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6月24日(月) 旧暦5月22日
鬼灯の花。 葉っぱに対して花が小さくて愛らしい。 さて、昨日の京都のウェスティン都ホテル京都で行われた「晨」35周年のお祝いの会について、すこし紹介したい。 外部のお客さまは、おもにメディア関係の方のみで、晨同人、晨詩友の方が中心となったお祝いの会であった。 第1部では、元毎日新聞社専門編集委員で文芸ジャーナリストの酒井佐忠氏による講演があった。タイトルは「花月のコスモロジ-と現代俳句」と題して、大峯あきら著『花月のコスモロジー』を読み解きながら、大峯あきらの俳句を考察したもの。大変興味ふかく拝聴した。 酒井佐忠氏。 「大峯あきらは、宗教家、哲学者、詩人としてあったが、とりわけ詩人としての姿をおのれに求めた」と講演。 (いずれ「晨」でこの講演は収録されると思うので一読をおすすめしたい) 第2部の開会の挨拶は、中村雅樹代表。 山本洋子代表は、ご体調がおもわしくなく出席がかなわなかった。お目にかかれなかったのは大変残念だった。 中村雅樹代表は、昭和58年10月号に書かれた大峯あきらの「良い俳句をつくる」という俳句への思いに触れながら、今後の「晨」のあり方について語られたのだった。 中村雅樹代表 「中村雅樹でございます。二時間前に代表となりました。(笑)ほやほやでございます。本来ならば山本洋子名誉代表の方からお言葉があるはずだんですけれども、ご体調がままならずご出席はかないませんでした。3月の終わり頃だったでしょうか、この大会に出席することをずいぶんと意欲を以て楽しみにしておられたのですが、その具合が悪くなってしまいました。」というご挨拶ではじまり。 「大峯先生は、20代のときから俳句の根源をさぐっていく、根源を求めていく、そういった思索を重ねられてきました。日本の文芸である俳句の根源を探っていくと普遍的な詩という大きな水脈にぶつかるわけです。この水脈からエネルギーが出てくるわけです。こうしたことを当時の大峯先生はかかれているのですが、ここに晨の思いがあるのです、わたしはこうした「晨」の思いそのまま受け継いでいきたいと思っております。」 とご挨拶をされたのだった。 乾杯の音頭は、茨木和生氏。 俳誌「晨」には存じ上げている方も多く、なつかしい方にもお会いできて、心和やかなお祝いの会となった。 お名前をおひとりおひとり挙げませんけれど、お目にかかれて本当に嬉しく思っております。 お声をかけてくださった方々、あらためて嬉しかったです。 会場の「晨」の皆さまの様子を写真にとれば良かったと後悔している。 おいしいお料理にすっかり心を奪われたしまったyamaokaだった。 山本洋子代表、中村雅樹代表、そして「晨」の皆さま、35周年おめでとうございます。 同人誌としての良さを大切にさらに充実したものになられますように。 新刊句集を紹介したい。 46判ふらんす装透明カバー掛け。 208頁 著者の御子柴明子(みこしば・あきこ)さんは、1945年甲府(疎開先)生まれ、現在は東京・三鷹市在住。小児科医のお医者さまでご家族そろって医師である。本句集を読んでいくと、三人の男の子を産んで育てられたが、ご長男を30歳のときに突然の病で亡くされている。本句集は、その息子さんへのレクイエムが中心となって編み出されたものである。 御子柴さんは、1993年に慶應義塾中等部の校医をされたいた時に、そこの教職員だった行方克己氏に出会い、俳句をはじめる。1998年、「知音」入会、行方克己、西村和子に師事。現在は三鷹市に「みこしばクリニック」(精神科、小児科)を開院されている。 本句集には、西村和子代表が帯文、行方克己代表が序文を寄せている。 西村代表の帯文を紹介したい。 30歳で途切れてしまった 長男のアルバム その思い出と それからの母の思いを 残したいと思い立って 編まれた句集。 