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4月18日(木) 旧暦3月14日
今日の残花。 わたしもしつこいこと。 クイーンズ伊勢丹の前にも桜の木が一本あって、なかなか見事である。 昼休みにお弁当を買いに出るたびに、目にするのだがなおも楽しませてくれる。 すでにその向こうにアメリカ花水木が咲き始めている。 まだ咲き誇っているひとかたまりがあって、そこを蜂が出入りをしている。 わかるかな? もっと大きく撮ろうと思って近づいたら、飛んで行ってしまった。。。 今年は花冷えの日々がつづいたせいか、花が散らずに長い日数に亘って桜が咲いていたようだ。 しかし、 いろいろな方にお出しする葉書には、 「桜の季節も過ぎました」という書きだしで、始めている。 「桜が待たれます」とか、「桜の季節となりました」とか、そんな風にして葉書を書いてきて、いまはそんな感じ。 メールだとそうは書かないな。。。。 「お世話さまです」とか、「おはようございます」とか、「こんにちは」とか、なかなか季節のことまで書くということがない。 どうしてだろう。 ビジネスライクとなってしまう。が、メールをやりとりするのは仕事の相手ばかりとは限らないのに。 時候の挨拶をするって、やはりいいなあって、わたしは思う。 これは連絡をする相手への挨拶のみならず、わたしたちをとりまく自然への挨拶なのかもしれない、って思うようになった。 「桜が待たれます」とは、相手にそう呼びかけているのと同時に、自然へも「待ってるわよー」って呼びかけているのだ。 たった一枚の葉書のやりとりであるが、わたしとあなたという向き合った関係性からもっと開かれて、わたしとあなたとそしてわたしたちを取り巻いているものへと心をむけて、文を交わすのである。 その葉書が、ある時間を経て地上を遊泳しながら相手に届く。 素敵でしょ。 メールはパソコンを介して、超スピードで相手に届いてしまうけれど。 万年筆で手を汚すこともない。(わたしはもう白シャツを何枚インクで汚したかわからない) メールは極めて便利でわたしも毎日10通以上のメールを書くが、メールでなくて気持ちを伝えたいときは葉書を書くようにしている。 (シャツを汚すハンディを乗り越えてね) どんな絵はがきにどんな切手を貼ってとか、考えることも好き。 今日は有元利夫の絵はがきで、二枚葉書を出した。 一枚はミッキーマウスの切手、もう一枚は桜の花の切手(花の名残)で。 あらら、 葉書のことを書いていたら、 長くなってしまった。 今日のブログはもういいわ。 おしまい。 あっ そうだ。 今日の坪内稔典さんによりe船団『今日の一句』は、現代俳句文庫『池田澄子句集』より。 こいびとを日がな眺めて春の風邪 池田澄子 ああ、いいなあ。こんな感じの春の風邪を引きたい。現代俳句文庫「池田澄子句集」(ふらんす堂)から。 「いいなあ」と坪内さんは言ってるが、わたしも「いいなあ」って思う。 というか、こんな春の風邪だったら引いてもいいもんね。 「こいびと」どころか、「春の風邪」だってわたしには近づかない。 (理由はわかってる。。。) こんな人間にはならないように、ね。 「日がな」の使い方、 絶妙である。
by fragie777
| 2019-04-18 18:24
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