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4月25日(木) 霜止出苗(しもやんでなえいずる) 旧暦3月21日
父は4月20日、午前9時過ぎ、永眠致しました。 葬儀は本日、家族葬にて済みました。 とあった。 先日のお祝いの会にいらっしゃられなかったが、こんなに急に逝かれるとは。 昨年12月に膵臓癌との診断を受け、その時点ではもう手術もできず、抗がん剤治療も高齢のために受けらませんでした。 医師から私達には「桜の咲くのは見られないだろう」と、告げられましたが、その事は父には言えませんでした。 父は癌だということは知っていましたが、おそらくまだまだ生きられると思っていたと思います。 日々衰えていく体力を感じながらも、「生きてやる」と言いながら、屈伸運動のような事もしていました。 全く食欲がなくなった時も、少しでも栄養をつけなければと、アイスクリームなどを頑張って食べていました。 昨年一年間「俳句日記」の連載をお願いし、一日たりとも原稿が遅れたこともなかった。 年末にご入院されたということをうかがって、時々検査入院をされることもあったので、そのような入院と思っていたのだが、そうではなく膵臓癌での入院だったのか。今年に入って退院されて何度かお電話でお話して、「yamaokaさんの声を聞くと元気になるよ」なんておっしゃってくださったのだが、そのようなつらいご闘病が電話の向こうにはあったとはつゆ知らず、わたしは能天気だった。 念願の蛇笏賞をご受賞されてとても喜ばれておられたので、授賞式にはお目にかかれると思っていたのだった。 もう少しで「俳句日記」の『そして、今』が出来上がってくる。 寄贈する方もすべて目を通され、連休明けにはと思っていた矢先である。 わたしは残念でたまらないが、わたし以上に大牧先生は無念であろう。 力をふりしぼって「俳句日記」に臨んでくださったのだ。今から思うと。。 大牧先生、ありがとうございました。 こころよりご冥福をお祈り申し上げます。 新刊紹介をしたい。 46判小口折表紙装。 172ページ インタビュアーは、武藤紀子さんが主宰する「円座」に所属する橋本小たかさん。 本集は、俳誌「円座」に連載されたものを一冊にしたものである。連載当初から「面白い」と評判であったらしいが、今回一冊にしてみて本当に面白かった。 主宰というにはざっくばらん過ぎ、 おばちゃんというには親分肌過ぎ、 元・文学少女というには熱血過ぎ、 そして話がめっぽうおもしろい。 そんな「先生の話」が、 まるでしゃぼん玉みたいに その場かぎりで消えてなくなるのはもったいない。 弟子一同を勝手に代表して、 私が先生にインタビューすることにしました。 インタビュアーの橋本小たかさんの「はじめにひと言」より抜粋した。 インタビュアーの橋本小たかさん。 そうなのである。言いたい放題のノリなのだが、そして偉そうにみえるのだが、ぞの実ちっとも偉そうじゃなくて、チャーミングで、しかも「俳句」へ一目散にしてひたむきなのである。そして親身である。 師である宇佐美魚目について、こんな風にはじまる。 ─こないだ先生にお会いしたときに「吟行でしか句を作らない」という話をお聞きして、驚いたんです。例えば第一句集の「馬追の髭よく動く紙の上」とか、この作り込まれた感じは、実景が二割、机の前での推敲八割という印象でしょう。ずいぶん意外でした。それで「吟行でしか作らない」とはどういうことなのかをお伺いしたくなって、このインタビューを思いついたんです。初学のころからそうだったんですか? 紀子:カルチャー教室の句会を二年間つづけて、次の先生につきたいと思ったの。そのときちょうど「晨」というものができて、大峯あきら、宇佐美魚目、岡井省二の三人が作った同人誌だったの。三人の句集を買って、どの先生の作品が一番自分に合うかなと読んだときに宇佐美魚目だったの。絶対、この先生だわって。それで魚目先生について、先生のやってる朝日カルチャーに行ったわけ。そしたらこの句会は吟行句会をやりますということになって、私ひるんで。今まで二回しかやってないので、ちょっと難しいんじゃないですか、とてもやれません、と言ったの。そしたら「僕だって最初のころはすぐにはできなかった」って言うの。「だけど俳句は吟行でどんどんやらなければ駄目だから、やっているうちにできるようになるから心配しないでやりましょう」って。後からいろいろ聞いてみると魚目先生は古い俳人で、虚子とかと一緒にやったぐらいの俳人で、あの時代は吟行よりは句会の時代だった。