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7月5日(金) 旧暦6月3日
ふらんす堂が面している路地裏の通り。 ここは毎日最低一度はとおる。 この横顔のマネキンは、「野の花」というデイサービスセンターの前に置かれている。 この「野の花」に来ているお年寄りが作ったもの、ここでは帽子やスカーフやいろいろを売っているのである。 皆さんずいぶん器用である。売られているものは、どれも優しい表情をしている。 「いずれ、あなたもふらんす堂ではなくて、こちらに厄介になることになるのではなくて……」と口の悪い家族はいうのだが、 「いやだよ、ふらんす堂の机にしがみついて、離れないもん。絶対」と言ってやる。 ボールペンを握りしめたまま、机の上でいつの間にか死んでいた、っていうのが夢なんだけど、 現実はね。 だいたい、この「野の花」に行っても、わたしはボタン付けだってうまくできないんだから、何の役にもたたないしさ、水をこぼしたり、ものをひっくり返したりして、顰蹙をかうのが関の山っていうところ。 ゴールした時に一番大切なものは当たり前のことだな、と思いました。大地も水も空気も、きれいなのが当たり前。家族と一緒にいられるとか、好きなことが言えて、好きなところに住めることも当たり前です。でも、世界にはそれが脅かされている人があまりにも多い。当たり前のことは貴重なことで、自分で守らなきゃいけないんだ。と。 これは今朝の朝日新聞の「語る」に連載している医師にして探検家の関野吉晴さんの言葉である。 足かけ10年のグレートジャーニーの旅を終えたそのときの思いである。 当たり前のことが脅かされている人があまりにも多い。 そうなのか。。。 当たり前のことに慣れてしまってぬくぬくとしているyamaokaである。 (平和な日本、などと思って、足元に大きな穴があきはじめているのに気づかないのかもしれない) 視線をもう少し先にのばすことができたら、見えてくるものはもっとひろがるはずだ。 しかし、目先5ミリくらいのところで今日もアクセクしている。 銀行に行った。 通帳がいっぱいになったので、新しい通帳をつくるべく新しい通帳をうみだす機械の前に立って、古い通帳をまずつっこんだ。 すると機械がせっせっと新しい通帳をつくりはじめ、やがてその通帳が吐きだされてくるのである。 吐きだされた新しい通帳をしげしげと眺めてわたしは仕事場に戻った。(資金繰りのこともある) で、 古い通帳のことはさっぱり忘れた。 しばらく仕事をして、古い通帳というものがあったことを思い出した。 銀行にいそいで連絡をして取りに行ったのだった。 こんな風にいかにわたしが目先のことしか見えていないか、 おわかりでしょ。 夕方ちかくに、ひとりお客さまが見えられた。 小川久子さん。 京都の東山区にお住まいである。 俳誌「船団」の会員でいらっしゃる。 句集をご上梓するご予定があって、今日はたまたまお出先の途中に東京があり、わざわざ立ち寄ってくださったのだ。 担当のPさんがお目にかかっていろいろとご要望などをうかがう。 小川久子さんは、坪内稔典さんの奥さまの陽山道子さんの句集『おーい雲』の造本と装丁がお好きで、持ってこられて、「この本とおんなじがいいのよね」と仰有る。いろいろと本をご覧になられて、やはり同じ造本でいかれることになったのだった。 小川久子さん。 はじめての句集となられる。 今日は息子さんもご一緒に来られて、お母さまを優しくエスコートされていた。 「すこしだけでもお目にかかれて良かった! どういう所というのも見ておきたかったし、お会い出来たのも良かったし……」と小川久子さん。 ご旅行の途中に足を伸ばしてふらんす堂に立ち寄っていただいたことは、わたしたちも著者を知ることができて有難いのである。 その方のイメージとか雰囲気とか知ることができるのは、本作りにもおおいに参考になるところである。 しかし、京都のお方を目の前にすると、自分がどうにもガサツに思えて来てしまう。 いや、 yamaokaの場合は、京都人に限らずだろう、って、 突っ込みをくださったあなた、 それって、 正解です。 はい。
by fragie777
| 2019-07-05 18:36
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