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6月25日(火) 旧暦5月23日
ななかまどの花。 秋に真っ赤な実をつけ、鮮やかに紅葉する木である。 山道にゴージャスに咲いていた。 ![]() 新聞などの紹介記事を紹介したい。 23日(日)づけの朝日新聞の「風信」で、角川春樹著『角川源義の百句』が紹介されている。 「父の句とここまで真摯に対き合ったのは、初めてのこと」著者。「はなあれば西行の日とおもふべし」 24日(月)の讀賣新聞の「枝折」には、大牧広俳句日記『そして、今』が紹介されている。 第53回蛇笏賞に決まった故・「港」主宰の2018年俳句日記。創刊30周年行事などで多忙に過ごした日々がつづられる。 〈白玉に齢を忘れて匙伸ばす〉 22日付けの中日新聞では、桂川幾郎詩集『偶然という名の現在なの』を詩人の北川透氏が取りあげて評している。 かつて歴史的必然ということばが、猛威をふるっている時代があった。いまのことばは、一般的には死語となっているだろう。 わたしがそれに関して目を見張ったのは、桂川幾郎(岐阜県下呂市)の詩集『偶然(たまたま)という名の現在(いま)なの』が現れたからだ。この「偶然」は言うまでもなく「必然」の反対語だ。歴史的必然から、「偶然」への移行には、実は思想的な、あるいは政治社会的な時代風景があるが、それをこの現代詩時評という場で書く余白はない。作者がそんな歴史的な文脈を了解しているかどうかは解らないが、ともかく歴史的必然が死に瀕した「現在」を、「偶然」の文脈でやわらかく表現していることはたしかだ。 この人の詩は、思索的な、アフォリズム風の断章という特徴をもっている。まず巻頭には七つの断章が、一篇の組詩「断片たち」として構成されている。その「断片たち」に「偶然」のモチーフが生きてきているのは、次に引く終章「七」の「わたし」という作品を見れば明らかだ。《「わたし」という存在は/細胞からなる「断片(ピース)」に過ぎない/しかし/それらが集まると/思考する生命体となることの不思議》 この細胞の「断片」が「思考する生命体」となる不思議に、「偶然」が働いている。そうであれば、ことばが詩になる不思議にも、この〈偶然の力〉が作用していると考えていい。かつてのシュールレアリスム詩はその典型だった。〈偶然の力〉は詩の生命であり、それを抜き取れた、詩はありきたりの散文と仮すだろう。 ほかに俳句の総合誌などでいろいろと書籍が取りあげられているのだが、ちょっと紹介をさぼっていたかもしれない。 「俳句四季」5月号では、篠原然句集『絆』が、二ノ宮一雄氏の「一望百里」にとりあげられている。紹介したい。 篠原然「秀」(染谷秀雄主宰)同人の『佐久の空」に次ぐ第二句集。 大夏木今も心に師の教へ あとがきで「改めて様々な人々の絆のおかげで出来上がったという気がしてくる。きびしくも温かく指導して下さるけん二先生、斎藤夏風先生、染谷秀雄先生の包容力のある指導の絆、句会で忌憚のない意見を言い合える連中との絆、ふる里で我々家族を優しく見守って下さる人々との絆、そして妻との絆である。そして、これからも絆を大切にして俳句を続けて行きたい」と述べている。 青葉して今も昔の不動尊 師と巡るあの日のごとく菊の寺 妻と来て父母なき家の冬仕度 絆を大切にする優しく真摯な人柄がよく出ている句が揃っている。 佇みてまたたたずみて初桜 ひとり来て夜学の部屋を灯しけり 転びたる子に一面のいぬふぐり 残雪の浅間へ向かひ父の試歩 噴水をゆらしてゆける木の芽風 ほかの総合誌などもおいおい紹介していきたい。 今日は、俳誌「鷹」7月号が送られてきた。 ![]() 55周年記念号である。 内容がおもしろくておもわず読み進んでしまった。とくに特集の「平成、あの年」と題して、平成元年から30年までを一人一頁で結社外、結社内の俳人たち30人に代表句三句とそれについてのエッセイを書いてもらうというもの。「鷹」やるじゃん、まだ全部は読みきっていないのだが、おもしろくて仕事の手がとまってしまう。とくに岸本尚毅さんの「あらためて裕明に感謝」と題した一文は、田中裕明に対する率直な思いが語られていて、そうか、岸本さんは田中さんに対してこんな風に思っていたのか、、と感慨深かった。「ゆう」誌上での選評のことばばやはり田中裕明の言葉だ。 何年に誰に書いて貰おうかという編集的案配はたいへんでもありすごくおもしろかったのではないかと思う。「鷹」という結社の編集人たちの手腕を思った一冊だった。 まもなく小川軽舟主宰の句集『朝晩』(あさばん)が出来上がってくる。 発売は7月1日。 今日見本の一冊を手にしたばかりである。 引き続き、高柳克弘著『焦門の一句』も出来上がる予定である。 こちらは、昨年ふらんす堂のホームページに一年間連載したものを一冊にしたもの。 『芭蕉の一句』の姉妹編でもある。 7月号を手にしてあらためて「鷹」という結社の充実をつよく思った一冊となった。 今はまさに梅雨の真っ最中。 梅雨時って、家のなかもどっかじとっとしてるでしょ。 わたしはここんとこ、朝よく香を焚く。 香を焚くとなぜか空気がシャンとしてさっぱりするのだ。 香を焚くって言ったって、わたしの場合は子どものお遊びのような感じ。 マッチ箱の半分くらいの函に入っている香をいくつか買いそろえておいて、その日の気分で選んで焚く。 今日は「伽羅」のお香。 ほんの数分のものだけど、いいわよ。 いまわたしの愛用しているもの。 多くは鳩居堂で買ったもの。 先日鳩居堂を覗いて、左上にあるヤツを買ってみた。 まだ焚いてないんだけど、蚊とか虫が出るようになったら焚こうかなっておもってる。 猫たちもいるんで、わたしは気づかないんだけどやっぱり猫の匂いがするって言われることがある。 猫って基本的には匂いがない。 あるとすれば毛糸(?)のようないい匂いかしないって思うんだけど、 トイレが匂うかもしれない。 愛猫日向子は、玄関にするからね。 (先日日向子の横顔をブログにアップしたら美人だっていわれて良い気持ち) その匂いも消せるし、お香って案外いいわよ。 梅雨の季節にはお香がおすすめです。
by fragie777
| 2019-06-25 19:36
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