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5月14日(火) 旧暦4月10日
すこし前、国立の矢川に咲いていた桐の花。 もうすでに夕暮れだった。 桐の花は遠く見上げる花。。。 なかなか近づくチャンスのない花っていう思いがある。 今朝は雨降りではじまった。 歩いて行こうと思ったが、今朝はちょっと用事があって断念。 車のまどからみえる家々の薔薇が美しいこと。 薔薇を咲かせている家が多いことに改めて気づく。 明日こそはきっと歩いて出勤するつもり。 新刊紹介をしたい。 B5判変形ハードカバー装 178ページ かなりおおぶりな本である。 著者の狩野敏也(かのう・びんや)さんは、この句集の制作過程で亡くなられた。昨年の秋頃だったろうか、俳人の高澤晶子さんにご紹介をいただいた。お電話をして一度だけお話をして、その後すぐにご入院され入退院を繰り返されて、昨年の暮に高澤さんを通して原稿をいただいたのだった。その後担当の文己さんが病院に伺って狩野さんにお目にかかり本作りのご要望を伺ったりしたのだった。「絵本のような大きな本をつくりたい」とおっしゃられて、通常の句集よりも大型で正方形にちかい大きさの句集となった。句集のできあがりを心待ちにしておられたと思うが、できあがった本を手にしていただくことはかなわなかった。 できあがりまでについては、選句、解説等をふくめて高澤晶子さんのご尽力によるものである。 著者の狩野敏也さんは、本句集の見開きの著者略歴を読めばわかるように多彩な才能をもった人である。 狩野さんの俳句を語るには、やはりその幅広い活躍ぶりを通してとも思い、最初の部分のみ紹介したい。 一九二九年生まれ。北海道知床(標津郡標津町)出身。一九五二年北海道大学法学部卒業後、NHKに入社、札幌、函館、室蘭、東京の各地で記者、ディレクター、資料部員、考査室主査などを務める。一九八七年退職後、十文字学園女子短期大学教授に就任し、二〇〇一年までコミュニケーション論、現代詩作法などを講じた。十文字学園女子大学名誉教授。 一九六四年、山之口貘の紹介により、土橋治重主宰の詩誌「風」の同人となり、終刊まで同誌に拠り詩作を続けた。その後二〇一九年まで、詩誌「花」「竜骨」俳誌「花林花」の同人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ(監事)、日本ペンクラブ名誉会員、波の会日本歌曲振興会理事。 二〇一八年、神田錦町学士会館において「吉田一穂」をテーマに講演。一九七〇年代の後半から、中華料理の研究に凝りだし、自らも厨房に立つほか、毎年一、二度は、アジア諸国や漢文化圏に出掛けて、試食や食材の買出しを続けていた。ハウス食品家庭料理大賞コンクール審査員特別賞(ʼ83年・カレー焼酎鶏)、バーレイサラダコンテスト審査員特別賞(ʼ90年・ヘルシー鍋巴理)、第一回USAチキン・ターキー・ダック料理レシピコンクール・アメリカ大使特別賞(ʼ92年・チキン・ヌードル・ジャポニカ)など、各種の料理コンテストで多数入賞。 二〇一九年二月三日、永眠。 そしてたくさんの詩集を刊行し、まだ童話、小説、歌曲集と精力的な活動ぶりであった。 日本純粋酒協会・利酒名人位(一九八〇年)、日本漢字能力検定協会・漢字三段(八八年)、日本将棋連盟・将棋四段(九四年)、岩波書店・広辞苑十段(九五年)など。 なんともすごいものだ。 高澤晶子さんの解説を紹介したい。 狩野敏也は、人間のあらゆる可能性を体現してきた創作者である。そのジャンルは詩・俳句・童話・小説に留まらず、歌曲・料理と幅広い。恰も一粒の数珠球を覗くと見える万華鏡の世界の如くである。 敏也の句歴は一九九二年、「安曇野庵句会」(今泉貞鳳主宰)に始まる。本句集は一九九二年からの作品、二〇一四年から二〇一九年に俳誌「花林花」に発表された作品により春夏秋冬新年の流れで編纂されている。 わが血みな貰ひしものぞ冬薔薇(さうび) 敏也 右の句は存在自体に矛盾を抱えた人間という生命体を踏まえた一句であるが、この「生かされている」という他者また他の生物への感謝の気持が「狩野敏也句集」の心髄にはなみなみと脈打っている。 「万華鏡の世界」の如くと書かれているが、高澤さんは狩野敏也の俳句世界を、11のテーマから論じている。 「食と魚」「四季の移ろい」「植物」「動物」「女」「少年・少女・市井の人」「「都市・故郷」「諧謔」「言語感覚・テクニック」「童話の世界」「幻視」 おもしろい切り口だ。 