カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
5月28日(火) 旧暦4月24日
永平寺の緑。 燃えているような緑。 堂内の長い階段。 引き戸につけられた鍵。 繊細な文様が描かれている。 東尋坊でとんだお転婆をしたせいか、ふくらはぎが痛い。 わたしは、山登りをしてもたくさん歩いても、脚などが痛くなるということはまずない。 (太極拳で筋肉をつけているからかなあ……)とも思う。 しかしながら、 この度は、ふくらはぎが階段をおりるときに痛いのである。 これは、崖を降りるときに使った筋肉の痛さである。 がに股で降りると痛みがやわらぐ。 しかし、いっぱしの婦人(?)が階段をがに股で歩くなんてねえ。。。。 そう思いながら、がに股で降りている。 今日は新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装 194頁 著者の水田博子(みずた・ひろこ)さんの第1句集『マリオネット』(2009刊)につぐ第2句集である。 前回同様、水田博子さんの絵を装画としてカバーと扉にあしらった。 水田博子さんは、1942年広島県生まれ、「天為」同人、俳人協会会員、国際俳句交流協会会員、本句集には有馬朗人主宰が序文を寄せている。 『マリオネットⅡ』は水田博子さんの第二句集である。二〇〇八年より二〇一七年までの一〇年間に作られた三二九句が集められている。博子さんは俳句結社「天為」の主要同人の一人として大いに活躍しておられる。 博子さんは東広島市に生まれ、国立京都教育大学の特修美術学科を卒業され、デザインや油絵の才能に恵まれている才媛である。大学卒業直後二科会に入会したが、結婚の後、御主人がドイツのシュトゥットガルトの工科大学へ留学されたのに従い、ドイツで足掛け三年生活をしている。その後二児の子育てのため、二科会から一時離れていたが、この二十数年前より二科展に再び出品している。その実力は広島二科賞や市長賞を受賞したことから明らかである。この本の表紙の絵「マリオネットA」は、博子さんが描き、第一〇二回の二科展に出品したものであり、優れた作品である。 麦秋や描いて流浪のアルルカン イーゼルに未完のピエタ夕月夜 には、画家として自ら描いているキャンバス上の絵を詠っている。このアルルカンは流浪しているのだと思いつつ、麦秋を背景に旅を続ける道化役者の哀感を詠い、夕月夜、キリストの死体を膝に抱いて悲嘆に暮れるマリアの姿がまだ描き切れていないと述懐しているのである。他人である画家の描いた絵を見て作る俳句の客観的態度と一味違った味があると思う。 表紙画のマリオネットの顔を見ていただきたい。この操人形の顔に浮ぶ微笑の人なつこさ、そして遥かを思いやるような姿、これこそ博子さんの詩情そのものである。その「マリオネット」を句集名に選んだところに、博子さんの俳句への思いが込められているのである。 序文を抜粋して紹介した。 今回もご本人の絵を装画にしたのであるが、面白いと思った。画家としての作品であるので、句集の内容との緊張感があって、作者の別の領域をおもわせるものがある。タイトルも前回とおなじ「マリオネット」を表題に選んでおられ、絵もマリオネットの絵である。よほどのこだわりがおありであると思った。 本句集の担当は、文己さん。 本句集には海外詠がところどころに織り込まれている。特にドイツの何度か行かれているようだ。中国詠もある。 文己さんの好きは句は。。。 艀よりひらり黒猫春隣 四辻にひそと蛙を売る漢 どの路地をゆくも聖堂涼新た 堅香子の雲なき空に耳すます 看板に鱒を描いて夏深し 水はじき日輪はじき桜鯛 薄ごろも畳まれ色の生れけり 住みつきし猫にも少しなづな粥 画布に置く青の濃淡春を待つ 秋の日の水からくりの鳥のこゑ 衣被つるりと古稀を過ぎてをり 樹の末に夕星祀る茅の輪かな ひろしま忌祖母の形見の帯低く たんねんに絵筆を洗ふ星月夜 少年の海をそびらに牛洗ふ やはり絵にまつわる句が多い。 薄ごろも畳まれ色の生れけり わたしも好きな一句である。どんな色が生まれたかは詠まれていないが、それは読者の想像にまかせるわけである。しかし、うすごろもである。ほとんど白に近い涼感を呼ぶ淡い色だったと思う。著たときはきっと白に見えたかもしれない。和服は畳むとき身ごろや袖を重ねていくわけで、そうしたらかすかな色が見えてきたのである、それを「色が生まれた」と表現し、読み手のこころに色を呼び起こしたのである。 たんねんに絵筆を洗ふ星月夜 文己さんの特に好きな一句であるという。「たんねんに」というところに、画家としての自身を大切にしている水田博子さんが見えてくる。一日中、イーゼルに向かっていたのだろうか。いつの間にか夜になってしまった。描きかけた絵の前を離れてすこしほっとしながら空を見上げれば星月夜だ。きっと美しい夜空だったのだろう。画家としての著者の充足感がみえてくる一句だ。 衣被つるりと古稀を過ぎてをり この一句はわたしも面白いとおもった。古稀は70歳。その感慨を衣被でユーモラスに詠んだ。このくらいのスマートな気持ちで古稀を思うのもいいんじゃないかって。 『マリオネットⅡ』は「花曇り糸の縺るるマリオネット」から私の姿のようでいとおしく思いましたので句集名にしました。幼い頃から人形が好きで自分でも作りますが、買い求めることも好き、各地の人形館を見て回ることも好き、ザルツブルクやプラハのマリオネット劇場に出かけて行くことも度々でした。 「あとがき」の一文を紹介した。 有馬主宰も序文で書かれているように、マリオネットはご自身の姿を彷彿させるものとしてあるのだ。そして心から愛おしいマリオネットなのだ。 ほかに、 短夜のマリオネットの玻璃の靴 晩夏光ミイラの抱く銀の薔薇 小鳥屋の階段越しに雛飾り 風鈴を又吊り足せり宵の市 文字持たぬケルトの墓や流れ星 陽炎へる島にひとりの舟大工 耳大き嬰を囲みて百千鳥 涼しさや父の遺筆の備忘録 葱買うて小銭を増やす日暮かな 銀河濃し藍の匂へる機織女 本句集の装丁は和兎さん。 原画のもつ雰囲気を損ねないように気をくばった。 折り返しにも連続させる。 表紙の色は紺。 この深い青は、著者の水田博子さんがこのむ色なのではないか、そんな気がしている。 見返しは白のすかし模様が入ったもの。 扉は、金色の光沢のあるもの。 青が印象的な美しい一冊となった。 画布に置く青の濃淡春を待つ 特に好きな一句である。文己さんも挙げていたが。 水田博子さんのアイデンティティが立ち上がってくる(こんな用法あったかな)ような一句である。人間はいろんなありようで春を待つ。画家である水田さんは絵を描いているその絵の具の色の濃淡に春を待つというのである。青の色彩が際立って目に飛び込んでくる。絵を描くことに多くの時間を捧げてきた水田さんであるからこそ得た一句だ。この句に出会って、ああやっぱり水田さんは、「青」が、もっともお好きな色なんだって、思った。本句集には、さまざまな青が登場し、青がさりげなく貫いている。 今日は夜から雨になるって言っていたけど、まだ降ってはいない。 降られないうちに帰ろう。 おっと、その前に買い物があった。 何買うんだっけ。 朝は覚えていたけど、もう覚えていない。 まっ、店に行ったら思いだすだろう。 じゃ、これで。
by fragie777
| 2019-05-28 19:20
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||