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6月9日(日) 5月7日
渋谷の路地裏。 すこし前にこのブログで、自由律の夭折俳人・住宅顕信(すみたく・けんしん)について、またその映画化のことを紹介したが、今日は渋谷の映画館ユーロスペースにその映画を観に行ってきた。 表には、映画監督の本田孝義氏のサインがある。 なかなか行く時間がつかめず、今日は思い立って太極拳のあと昼食もとらずに映画館に向かったのだった。 一日一度のみの上映である。 客入りはまあまあ、ということろか。 年齢層は幅が広い。 パンフレットによると本田孝義監督の始めての映画とあるが、映画の構成と演出がうまく飽きさせなかった。 観に行って良かったと思う。 句集と池畑さんやその弟子の西山典子さんからのお話で知る住宅顕信と、映画に描かれた顕信像はかなり違っていた。25歳の夭逝、離婚して病室で子どもを育てなどなど、その生涯はかなり孤独で悲惨なものだったのかと、思っていたのだが、それは違っていた。愛情ある両親と看護婦である妹に助けられながら、経済的にも貧しくはなく、けっこう甘やかされた顕信がいた。こちらの勝手なイメージ化をちょっと笑ってしまった。。 そして、顕信の女性観など、おいおい、とちょっと突っ込みを入れたくなるようなものがあり、もし眼の前に顕信のような男子がいたら、わたしなどフン!って言ってさっさと顕信の前から退散してしまうかもしれない。 まっ、それはともかく、 この映画のすばらしさは、言葉の力、すなわち顕信の俳句の力を十分に語っていたということだ。 俳句それ自体が認められてこそが、顕信の本望だと思う。 その顕信の俳句を現代に生きる人間にも通用する力のある言葉として伝えることができたのではないか。 そういう意味でこの映画は、いい映画だと思った。 パンフレットに書かれた本田孝義監督の言葉をすこし紹介したい。 2014年春頃、私は仕事が行き詰まり、精神的にかなり不安定になっていました。そんな頃、なぜか以前読んだことがあった住宅顕信の句「ずぶぬれて犬ころ」が私の中で蘇ってきたのです。この句は、雨に濡れた犬の姿に白血病で闘病していた住宅顕信の自身の姿を重ね合わせた句だと思います。少し自虐的な感じもしますが、私はこの句から、ぼろぼろになっても生きろ、というメッセージを受け取りました。 2002年に住宅顕信及び彼の句が全国的なブームになった時に彼のことを知り、俳句も読んでいたのですが、その時はそれだけで終わりました。しかし、2014年に自分の中に住宅顕信の句が蘇ってきてから、再び彼のことが気になり始めました。未読だった住宅顕信の伝記「生きいそぎの俳人住宅顕信―25歳の終止符」(横田賢一、七つ森書館刊)を読みました。私自身、住宅顕信と同じ岡山県出身ということもあって、ますます彼に魅かれていき、いつしか彼のことを映画にしたいと強く思うようになりました。(略) 本田孝義氏の心のなかに顕信の俳句(ことば)が蘇って、この映画をつくらせたのである。 その核となった俳句が、「ずぶぬれて犬ころ」であり、「地をはっても生きていたいみのむし」などであるのだ。 本田氏の心に打ち込まれた顕信のことばの力が、この度の映画化となった。 そのことがよく伝わってくる映画であったと思う。 顕信という夭折の俳人の懐古的なストーリーではなく、現代に通用する顕信の言葉(俳句)として描いている、そこがぐっときたところだ。←同じこと、わたし何度も言ってる。。。 余談であるが、わたしの存じ上げている池畑秀一さんや西山典子さんが、映画に登場(もちろん役者が演じているのだが)するのがおもしろかった、そうか、彼らはこんな風にして顕信と出会ったのか、なあるほど。。といった感じ。 また、生きていればわたしより若い顕信であるが、映画の顕信(あるいは実像もか)とその生きた時代がえらく古くさい感じがした。ちょっと、ね、だって自分を呼ぶのに、「ワシ」なんていうのよ、1980年代ってこんな古かったのかなあ、岡山という土地柄もあるのかもしれないが。 パンフレットにある住宅顕信の写真。 わたしがふらんす堂をはじめたのは1987年3月3日、同じ年の2月7日に顕信が亡くなったのだった。
by fragie777
| 2019-06-09 19:15
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Comments(2)
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