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6月28日(金) 旧暦5月26日
今日は飯田橋にあるホテルメトロポリタンエドモンドにて「第53回 蛇笏賞 超空賞」のお祝いの会があり、さきほど戻ってブログを書いている。 ご挨拶をレコーダから起こすのであるが、このレコーダの音が悪くて聞き取れず難儀してしまった。 この写真はお昼前に銀行まわりをして、ふいになんとなく撮った写真。 このロープは何なんだって思った。 これは飯田橋からの帰り、仙川駅をおりて仕事場にむかっているとき、ああ昼間写したヤツが眼の前に。 で、思わず写真に撮った。 そして、思う。 このロープは何なんだ。。。 昼過ぎに仕事をしているとチャイムが鳴った。 ドアをあけると若い女性である。 「先日、ブログにコメントをした者です。猫のきいちゃんのことで」 ああ、思い出した。こんな若い女性だったんだ。 「わたしも仙川に住んでますので、猫のことが気になってコメントを致しました」って。 「仙川にこんな素敵な出版社があったなんて、知りませんでした」 「もう長いんですよ。いまはここですが、画材屋さんの裏にずっと20年くらいいたんですよ、地味にね」 「そうだったんですか」と言いながらそっと袋が差し出された。 おみやげを下さったのである。 「まあ、ありがとうございます」と恐縮して申しあげたのだが、わたしは自分の名刺を渡したのはいいが、お名前を聞くのを忘れてしまった、、、、 いただいたおやつ、すばらしくおいしい菓子パン。甘い物嫌いのPさんが、おやつをまてず「もう食べよう」ということになり、みんなでぱくつき、それでもたくさんあるのでそれぞれが家に持って帰ったのである。 ふらんす堂は知らない方の優しい思いに見守られているんだなあって、しみじみ思ったところ。 ところで、ブログの書き手がすげえ年増で驚いたんじゃないかって思っている。 ごめんなさい。。。 第53回蛇笏賞超空賞について、紹介したい。 ふらんす堂刊行の大牧広先生の『朝の森』が蛇笏賞をご受賞されたが、周知のように大牧先生は天上の人となられてしまった。お目にかかれなかったことが残念である。 選考委員のお一人である高橋睦郎氏の選者の言葉としてのご挨拶がすばらしかった。 「作品は私と真逆であるが、三重丸をつけたいくらいの思いがあった。」と語り、 凄まじい人生を清冽に生きた、「凄春(せいしゅん)の俳人」と呼びたい。と。 受賞のご挨拶は、代理として仲寒蝉氏。 大牧先生の代理でご挨拶を申しあげます。去る4月20日、私の師である大牧広が膵臓ガンのためなくなりました。その死を嘆き悼むとともに、「港」はわたし一代で終刊するという師の言葉にとまどいました。しかし、蛇笏賞の受賞の知らせを生前病床でお聞きになったという事実のに一同みな喜びました。審査の過程では、さまざまな意見が交錯し、今回は受賞作ナシという可能性もあったことを「俳句」6月号で知りました。最終的に師の句集『朝の森』を受賞作とする決定を下された審査員の皆様ならびに角川歴彦理事長ににこころより感謝を申し致します。師・大牧広はひたすら生真面目に俳句のための人生を歩んできました。最後の入院の直前まで背中をまるめ机に覆いかぶさるようにして書いていたそうです。庶民の目からみた社会を詠むという本当の意味での社会性俳句を一途につきつめた人でした。晩年になっていっそう偏屈なほどひたむきに作句の社会性を追求しそのことが今回の受賞につながったのと革新しております。4月13日亡くなる一週間前のボイスメモをそのまま読ませていただきます。 蛇笏賞の受賞、これは望外の喜びです。夢が現実になるとは思わなかった。 これに傲ることなく、俳句の道でお役に立てることがあれば、とても有難いことです。 ここに至ってもなお俳句の行く末に思いをはせるという熱心さには頭が下がります。私事になりますが、わたしの父も亡くなりました。母に看取られて在宅死。享年92。師よりも4年の年長でした。おなじ昭和一桁世代として同じ消化管のガンの手術を経験したものとして師は父の様子を気にかけてくださっていました。本来ならば代理で賞をいただくのは、娘である山田まりさん、小泉瀬衣子さんの役目なんですが、ご遺族のたってのお願いであり、不肖の弟子である私がつとめさせていただきました。改めまして皆様本日はありがとうございました。 超空賞は、歌人の内藤明氏の歌集『薄明の窓』(砂子屋書房)が受賞。 内藤 明氏 賞をいただきまして恥ずかしいやら嬉しいやらです。わたしは昭和29年生まれ65歳、前期高齢者なります。年金がもらえる歳になりました。わたしの上の世代がいわゆる団塊の世代、下の世代が新人類と呼ばれる人たちでそれぞれ大きい塊で力を持っている、どうも私のは谷間のようなところで女性は非常に活躍をしてるんですけれど男性はなかなかという、私もそういうことでチンタラチンタラ歌を作ったり、ちょっと研究的なことをやりながらこうやってきたんですね。