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5月29日(水) 与謝野晶子忌 旧暦4月25日
![]() 福井県坂井市三国にある作家・高見順の生家。 家業は表具師であったということ。 トタン塀が路地の奥へとつづいている。 近くにぽつんと咲いていた苧環(おだまき)の花。 詩人でもあった高見順にこの苧環の花は似合っている、そんな風におもえてしばらく眺めたのだった。 いま俳人のふけとしこさんの句集を制作中であるのだが、午前中にふけさんよりお電話をいただいた。 装丁のラフイメージをお送りしておいたのだが、そのお返事である。 「あら、お電話なんてうれしいですねえ」とわたしは申しあげたのだった。 最近はメールが主流となってなかなかお電話をいただくことが少なくなった。 こちらの事情を察してみなさん電話は遠慮されてしまうっていうこともあるのだと思う。 しかし、長い編集者生活の間、わたしの仕事は電話歴の方がはるかに長い。 つまりはおおかた電話で仕事をしてきたのである。 メールは便利だけれど、相手の時間的事情を考えずに送ることもできわたしも重宝しているが、 電話でお話できることはその肉声にふれることもあって、なにかとても著者を身近に感じることができる。 「今日はこれからフェイジョアの木の花を見に行くのよ」ってふけさん。 「なんですか、それは、聞いたことがないですね」 「そう、なかなか珍しい花なんだけど、赤いかわいらしい花が咲くのよ」 「へえー、そうなんだ」 「みんな(俳句仲間)が連れてってくれっていうから」とふけさん。 「いいですねえ、いってらっしゃい」 ふけとしこさんは、民間植物博士とわたしが勝手に言うほど、植物についての知識がはんばじゃない。地球上のどんな小さな花だってふけさんの目をかすめることはできないのである。(と書くと、ふけさんは何言ってんの、まだまだ知らない花ばかりよ、なんて仰有ると思うのだが)でもすごい。このブログで花の名前間違ったりするとそっと教えてくれる。わたしはさも自分が知っているかのごとくこっそり直してしまうっていうわけ) フェイジョアの木、ってご存じ。 ふけさんの今度の句集にも、わたしたちの知らない植物が登場します。 知っている人には、金一封をふけさんから。。 っていうことはないけど、お楽しみに。 新刊紹介をします。 四六判ソフトカバー装 210頁 著者の山﨑照三(やまざき・しょうぞう)さんは、昭和14年(1939)年新潟県燕市生まれ、現在は千葉県佐倉市にお住まいである。平成15年(2003)NHK文化センタ―で村上喜代子に俳句を学び、平成17年(2005)「いには」創刊とともに入会、平成20年(2008)第2回いには賞受賞、平成27年「いには」10周年記念コンクール・評論の部最優秀賞受賞、平成29年(2017)第7回いには同人賞受賞。本句集は第1句集で、村上喜代子主宰が序文を寄せている。 句集『あはうどり』の作者山﨑照三氏は、最初から人並ではない俳人として私の前に現われた。きらきらと時にぎらぎらとした表現者の妥協のない眼差しに、カルチャー講師として新任の私はたじろいだこともあった。しかしその熱心さに闘争心を搔きたてられ、張り合いを感じたりもした。 照三氏は〈いには俳句会〉においていささか異色の作家といえよう。 こんな書き出しではじまる序文である。村上主宰をたじろがせ、「人並みではない俳人として私の前に現れた」と書かせるような強烈な何かをもった著者であるらしい。そして「異色の作家」とも。 氏は、自然をありのままに写し取るといった写生派ではなく、どちらかといえば心情を詠もうとする作家である。自己の内面をいかに表白するかという詩の追究と表現に刻苦し、妥協を許さない作家といってもよい。 序文で村上主宰は、著者の句を取り上げその幅広い世界と大胆な叙法に迫り、「俳句には幾つものポケットがある。」と記しそのポケットを紹介していく。 たましひを投げ上げて踏む薄氷 たましひのもくれんにきてにほひけり たましひを浮輪としたる夜の泳ぎ 魂を素材とした句を三句挙げた。