それこそ墨で短冊に書いてそれが回ってきて読めないわとかいう時代(笑)。その上に席題が多かったのね、席題でずっと作ってきたからこそ、魚目先生は吟行でしたかったの。四十年やってこられて席題は飽き飽きしていたわけで、みんなで吟行で作れるようにしようと思われたんですね、指導のやり方としてね。(略)魚目の作り方で一番思ったのは……滝を見に行ったの、滝道に日が当たってて、魚目の句に「滝みちや日のさしてゐる母の帯」っていう句があるの。明らかに吟行で作ったんだけど母なんかいないしね。問題は先生が見たのは滝道だけなんだ。その滝道から、ああ日が当たっていたなあとかいって、昔お母さんがこういうところ歩いてたなあということを思い出してそれでぱっと合わせる。現実のものと自分の持っているイメージとがぱっと合うと素晴らしくいい句になるのを見て、俳句というのは吟行だからといって見たものをそのまま言うのではない。そこから自分が今まで持っていたものとぱあーっと合わせる、二物衝撃のやり方ね。 魚目先生と私たちの句は一句一章が少ないの。合わせるのが多い。そうやって作るから。吟行に行くと先に季語ができてものを合わせることが多いんだけれど、合わせるときの季語の使い方をものすごい練習したわけ。 ─普通の吟行句会では見たもの自体を表現したほうが点が入りやすいですね。 紀子:なかには「こんなのなかったがあ」とかって怒る人がいて、そこは魚目先生が賢いから、あったから無かったからそれが何だ、と言うの。たまたま雨で寒い冬だとしても炎熱の暑い夏の季語をつけて作れっていう逆にそれぐらいしろって。炎熱の夏の季語が合うと思ったらそれにしろって言うの。そういうところがすごい自由で、見たものに囚われない、見たものよりもっといい作品を上に置いて、だけども見たものは大切にする。 俳句をつくる人間だったら興味深い話が満載である。 たとえば、具体的に吟行にどうのぞむか。などについては、 ─吟行の予習? 紀子:予習とは何かというと、季語なの。その日のころにあるはずの季語を歳時記から抜き出しなさいというの。それで季語だけでなくて季語の例句、その中で自分が感じる句をね、書き抜きなさいと。それは真似をするためのものじゃないのよ。こういう風に作るんだって参考になる。自分が作るんだから自分がいいと思うものでないと駄目。有名な虚子の句を書いてばかりいても駄目。こういう句が好きだというのを書き出すの。季語は二十個くらい、好きな句もそれぞれ三、四句ぐらい書いて一覧表で持っていくの。それで書いた季語にその日に会うかもしれないよ、桔梗って書けば桔梗があったがねって。例句の真似はできないけど、こういう風に作ろうっていって、だいぶ手間が省けるの。 ─意外と下準備をなさるんですね(笑)。 紀子:それから私、忌日の句が好きなんだ。その日が誰の忌日か調べる。その日に亡くなったんだからその日に見たものと一緒なわけじゃん。それと人物と考え合わせて作れば、それなりの忌日の句は作れるよね。ただその人物をよく知ってないとそこの飛躍がうまくいかないけどね。(略) ─ふつうの吟行とはちょっと違うやりかたですね。 紀子:吟行なんだけど、こう飛躍する元を吟行で探すっていうところがあるんだ。何か精神が飛び跳ねられるもの。だから桔梗だったらあんまり飛び跳ねないんだ。(床の間に飾られた秋海棠の色の話になって)秋海棠の白花は葉の裏が真赤、赤花なら普通の緑、そういうことを私おもしろいと思わないの。すごいとは思うけど、俳句に詠もうと思わない。だから、いま考えてみるともっと文学的なんだわ、自分は(笑)。人知の及ばない自然ね、それだけでは我慢できないんだ。何か文学がないと自然だけの不思議さとかあんまり驚かないんだ。 ─創作欲が湧かないということですか? 紀子:そうそう。俳句の一番のおもしろさは、みんなが知ってるけど忘れてたり気が付かなかったりすることを上手に詠んでくれることで、誰も知らないことですごいことを発見したとしても、他の人は感心しないのよ。その人の句ではあるけど、俳句の価値としては高い句ではないの。 ─万人向けということ? 紀子:誰にでも分るけど、誰も気が付かなかったということよ。珍しいもの珍奇なものは駄目なの。普通のもので見方がすごいなっていうのが最高のいい俳句なんだ。 包み隠さず面白いように興味深い話が展開していくのである。 これはインタビュアーの橋本小たかさんの引き出し方のうまさと、また、気取ることのない武藤紀子さんの人間的魅力につきる本である。 