小児精神科医として 俳句作者として 喪失感と虚無感から 立ち直る力を与えられたのは 新たなる幼い命だった。 この帯文に書かれているように本句集は子どもが登場する。ご自身の子どもたち、その子どもの子どもたち、つまりお孫さんたち、まさに「子らのゐて」編まれた句集である。 序文を書かれた行方克己氏は、御子柴さんの子どもたちを詠んだ俳句を懇切にたどる。そして、とりわけご長男を30歳で失ったときにことに立ち止まる。 主なき目覚ましの鳴る夏の果 生れし日の寝顔で眠る月白し 秋晴も秋風もガラスの向かう 吾子は亡し湯豆腐の味ほど確か あかんべえも無くて人生卒業す この句集は、必然的に伸彦さんへのレクイエムという性格を帯びてくる。 どの句にも、若く前途ある子を死なせてしまった母親の、深い悲しみが沈潜する。 エイプリルフール彼の世のメール来て きしきしと雪踏む思ひ出を踏む 雪片のとどまらず時とどまらず 本句集には亡き息子を詠んだ句が、癒やされぬ悲しみとして収録されている。 悲しみは消えることはないが、その死者もやがて大切な家族の一人として追憶の中に生きるようになる。 瞼の子笑うてをりぬ朧月 月朧ろ天上の子と酌み交はす 五月闇彼の世の息子訪ふごとし 孫たちの誕生もあって、新しい命にだんだんと癒やされていくのだ。 柏餅一つたひらげ泣き虫は 水遊び何でも出来る子に変身 児のことば急に増えたり水遊び 三人の子供の育児に励んでいたときと変わりのない日常がここにはある。また、そのまなざしには小児科医としての視線も感じ取れるのは興味深いことだ。 序文を抜粋して紹介した。 本句集の担当は、Pさん さざめけりさざめけり犬ふぐり群れ 主なき目覚ましの鳴る夏の果秋晴も秋風もガラスの向かう 優しさてふ医術ほしけれ秋の水 きしきしと雪踏む思ひ出を踏む 小さき手の囲ひては撫づ蟇 さざめけりさざめけり犬ふぐり群れ 犬ふぐりを見たその時に感慨を詠んだ句だ。「犬ふぐり」って小さなブルーの花である。おおかた密集して畑の淵とか道ばたに咲いている。その青が美しいので自然と目にとまる。そう、密集して咲いているさまは、まさに「さざめく」という言葉がふさわしい。それも繰り返すことによって、小さな犬ふぐりの群れが日の光の下でさざめいているそんな感じがよく出ていると思う。調子もよく、犬ふぐりを見たら、口ずさんでしまいそうである。 きしきしと雪踏む思ひ出を踏む 雪がすこし堅くなってきた道だろうか、「きしきし踏む」というのが、雪を踏んだらそんな音がしてきそうでわかる。「きしきしと」という音の響きが細く鋭くそしてちょっと切なく思える、だから蘇った思い出もきっと切なく哀しいものかもしれないと思わせる一句だ。 秋晴も秋風もガラスの向かう この句も印象的な一句である。この句については、「あとがき」に紹介された西村和子代表の言葉があるのでそれをそのまま、紹介したい。 「あとがき」にはこんな風に書かれている。 長男、伸彦の「蜘蛛膜下出血」による突然の死は、悲しいというより苦しい、想像を越えた喪失感をもたらした。彼は大学病院での研修を終えて、都立大久保病院の眼科勤務医であった。亡くなった日は初めて一人で白内障手術を執刀した日であった。 半年以上経ってこの頃の句を投句したところ、西村和子先生が次のように評をくださった。 秋晴も秋風もガラスの向かう 秋晴も秋風も、全く自分とは無縁のものとして、ガラスの向こうを通り過ぎるにすぎない。それは作者が大きな悲しみを体験し、何事にも心が動かない虚ろな状態にあるゆえだ。外が秋晴であろうと、出て行く気にもならない。酷暑が去って、町に秋風が吹き始めたと知っても、その中を歩きたいとは思わない。「ガラスの向かう」は、作者が家の中に籠もって居ることを表しているだけではない。季節の移りゆきも、世の中の事どもももはや自分とは関係のないこととしか思えない。