彼には魂が見えるのだろうか。幽体離脱したかのように魂と遊ぶ自在な詩心は真似のできない氏の世界である。 ほかに、たくさんの句をあげてもつポケットの多さとその魅力に迫っているが、ここでは数句にとどめたい。 ミモザ咲く希臘の丘に父殺め 来いと言ひ来るなとふ母雪の底 棺に入るる銀河鉄道特急券 遠雷や赤いきつねを啜る夜 噴水の向うの樺美智子かな プチプチを日がなぷちぷち年暮るる これらの句や他の句をあげて「豊かな想像力の駆使」「現実を鋭く切り取った句」「日常のなんでもない光景を俳句にする力」などに言及している。ともかくもあらゆることを俳句にしてしまおうというド迫力のある山﨑照三さんである。自由なたましいと俳句根性をもった作家である。 本句集の担当は文己さん。 実は文己さんは、この句集を担当することになったとき、「かれは作家です。面白い句集になるのでは、 と思います。」と村上主宰から言われたのだそうである。 文己さんも「読んでいてどんどん読めてしまって面白かった」と。 好きな句は、 来いと言ひ来るなとふ母雪の底 雪ふりつむ雪見る母の目の底に 雪嶺に平手打され立ち尽くす ふはふはの白犬が来る春が来る 少年がひび割れてゐる二月かな 逃げ水に溺るるやうに母がゐる 囀の真中に母のすきとほる 春愁を釦のごとく付けてをり 母は子を子は赤風船連れて行く 五月雨や水母のやうに駅を出る 水にゐし記憶幽かに蓮の花 嫁ぎゆくひとりのために信濃澄む 泪目のただ鬼灯を鳴らしをる 皮膚一枚血潮抑へて冬の月 ふはふはの白犬が来る春が来る ああ、やっぱり文己さん、この句を選んだんだ。って思った。わたしは立ち止まって〇をつけなかったのだけど、でもいい句だってあらためて思った。「ふはふはの白犬」が春の連れて来るような、そんなあたたかな幸せな感情を起こさせる一句だ。こんな一句は、心を柔らかくしていないと、あるいは、自身の心に染みついた垢をふるい落とさないとなかなか詠めない句かもしれないって思った。しかし、〈少年がひび割れてゐる二月かな〉もえらくぶっとんだ句のように思える。ひび割れるってどういうことよ、などと思うが、寒さでほっぺとかかさかさにひび割れてしまった様子を大胆に詠んだのか。しかし、ひび割れていても大丈夫、春はもうすぐそこですから。二月という季語に納得。 囀の真中に母のすきとほる これはわたしも好きな一句だ。「逃げ水におぼれそうになっている母」も面白いと思ったが、こちらは、「透きとおる母」である。山﨑さんにあっては母もまた自在な姿で出現する。たくさんの鳥声に囲まれている母、その只中にあって母は透きとおりつつあるという。これはもう理屈ではなく、山﨑さんの詩心がとらえた囀りの中の母なのだ。歳月を積み重ねて生きてきた母である。多くのものをまといその背はすこし丸くなっている、そんな母がすきとほっていく、母へのオマージュである。 春愁を釦のごとく付けてをり これも面白い一句。春愁って釦のように付けられるものなの? って思うが、こういう思い切った表現が、そう言われてしまうとその表現がわたしたちを支配してしまうっていうことがある。つまり、春愁っておもったとき、釦のごとくねっていう風に。春愁というとらえどころのない愁いを「釦のごとく」と、手品師がおもいもかけぬところから何かを取り出してみせるように、およそ春愁とは一万キロメートルも離れているような「釦」を配してみせたのに参ったのである。 五十九歳のとき子会社の社長を拝命して、一都二県にまたがる遠距離通勤が始まった。往復の四時間余を手当たり次第の濫読に費やしていたが、ある時会社の先輩がテレビ俳壇で宇多喜代子の特選を獲得した事に触発され、自分もと俳句を始めることとし、俳句の入門書等の濫読が始まった。然し投稿を重ねてもなかなか佳作選にも入らない。独りで俳句を続けることに漸く疲れて、退任を機に近所のNHKカルチャーセンターに入会したが、途端講師が急逝して戸惑っているとき、後任として颯爽と登場されたのが村上喜代子主宰であった。