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ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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食べることの幸福

5月4日(土) みどりの日 旧暦3月30日



食べることの幸福_f0071480_16204249.jpg

草の王。

茎を手折ると黄色い汁が出てくる。
毒もある。




先日、モッコウバラの写真を掲載し、モッコウバラを愛する文芸評論家の坂口昌弘氏のことをすこしご紹介したが、その坂口氏よりメールをいただいた。


庭の3面がもっこうばらでしたが、伸び放題で、隣の家の庭まで伸びて、手入れが大変なので、
庭の片側はルリマツリに、もう片側はジャスミンに植え替えました。
一面だけはもっこうばらに残しています。
ルリマツリの花の期間は半年位で長く綺麗に咲き続けます。
添付は昨年のものです。

そしてルリマツリの写真を添付してくださった。


食べることの幸福_f0071480_16310680.jpg

もっこうばらもルリマツリも、伐っても伐っても、蔓が伸びて花を
付けますが、造化自然の不可思議です。


ルリマツリも美しい花である。
モッコウバラもちゃんと残しておられるとわかりうれしくなった。
ウリマツリの青、モッコウバラの黄色、そしてジャスミンの白、
美しい花の競演である。






今日も新刊紹介をしたい。


山本耀子エッセイ集『季語のごちそうⅡ』。



食べることの幸福_f0071480_16205920.jpg
四六判ソフトカバー装グラシン掛け 214頁


俳人・山本耀子さんの食をテーマとしたエッセイ集であり、『季語のごちそう』(2005年刊)の続編となるものである。
タイトルからもわかるように、全体を四季にわけてその季節のさまざまな食材を選び、食材とはつまりおおかた季語でもあるのだが、それにまつわるエッセイを収録している。食材についての取り上げ方は、さまざまで、料理の腕がすばらしい著者でもあるので、その食材のおいしい食べ方であったり、あるいはその食材を美味く食べさせる店にまつわることであったり、食材が蘇らせる思い出であったり、つまりは食べることの幸せがたっぷりと書かれているのである。
この一冊を読むと、自分で食べたわけではないのだが、なんだかとても豊かで幸せな気持ちになってくるのである。
また、見開き2ページでおわる短いエッセイの最後には文章に響きあうように俳句がおかれていて、さらにエッセイを味わい深いものにしている。
心憎いエッセイ集である。
山本耀子さんは、俳誌「火星」の同人であり、本著に山尾玉藻主宰が序句を寄せておられる。

 火と水を使ふしづけさ桜咲く    山尾玉藻


食べることの幸福_f0071480_16211638.jpg


何篇か紹介したい。


土 筆
 
英語のCOOL(クール)は、「涼しい、冷たい、冷静な」の他に「かっこいい、粋な」の意味がある。外国人から見て日本のクールを見つけようというテレビ番組がある。ある時のテーマは「米」。日本は昔から豊葦原の瑞穂の国と呼ばれ、米なしで日本の文化は語れない。
京都の食事処「なかひがし」は米がメインディッシュと銘打っているだけあってご飯もうまい。信楽焼きのねばりが吹きこぼれぬ工夫の土鍋で炊くご飯は、コースの終わりに炊き上がるよう竈に火をいれる。飯になる前のアルデンテを一口、次に蒸らして旬の漬物とめざしでご飯を頂く。最後におせんべいのようなおこげにオリーブ油をちょっと付けて、すっかりご飯を頂ききる。米を水だけで調理し美味しい料理に変える、クールな技である。
料理人中東氏は京都花背の料理旅館「美山荘」に生まれた方。山や野原を歩く気分をそのままお客さまに味わって欲しい、が氏の哲学と聞く。その日も残雪をイメージしたという小さいいなり飯い 込こみが出された。揚げの裏を使うことで残雪を想像させ、もち米の飯いいに蕗、干ぜんまい、豆など刻み入れ春の山から芽吹く様子を表現。揚げの上に土筆が可愛く載せられて、季語そのものを頂くような一皿だった。
母と土筆を摘んだ幼き日が蘇った。摘み草の楽しさと土筆が食べられるものということを知った日でもあった。

「はい」と言ふ「土筆摘んでるの」と聞くと 小澤 實


このエッセイを読んでわたしは是非に「なかひがし」に行きたくなった。ネットでこの店のことを調べてみた。なんと大変な人気店でそうそう予約はとれないらしい。友人たちにこの店のことを話して、「行きましょうよ」と言っているのだが、実現するだろうか。(わたしはこういうとき、自分で果敢に動くことができない。いつもお人まかせ、だから、予約がとれたよ、などとお誘いが他からかかるとすぐにのってしまう。そして友人たちのひんしゅくを買ってしまうのだが、、)




梅ジャム
 
梅を捥ぐとき、脚立での体勢の安定を特に慎重にする。というのも母が木の脚立から落ち腰を打ち、歩行困難になった苦い経験があるからだ。
今年の青梅は豊作で、青梅の甘煮以外のメニューは全部完了した。捥ぐことから始め容器の消毒、材料の準備などで体力は消耗。漬梅と梅ジャム用には梅の熟れ具合を確かめつつ捥ぐ。青梅の熟成の度合で、仕上がりの出来不出来が決まるからだ。この地は嘗て橋本関雪画伯の別邸の在った地で画伯が植えられたと思う白梅がある。台風で傾いた幹は起こせば枯れる危険性があると植木屋のアドバイスで、母は傾いたままを大事にしていた。この実梅は種は小さく実は特大、家の数本ある梅の中で随一である。
今年の梅ジャム作りは特別だった。灰汁抜きの水晒しはいつもと変わらない。種を取り除きグラニュー糖で煮詰めていくのだが、六年前の梅酒を加えたところ、いくら煮詰めても固まらない。売っているジャム類はほとんどがゼラチンを加えてとろみの加減を図っているようだ。三時間ほど遠火で煮てややとろみがついたところで終了。色も黄色を帯びた深い琥珀色に仕上がった。味見の結果、まろやか且つ深い甘みに仕上がっていて大満足だった。
無糖のヨーグルトに入れたり、ハードトーストのかりかりに乗せ頂いている。こんな苦労も知らず、夫は朝刊を読みつつ今日もごちそうさん。
 