そんな思いを表したものだろう。 私は俳句を通して和むことができた。 「知音」のお二人の先生の句評は心強い励ましであり、大きな力となった。深く感謝申し上げる。そしてこれを機にまた日々感ずることを言葉に託していきたいと思う。 序文によれば、いまは投句を休んでおられるということであるが、きっと本句集の上梓をきっかけに投句を再開されることと思う。 ほかに、 靴の泥落さんと雪踏みにけり 濁る河にも春光の弾け散り 楊柳の己れの影と触れ合へる 外套を助手席に乗せ出勤す 吾子の指スエターの模様抓まんと 雪礫やうやく父に当たりたる バスの蠅ひとつ追ひ出しひとつ入れ 冬の朝遺品の時計遅れ気味 雪片のとどまらず時とどまらず 子らのゐし葡萄の粒のやうな日々 亡き子にも志あり天の川 幼な目の二重くつきり春の星 本句集の装丁は和兎さん。 白い本なので、汚れをふせぐために透明のカバーをかける。 帯の用紙は透明感を出すためにトレーシング用紙をつかいの文字は金箔押し。 表紙にもちいた装画は、次男さんの御子柴徹朗さんによるもの。 見返し。 扉。 花布はグリーンに。 緑色が差し色となった明るさに満ちた本であることが嬉しい。 透明感のある光をまとった一冊となった。 この句集の上梓を切っかけに、作句を再開したらどうだろうか。明子さんの句稿に、しばらくぶりで目を通しながらそう思った。是非そうして欲しいと思う。 序文で行方克己代表は、強く希望をしておられる。 優しさてふ医術ほしけれ秋の水 21世紀になってからの医学の進歩はめざましいものがある。ぜったい無理って思っていたものが救いの道があるっていう情報などに驚き喜んでいる昨今である。医学の向上発達はすばらしいのだけれど、患者に接するのは医師でありその優れた技術を用いるのも医師である。わたしたちの病の治療はその担当医師如何にかかわっている。病人はどうしたって心細く気持ちも萎えている。やっぱり優しいお医者さんがいい。この句、医師である御子柴さんの句である。ご自身のなかに「優しさ不足」を感じたのか、あるいは患者となってまたはその家族となって医師の冷たさをおもったのか、お医者さんの句であることが興味深いし、嬉しい気持ちもする。「医術」という言葉は、医療の技術であるわけだが、「優しさてふ技術」はあくまで人間にかかわるものだ。人間から発信するものだ。(将来的には優しさたっぷりのAI医師が登場したら大歓迎だけど)「ほしけれ」という措辞が、現実的にはない、という状況を示している。この句、「秋の水」がだんぜん良い。「ほしけれ」という気持ちをきっぱりと清潔に強く押し出している。 今週から来週にかけていろいろと本が出来上がってくる。 ここんとこ、製本屋さんや印刷屋さんに 「yamaokaさーん。まだ紙がはいってませんよお、」とか、「冊数いくつか書いてありませーん」とか、「送付先まだですかあ」とか、言われっぱなし。 お客さまのなかには、わたしが担当するとそのキャリア(何十年問という輝かしいキャリア、嘘よ)から、安心して本作りを任せられると思っている方がいるようであるが、実はわたしが一番そそっかしくて駄目。だからできるだけ、わたしがかがえこまないようにスタッフに任せたいのである。 スタッフの文己さんなどは、本当に細やかでしかももの忘れなどなく、(ここは見事なくらい)スムースに進んでいるのだ。 しかし、 ではある。 わたしがそそっかしくても、わたしを取り巻く状況(スタッフとか印刷屋さん製本屋さんなどなど)がすごく良いので、わたしはいつも助けて貰っている。そして出来上がると「どうよ!」っていいとこ取りをしちゃうのである。 ここだけの話だけどね。、。。
by fragie777
| 2019-06-24 19:18
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