思わず「存分にしごいて欲しい」と挨拶した記憶がある。まだ「いには」を立ち上げる前のことで、早速主宰の第一句集『雪降れ降れ』を何とか古本市場で入手した。平成十七年の「いには」発足と同時に入会し引き続きご指導を受けてをり、ひそかに「村上喜代子の秘蔵弟子」と勝手に自負している。当時の主宰手作りのアンソロジー『飛花』所載の自作を読むと、はるか遠くに連れてきて頂いたとの感慨が湧く。まだまだ分からないことだらけだが、己を𠮟咤激励して、もう少しましな俳句を詠みたいと願っている。 「あとがき」である。 ほかに、 金箔を置くがごとくにお元日 あをあをと海膨れくる卒業期 コンソメの澄み切つてゐる夜の新樹 青嵐エレキギターをじやんじやかじやん 白南風に洗ひざらしのふたりかな 青胡桃ひそかに虚無を飼ひ馴らし トルソーに隣る一つのラ・フランス 雨のふる白黒映画花さふらん ヴィオロンの人声に似て霜夜かな 山眠るくりいむぱんを真つ二つ 翔ぶものはみなさびしかる冬青空 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 句集名が「あはうどり」である。 君嶋さんはさまざまなアホウドリのラフイメージを作った。 そのなかで山﨑さんのお気持ちにかなったのがこのアホウドリ。 表紙。 見返し。 扉。 あはうどりだけが見てきし夕焼こそ タイトルとなった一句である。 著者は、「あとがき」の最後にこう書く。 小生が詩句を作るなど夢にも想像出来ない我が同輩・悪友・先後輩諸氏、これが「あほうどりの見てきた世界」であります。 そして、村上喜代子主宰は、 あほうどりは地上では動きが鈍く人間を恐れないために素手で容易に捕らえることができ、また良質の羽毛がとれるために大量に捕獲され、全滅に瀕したため、今は特別天然記念物、国際保護鳥に指定されている。人を疑わないあほうどりだけが見てきた夕焼とは? 限りなく想像が広がる。 作者はあとがきに、この句集は「あほうどりの見てきた世界」だと書く。あほうどりに阿呆を重ねた彼流の洒落と謙遜を交えた表現なのだろうが、多勢に迎合しない孤愁も感じられる。幾つものポケットを持ち変幻自在の詩心を操りながら、今に満足することはなく、新を求めて詩と俳の狭間で孤独な戦いを続ける氏。ここは阿呆に徹して独自の句の道を進んでゆくほかはない。 優して厳しい師のことばである。 鯛焼をねだりし人を愛しけり 好きな句というよりも、気になった一句である。ああ、でも好きかもしれない。ちょっと屈折しているような、ねだりし人と作者との関係は、などなどドラマに発展しそうな散文的世界がひろがっていく。「鯛焼」だから、子どもかもしれないが、いや、「人」だから大人だろう。愛すのが作者だとしたら、いったいねだった人は、、、妻か、だとすると、あえてこんな風に詠むか、などと妄想をたくましくしてしまうのですよ、通俗的な人間は。しかし、「鯛焼」というものによって、なんだか通俗性から逃れているようにもおもえてくるのだ、この「愛す」という行為もどこかピューリタン的な匂いがするのだけれど、それは私だけかしら。 今日の夕方、パートのAさんから、 「yamaokaさん、お茶やさまざまな雑貨用品をまとめて買ってきますので、お金をいただけますか」と言われた。 わたしは、バッグから財布をとりだしながら、 「はい。それでおいくら万円必要?」って聞いたところ。 Aさん、にっこりして 「百万円ほど」って。 「ああ、残念、今日はちょっと百万円は持ち合わせていないわねえ」と言いながら わたしは一万円をAさんに渡したのだった。 買い物をおえたAさんは、たくさんのおつりをわたしに渡しながら、 「すみません、ついふざけてしまって」と。 「いいえ」とにっこりしながら、 わたしは、(いやあ、いい突っ込みでした)と心の中でつぶやいたのだった。
by fragie777
| 2019-05-29 20:28
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