 真青な中より実梅落ちにけり 藤田湘子



船場汁


最近「もったいない」の言葉が、外国人の口にまで上るようになった。この精神はもともと浪花や京都の商家のつねの心得として広まったものではと理解している。
娘が大分に住んでいた時「関さば」は珍しいだろうと、送ってくれたことがある。鯖は生き腐れ、と呼び鮮度の保ち難い魚として台所と直結した大衆魚であった。今や運送技術の進歩のお陰で大分からの鯖で刺身が食べられる世にはなった。といっても鯖の三枚おろしは一刀両断が必須である。出入りの魚屋でさばいて貰ったとき、粗も出汁に使うように言われた。中骨、頭をぶつ切りにし、強めの塩をしてもらう。一、二時間置き、笊に並べた粗に熱湯をかける。氷水に放し鱗や血糊を洗い、昆布出汁の鍋に大根の短冊切りを煮、のちに粗と一緒に煮る。薄口醤油と塩少々で味付け「船場汁」が出来上がる。味噌味もまた旨い。粗まで使い切る「もったいない」の一品である。
鯖は夏の季語。夏の鯖は産卵のため身が痩せているが、しめ鯖にはかえってそのさっぱり感が好まれ、祭の鯖鮨として出回る。しめ鯖にする時、塩を洗い流したのち一旦冷凍する。こうすれば寄生するアニサキスを死滅させる。秋鯖は栄養をとり脂が乗り、塩焼きに大根おろし付けのメニューが定番となる。刺身とまではいかぬ活け鯖を三枚おろし、そぎ切りにして竜田揚げとする。粗は船場汁として鯖の骨の髄まで楽しみたい。

 秋鯖の全身青く売られけり   嶋田麻紀


もう一篇、紹介したい。



出汁巻き
 
「巨人・大鵬・玉子焼き」。日本の高度成長期であった昭和三十六年、堺屋太一氏が強い経済の喩えに巨人、大鵬を挙げ、物価の優等生と言われている卵を引き合いに玉子焼きと言われたことで、流行語になった。子供たち、いや、誰もが好きなものを挙げられたからだろう。
玉子焼きは卵を溶き調味のうえ玉子焼き器で焼くのだが、出汁巻きはそう簡単にはいかない。卵三個に出汁百㏄・薄口醤油・塩一つまみを泡立てぬように混ぜいったん漉す。片栗粉を少々入れるのは家庭でのことで、プロはそのまとめ難い卵汁を焼き上げ、熱々の具を簀巻で形を整え仕上げる。ジューシーでやんわりとした出汁巻き玉子はご馳走といえる。オムレツやスクランブルエッグにはない味である。関東では砂糖入りのようだが、出汁の旨みのみの関西風が好みだ。
京都は花見小路にある「十二段家」、庶民的な食事処ではありながらひと味他とは違うお店。注文を受けてからの出汁巻きは焼きたてのうまさがある。東京の老舗の「いづもや」の鰻巻きも気にいっている。ことに山中温泉の「かよう亭」の朝食に出される出汁巻きは、本物中の本物といえる。使う卵から吟味されている。こだわりは生産者の鶏の飼い方にまで及ぶ。出来立ての出汁巻きは勿論ふわふわで蓋付きの箱型の器に入り膳にのる。起き抜けの舌に温かくやさしい味が広がる。

 寒卵しづかに雲と雲はなれ 田中裕明


山本耀子さんは、たいへんな食通でもおありのようで(何しろ食べることが大好き、そして料理好き)ときどき本著にはこんな風に関西方面(おもに京都)のおいしいお店がさりげなく顔を出す。
「ああ、行ってみたいなあ……」などと思いながらうっとりと読んだのである。
本書は、ご両親たちの介護に関する食のことや、戦争中の食べ物にまつわる思い出などもつづられ、食べることの向こうに共に生きてきた人々との時間が刻印されている。


本書の装丁は、前回とおなじく君嶋真理子さん。

食べることの幸福_f0071480_16210210.jpg


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見返しは薄紫。


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扉。

食べることの幸福_f0071480_16211965.jpg

前回同様、本文を2色刷りに。
薄紫とスミ。
このページは目次。
96項目の目次。
ということはその数に近い食べ物が登場する。


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すべてが見開きで終わるもので読みやすい。


食べることの幸福_f0071480_16212368.jpg

本書は俳誌「火星」で連載したものを一冊にまとめたものである。


平成十二年八月から「季語のごちそう」のコーナーを担当させて頂き、ほぼ二十年となりました。食べ物のことの思い出を綴ってきましたが、それは取りも直さず昭和の食の変遷でもありました。これから先、あのひもじい思いのなき時が続きますようにとの願いを込めました。(略)
食の季語に目が留まると、自然に献立に取り入れるようになっています。これも俳句に出会ったお陰だと思っています。

と、「あとがき」に書かれている。








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by fragie777 | 2019-05-04 22:32 | Comments(0)


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