短歌をはじめたのは先輩に誘われて「まひるの」というところに入りました。そこで歌を作り始めたんですけれどそれほど一所懸命ではなかった、30歳くらいの時に武川忠一の「音」に参加してすこし一緒懸命につくるようになったということろです。しかし、なんとなく身がはいらないような形でやってきたんではないかと思います。たぶんこの歌集ぐらいの時に、たまたまだったんだけどもう一度覚悟しろというふうなことを意識したようなところがあるかもしれません。日本の古典について書いたりしたことを通してたくさんのものをいただいてきたのではないかと思います。恵まれた環境で時流にあまり流されることなくやって来られたのは非常にありがたかったんではないかと、いま考えるとおもうわけです。折口信夫の書いたものからたくさん勉強させて貰いましたので、超空という折口の名前を冠した賞をいただけたのはたいへんありがたいし励みになります。いろんなものをちょっとずついただきながらここまでやってきたので、そういったことを評価していただけたのはたいへん有り難いことだと思っております。私はどちらかというとマイナー指向ですのでこれからもマイペースでやりたいと思いますので、皆さんよろしくご指導のほどお願い申しあげます。 仲氏が終始沈鬱な面持ちでご挨拶されたのに対して、終始にこやかにご挨拶をされた内藤明氏だった。 故・大牧広先生のご息女山田まりさん、小泉瀬衣子さんお二人も遺影を手にして記念撮影。 ご長女の山田まりさん(右)と小泉瀬衣子さん。 お二人とも俳人である。 大牧先生の志が引き継がれていくことを願っております。 以下、余談。 今日の授賞式、わたしは麻の白いブラウスを着ていったのであるが、このブラウス背中のところに意味もなく短冊のようなものをぶら下げている。 いわゆる背中から生えた平べったいしっぽのようなもの。 会場に入っていくと藤本美和子さんがうしろからやってきて、「yamaokaさん、背中になんかついてるわよ、クリーニングの何か」とそっと教えてくれた。「ああ、これ、ついてんの」と言うと「あら、いやだ、わたしyamaokaさんのことだからまたきっと取り忘れているんだと思った」って大笑い。わたしも背中は見えないので、大笑い。 今日の会場で女子たちにおおいに受け、このしっぽをみんながつまんでおもしろがる。「オシャレね」と言ってくださる人もいんだけれど、わたしには少しも見えないのでホントは滑稽なのかもしれないけど、おもしろがって貰うんだからいいやって思っている。実は朝、鏡で背中をそっと見たとき、しっぽの一部が跳ね上がっていたので、アイロンをかけなくてはと思ったが、いいや自分じゃ見えないから、とほおっておくことにした。いま後ろに手をまわしているとやはり反抗的に撥ねている。この撥ね、いったいどんな風に見えたのかしら、本当はもうすこし大人しい品のいいしっぽなんだけど。
by fragie777
| 2019-06-28 22:57
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Comments(2)
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Yamaokaさん
昨日は突然の訪問失礼いたしました。あの後飯田橋だったとは、お忙しいところご親切に対応いただきましてありがとうございました。 yamaokaさんがオシャレで、麗しくてまるで女優さんみたいでした(照)スタッフのみなさん、素敵で想像通りの出版社さんでした。きぃちゃんの話も聞かせていただきありがとうございました。 惣菜パン喜んでいただけたようで嬉しいです。曙橋の満というパン屋さんで、前にブログに載っていた愛住美術館からも歩いていける場所なのでお近くにいらした際はぜひ立ち寄ってみてください。 ロープは猿田彦前ですね。あの辺りは昼間も夜も昔から雰囲気が大好きで実家に帰ってきた時は必ず立ち寄ります。また仙川でお見かけした際は声かけさせてください(^^)
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kotakeさま
昨日はありがとうございました。 玄関先での立話でごめんなさい。 でも嬉しかったです。お訪ねくださったこと。 おみやげ、改めてありがとうございました。 さっそくいただき、あとはそれはもうすごい人気で。 ご馳走様でした。 仙川で見かけましたら、是非にお声をかけてくださいませ。 でも、すごい格好ですごい形相で歩いているかも。。。。 (yamaoka)
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