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6月26日(水) 旧暦5月24日
わが家の令法(りょうぶ)に花が咲きはじめた。 好きな花である。 令法は株立ちにして植えるとなかなかさまになる。 葉の形とつき方が品がよくて、情趣を感じる樹である。 実はいま家の庭がすごい状態で植木屋さん(といっても息子の友人)が手入れをしてくれつつあるのだ。 令法を切るのはもうちょっと待ってね。と言っているところ。 今日はものすごく大きな蜂が花に顔をつっこんでいた。 このところ毎朝のように「花はまだかな?」と思いながら眺め、やっと咲き出した令法である。 今日は気温はそこそこ高かったが、風が爽やかで、ふらんす堂ではクーラーをつけず、すべての窓を開け放して仕事をした。 夕方の今、学校帰りの子どもたちの声や、商店街のざわめきなどがかすかに聞こえてくる。 いい時間である。 「俳句四季」7月号「本の窓辺」に、文芸ジャーナリストの酒井佐忠氏が、舘野豊評論集『地の声 風の声 形成と成熟』を取りあげておられる。「画期的飯田龍太論」とある。 抜粋して紹介したい。 (略)私が初めて知った俳人である舘野によるこの一冊には、龍太の軌跡をよく知りつつ、龍太という人間に分け入り、しかも作品を多面的に照射し、詩的感覚を鋭くした文章で表現した最近では画期的な龍太論といっていい。近年では数少ない文学的な龍太論ととらえることができる。 (略) 鳴く鳥の姿見えざる露の空 落葉踏む足音いづこにもあらず 雪山のどこも動かず花にほふ これらの句には、「無音の詩情」が流れてはいないか。こうした姿勢は、「個に徹して普遍に至る道」という極めて普遍的な龍太俳句の特長につながるのだ。さらに自然に対する態度と感受の精神について、自然を全身で受け止め、何かを感じとり、それを表現しようとしたとき、普通の方法では、はみ出してしまうような感覚があり、それを「未分化の感覚」と名づける著者の視点は優れている。つまり「未分化の感覚」をことさらな技法によるのではなく、敢えて静謐さと沈黙の中に沈め込むことで、「混沌の詩情」が生まれるという。一見、逆説的な視座が飯田龍太論として興味深い。 (略) またもとのおのれにもどり夕焼中 終刊号となった「雲母」(平成四年八月号)に発表されたよく知られた一句。私も当時の新聞に何回か紹介した。「もとのおのれ」とは何か。伝統ある俳句結社の主宰を辞して、俳句を始めたときと同じように何もない「一俳人」として戻ってみたい、との考えと私も多くの人も考えた。舘野もそのような考えを記している。そういえばここに紹介されている「『雲母』の終刊について」の一文も、新聞に紹介した。そこには、「『雲母』終刊後も、俳句から離れるようなことは、私はさらさら考えておりません。むしろ、あらたな決意で句作に励む所存でおります」と書かれていた。みなが、これでフリーハンドで句づくりにまいしんするのかと思ったのだが、結果はそうはならなかった。そのことについての舘野の見解に注目する。 龍太は、「雲母」とともに俳句活動を終え、「雲母」に殉じる形となった。いや龍太はあえてその道を選んだ。「『雲母』終刊と引き換えに作家としての自由を手にすることは、〈『雲母』の伝統的な友愛〉を裏切ることにほかならなかった」と舘野は考える。そして「龍太の沈黙は、自己処罰かたは自己流謫というべきものだった」と納得する。俳人として自ら一人が「自由」を手にすることは、「雲母」終刊によって「場」を失った人たちへのう「裏切り」になるという人間としての思考があったのだ。当時話題になった「龍太の沈黙」の理由として、まことに納得できる結論だ。そんなことをいま考えることができるのは、それだけでも貴重な評論といえる。俳句作家とは何か。文学者とは何か。広く考える機会を与えてくれる一巻である。 あらっぽい抜粋になってしまったので、見開き二頁にわたるこの書評を是非に読んでいただきたいと思う。 『地の声 風の声』には、歳月をかけて師・龍太にとりくんで来られた舘野豊さんの飯田龍太論が収録されている。 本著については、「俳句αあるふぁ」夏号で、田島健一さんも紹介をしている。「龍太が〈ことば〉にも〈もの〉にも偏らずに求めた「個に徹して普遍に至る道筋」とその探究心の源について実に興味深い切り口を示唆してくれる。非常に読み応えのある渾身の龍太論である。」と。 ブログを書いていたらいつの間にか、スタッフたちは帰っていった。 わたしはちょっとお腹が空いてしまったのでおやつコーナーに行って、パンダのように背中をまるめておやつを漁ったところ。お土産にいただいた「しらさぎ物語」と名づけられたウエハースの詰め合わせがあったのでそれをひとつ失敬した。白鷺のようにほっそりとして12㎝ほどのウエハース、ホワイトクリームがすこし挟んであって、かるい食感がありもってこいの遅いおやつである。サクサクと食べていたら、麦茶も飲みたくなった。 麦茶を飲んでトイレに行っていま机に戻ったところである。 わたしのためにちかくの窓は開けてある。 そこから夜がすこしずつ忍び込んでくる。 夜にすっかり占領されないうちに、家にかえろう。。。 仙川商店街の店に立ち寄りながら、ゆるゆると帰ろうかな。。。。
by fragie777
| 2019-06-26 19:14
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