このテーマを見ただけでも狩野敏也の世界の一端がみえてくる。 最後の「幻視」のところを紹介してみよう。 シャボン玉ひとつは異界の方に翔び 涅槃(ねはん)西風(にし)微かあの世の匂ひして 西行の骸透け見ゆ花の下 あるか無き雨を仰げば夕桜 哀しみのかたち幽かに花の雨 走馬灯徒労の果ては闇に溶け ふうはりと蛍のひとつ異界へと 美酒に酔い桃源郷に遊ぶ当代随一のグルメ詩人敏也であるが、時に清冽な闇のベールに誘われることもある。しかし〈蛍〉や〈シャボン玉〉を〈異界〉へと遣わすことがあっても、自らは〈哀しみのかたち〉に留まっている。敏也の舞台はあくまでも現世なのである。 「敏也の舞台はあくまでも現世」とあるが、まさに狩野敏也という詩人の本質を言い得ていると思う。「現世」という「舞台」に生きた人なのだと。 数の子の万余の夢を嚙み潰す 句集名となった一句である。「万余」とは、「きわめて多いこと」。 いくぶんかの苦みをともなった悲しみと寂寞。 そんな味がしてきそうな一句だ。 多くの夢にいきた狩野敏也という人間像が彷彿とされてくる。 担当の文己さんの好きな句を紹介したい。 透けて見ゆ少女の耳朶や春立ちぬ 夕立くる鬼の如雨露の手荒なる 紅の襤褸となりて牡丹散る ぼうたんと崩るるごとく死ぬが佳し 緋牡丹のはらりと散りて闇の濃き 星月夜夢を出てゆく素足の子 小指あげ弥勒菩薩の秋思かな 次終点、金木犀が薫ります どの句もどこかロマンの香りがする。現世という舞台に夢をおいつづけた人なのかもしれない。 文己さんは、「どの句にも敏也様独特の、童話のような世界観が色濃く出ていて、とても楽しく拝読しました。直接感想が申し上げられなかったのが心残りです」と。 レコードの針音恋しパリー祭 わたしは本句集に「昭和の匂い」を感じる。狩野さんは、1929年生まれであるから、もちろん戦争体験者である。昭和に青春時代をすごし多感な感性は昭和という時代に形成されたのではないだろうか。 なにもかも淡くて遠し鳳仙花 「陛下とは階(きざはし)のした虫すだく」「高翔す戦に敗けし日の蜻蛉(あきつ)」「終戦の詔勅を聞き、二句」という前書きがおかれた二句のあとにこの「鳳仙花」の句がつづく。強烈な戦争体験のあとの激動の時代をいきぬいた狩野さんである。やがて平和な時代となり、多くのことはまさに「万余の夢」のように思われる。「夢」とは、「かつてのすさまじき時代」の対極にあるもの、そういう時代を通過してきたからこその夢なのだろうか。 狩野敏也はこの句集の刊行を大変楽しみにしておりましたが、編集作業半ばにして、今年二月三日、節分の日に残念ながら病いのため永眠いたしました。 奥さまの狩野佳世子さんとご子息の狩野巨太郎さんによる「付記」より。 ほかに、 タンポポの私語さかんなり野辺送り 悪童の頰に春泥輝けり あるか無き雨を仰げば夕桜 語ることみな淡きかな水羊羹 香水もけものの匂ひパリの夜 碁仇の正座崩さぬ端居かな サングラスかけ匿名の人となる 腕白の肩の居心地赤とんぼ 罪深き色もわづかに黒葡萄 年の瀬を踏む悔恨の音ばかり 笑みはみな空に向けたり福寿草 本句集の装丁は和兎さん。 カバーの装画は、狩野敏也さんのご希望で櫻井としお氏の作品である。 角背である。 花布は白。 スビンは表紙に色に近い赤。 見返しは斑入りの用紙。 扉。 堂々たる一冊となった。 狩野敏也さんにわたしはお会いしたことがなかったが、お写真などを拝見する限り、立派な体躯の方であられたご様子。 ふさわしいできあがりではないだろうか。 蟻地獄わが身に喩ふ日のありて 何もかも失ふがよし冬欅 数の子の万余の夢を嚙み潰す 江戸の頃光りし星を見てビール 髪洗ふけさ鮮しき水の音 ここにいるのは等身大の敏也である。一読して想いが伝わってくる句群である。人生の哀歓を味わい尽くした夢のような日々。過去からの交信を夜空に見上げ、人類の偉大なる発明、ビールを味わう。そして敏也を待っているのは今なお鮮しい朝なのである。 高澤晶子さんの解説より。 髪洗ふけさ鮮しき水の音 わたしも好きな一句である。 この水の冷たさは夢ではないのだ。生きていることのすがすがしい実感がある。目の前の現実にあたらしく立ち向かおうとしているようなそんな手応えのある一句だ。 いま、友人から連絡がはいった。 捨て猫の子猫を飼うことにしたと。 これから見にいくつもり。 すごくかわいいらしい。
by fragie777
| 2019-05-14 20:04
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