離をとることによって、そこに時間の流れがうまれることを意図した。


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帯の活字はあえて異なる書体をもちいてみた。


爽やかな健康体をもつそれなりにクールな感性_f0071480_17332505.jpg



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カバーをとった表紙も同じ白の用紙をつかってスミのみの印刷。


爽やかな健康体をもつそれなりにクールな感性_f0071480_17333230.jpg

見返しのみグレー。


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扉。


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花切れもスピンも白。


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たっぷりとした時間を感じさせる、清潔でそして品格ある句集となった。



 いつか欲し書斎に芙蓉見ゆる家

 
朝晩庭木に水を遣る。そんな暮らしに憧れている。長年勤めた金融機関から関西の鉄道会社に移り、単身赴任となって七年が過ぎた。私の住む神戸の家も、家族の住む横浜の家も、どちらも借り物である。私はその間を旅人のように往き来して暮らしている。いつとはわからないが、いつかはどこかに落ち着くのだろう。自分の家を建てられたなら、庭に芙蓉を咲かせてみたい。

「あとがき」の言葉である。




俳誌「鷹」7月号のインタビューで小川軽舟さんはこんなことを語っている。

(略)次のテーマというのをそろそろ考えていきたいなと思っているところです。どこかで単身赴任が終わって家族でまた暮らす、そのときはもう家内と二人だけかもしれませんけれど、そういうときが来る。定住するときに何を自分自身のポエジーの源泉にするかということろを考えていかないといけない。
やっぱ現代とはつながっていたいと思うんです。決して、俳句は俳句のユートピアで遊んでいればいいというものではない。ただ、現代とはつながっていたいけれど、もっと自分の心の底も探ってみたい。(略)これからも目まぐるしく時代は変わっていきます。日本がこの先どういうふうになっていくのか予測できる人はもう少ない。そういう目まぐるしい現実も詠んでいきたいし、でもそれと同時に、村上春樹の小説の「世界の終り」みたいなもう一つの世界を深く覗き込んでみたいなという気持ちもあります。まだ、漠然としていますけれど、そんなことを思うんです。
(「世界を深く覗き込む」「俳人を作ったもの 第14回」聞き手・髙柳克弘)



すでに新しい句集への思いを述べられている小川軽舟さんである。





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by fragie777 | 2019-07-09 20:49 | Comments(0)


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