本著のおもしろい小見出しは、すべて連載当時のタイトルをそのまま使わせてもらった。 その一部がこれ。 武藤紀子さんにとって、師は宇佐美魚目、俳句を学んだ人に飴山實、俳句においてふかいかかわりのあった人として長谷川櫂、盟友は中村雅樹、それぞれの人間が登場する。そしてその俳人評がすこぶる面白いのだ、ええっつ、そんなことまで言っちゃっていいの。とわたしなど読んでいて心臓がブルブルしたが、いいのである、武藤さんならば。 たとえば、 ─次の句は「信長のやうな人なり白浴衣」。長谷川櫂さんを見て作った…… 紀子:そうそう。長谷川櫂さんは、ごまかせない。ごまかせないし、こっちを把握できる。どのようなレベルの人か。ていうことはそれより上にいるってことなんだわ。いい人とか言うんじゃなくてなんか上にいる人っていう気がすごくするのね。自分がひどい目に遭ってはないんだけど、うっかり近づくとひどい目に遭うような感じがずーっとしてた。それはよく分んないけど信長だろうなと思ったわけ。すごい天才的なものがあって、本質が天才の場合はふつうの凡人を殺してしまうんだと思う。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」、殺すってことは無いけど近づいた人は実質的に殺されるんじゃないかな。向うにはぜんぜん悪気は無いんだけど、すごい硬い鋼にやられちゃうのと一緒。若いころはいい人だったから、素敵だわとか思って、この人に近づいていけたのが私の運命なんだなーと思ったけれど、だんだんあの人も経験をして、ものすごくいろいろな経験をしたと思うの。主宰になって俳句の世界で生きていって、たぶん自分が制覇するというか、そういうつもりではないと思うけど、高い位置に立って俳句の世界をやっていくっていう使命感があるんじゃないかと思ったわけ。そういう人に無邪気に近づいていってもバカみたいに思われて、完全にあざ笑われるし。対抗するだけの力があるかっていうと、おばちゃんだからなんにも無いわけ。なんにも無い人は近づかない方がいいので、ずーっと私は勝手にバリアを築いてた。 あの人には関係ない。あの人は我が道を走ってて。でもこの人のやることを見てたいから、近くにはいたい。運命がそのようにしてくれたんだから。一緒にいろんなこともやったし楽しかったし。でも、絶対にこの人は信長だと思ったから、「信長のやうな」というフレーズができて、季語は何かしらんと思ったときに……まず白っていうのが浮かんだわね、絶対白だわと思って。白で季語になるやつを探した。これが付いて、いい句になったわと思って。 こんな風にしてインタビューはどんどん進んでいくのである。 もう一気に読んでしまう。 「写真を送ってください」ってお願いしたら武藤さんがたくさん送ってくださった。 幼少のころのもの、乙女時代のもの、おばさん然としているもの、そんな写真をちりばめながら楽しんで読んでもらいたい一冊だ。 しかし、ここには俳句と格闘する俳人の姿しか実はないのだ。 それがこの一冊の魅力だ。 装丁は和兎さん。 写真は各務あゆみさん。 浜離宮で落ち合って、二月のある日激写してもらった。 この日天気はすこぶるよかったが、武藤さん途中で体調を崩された。 しかし、さすがである。 そんな様子を少しも見せずに、この明るい笑顔はどうだろう。 やはり只者ではない。 インタビュアーの橋本小たかさんは、現在「円座」のみならず「秋草」の会員である。 それについて、武藤紀子さんはこんなことを言ってらした。 「小たかさんは、俳句がまだまだ下手なのね。あの人京都なんで、近くの山口昭男さんのとこに行って、勉強しなさいって言ったのよ。そしたら行ってるのいま。」 先生を信頼する素直な弟子、そして 親身にしておおらかな主宰である。 また、愛されている主宰でもある。 「たてがみの掴み方」に一貫して流れている 奇妙な関西弁は 不思議な効果を醸し出しています。 きつい内容も さらりとうまく流していくようで……。 小たかさんが使う 魔法使いの杖のような関西弁が、 話しの中身をぐんと面白く 上等にみせてくれているようです。 「たてがみの掴み方」は 小たかさんとの共作で出来上がりました。 小たかさん、ありがとう。 武藤紀子さんの「おわりにひと言」より。 わたしにとっても楽しい本づくりでした。
by fragie777
| 2019-04-25 18:29
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