|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
4月16日(火) 旧暦3月12日
パリのノートルダム聖堂が燃えている。 ガーゴイルたちは無事だろうか。。。 こちらは正面、いつも人だかりがしていた。 わたしはこれまでにパリへ行ったのは4回だが、ルーブル美術館やエッフェル塔には行かないことがあってもこのノートルダム聖堂だけは中へ入らなくてもかならず近くまで行っていた。 今朝のニュースには驚いた。 石造りだから火事には強いと思っていたので、こんなに簡単に燃えるとは。。 尖塔部分は焼け落ちてしまったようだが、どうやら無事に鎮火したらしい。 まずはホッとした。 毎日新聞今日付の「俳句月評」で岩岡中正さんが、岸本尚毅著『山口青邨の百句』をとりあげてくださった。 その部分を紹介したい。 岸本尚毅『山口青邨の百句』(ふらんす堂)は青邨俳句の魅力を、その文体論からあらためて示す。山本健吉は青邨の俳句を「単純で一本調子」と評したが、著者はその句末表現の文体の多様さ、自在さから青邨俳句の豊かさを指摘する。それはたとえば、「かな」「けり」、「名詞止め」、助詞の「も」や「を」などの作句上の大きな学びとなる。 海の日の爛旰(らんかん)として絵踏かな 天近く畑打つ人や奥吉野 仲秋や花園のものみな高し 草庵の甕(かめ)に孑孑(ぼうふら)幸福に めつむりて夜橇にあれば川音も 李先生紅梅の酒家に麻雀を 同じく毎日新聞の新刊紹介に関千賀子句集『翅音』がとりあげられている。 第1句集。観光俳句にとどまらず、現地に身を置いてのおおらかな旅吟に特徴がある。 自転車に下げる鶏冬の暮 煮凝や火の色知らず子の育つ 流木のふた夜燃えたり桜まじ また今日の讀賣新聞の「枝折」には、岸本尚毅著『山口青邨の百句』が紹介されている。 青邨の作風を「単純で一本調子」と評した山本健吉に対し、「文体の多様さ、自在さ」を魅力として鑑賞する。全13句集から選ばれた100句。 新刊紹介をしたい。 四六判変型ハードカバー装 220頁 著者の山本敦子(やまもと・あつこ)さんは、1942年京都生まれ、東京・品川在住。1981年楠本憲吉に俳句入門、1982年憲吉門下の鈴木明と会い、結婚。1983年鈴木明指導の「実の会」俳句会に参加。2003年鈴木明が結社「野の会」を主宰継承、同人として入会、2016年「野の会」無鑑査同人として現在に至る。本句集はおよそ37年間にわたる作品を精選した第1句集である。帯文を髙橋睦郎、序文を高山れおな、跋を鈴木明、栞を筑紫磐井、関悦史、石田杜人が寄せている。 貝塚夕焼け人いつか死ぬ必ず死ぬ この光のような一句を得ただけでも、作者の敦子さんも読者の私たちも、十七音詩に出会えた至福を俳句の神に感謝しなければなるまい。 髙橋睦郎さんの帯文である。 高山れおなさんの序文は、およそ20頁ほどになる長いものである。山本敦子さんとの出会いにはじまって(このくだり結構おもしろい)その俳句における交流、そして山本敦子の俳句の特徴をその作品にふかく入り込んで丁寧に紹介していく。抜粋して紹介したい。 耳の廃家で抱擁・静止 束の間 虫 みじか夜の迷いくちづけ赤い斧 くちづけに部屋ごと燃えて夏果つる 私に興味深いのは、楠本姉弟の周囲で夫となる鈴木明と出会い、かつは俳句と出会った敦子の初期作品が、実体験をなまなましく反映させながら、楠本憲吉の句風の影響を顕著に見せているところだ。一九八〇年代前半のそのころ、憲吉はたとえば、〈歪む物 電線・女・梅雨・新幹線〉〈咎ある愛ここで振り向く虹・墓標〉〈窓に虹のけぞる七彩 女体も亦〉といった作品をつくっていた。敦子の句のうち一句目、二句目に見られる、名詞ないし名詞節をたたみかけるしらべは、こうした憲吉俳句に近いだろう。その詰屈としたしらべに乗せると、〈赤い斧〉のような直情にすぎる比喩も浮き上がることがない。三句目の〈部屋ごと燃えて夏果つる〉は特に憲吉調というのでもないが、性愛をここまで率直に詠んだ句も、憲吉の周囲でなら受け入れられやすかったのではあるまいか。俳句としては〈耳の廃家〉という隠喩と、端的な実況描写が融合したような一句目がいちばん面白い。具体的・分析的に読むのはあえて遠慮しておくが、ここから〈老夫婦になったんだ〉までのはるけさを思うと、やや胸が熱くなってくるのをとどめがたい。 山本敦子さんは、物語のヒロインのような華やかな人生を送られている。京都の生まれといっても京都四条通に江戸後期より続いた呉服店の7人兄弟の末子一人娘としてうまれた。同志社女子高校を二年で終了し、宝塚音楽学校に入学、宝塚歌劇団に入団している。いわゆるタカラジェンヌである。しかし、鈴木明氏の跋文によると「本人は全くタカラヅカに何の執着も希望もなく、母親の言うがままに女子には難関の歌劇団にすんなり入団したことだ」とこれまた羨ましい。1973年に東京に進出してご実家の呉服店を引き継いでホテルニューオータニに「((株)みや美」を出店。以後閉店するまで30年間、経営者としての手腕をふるわれた。この呉服店は、創作呉服店として有名人のお客さまもあり繁盛したご様子である。本句集を読んでいくと、実業家の顔のみならずその他にさまざまな女の顔があり、そこにはひとりの女性の人生があぶり出されて興味深いものがある。またヒロインたるにふさわしい美貌とオーラの持ち主でもある。 筑紫磐井さんの栞は「世にも不思議な物語」と題して、筑紫さんの一句が、鈴木明ご夫妻へと導いていった経緯を中心に書いている。一部を紹介したい。 私は〈南国の鳥よりお洒落主宰夫人〉という句をしばらく前に詠んでいた。もちろん、どこの誰それというモデルがいた句ではなくて、世のつねの俳句雑誌の主宰夫人とはこんなものだろうという空想で詠んだものであった。ところが明氏は、あの句は家内をモデルにしたものでしょう、と言って止まない。後日、紹介を受け、また頻繁にお宅に伺って手料理をご馳走になり、話をすればする程、この句にふさわしい主宰夫人は敦子さんしかいないような気がしてきた。 関悦史さんは、「弾んでしまう言葉の艶」と題して、山本敦子の俳句が持つリズムに注目する。そして俳句における「損なわれていない無邪気さ」を「三尺の童」のごとくとも。一部を抜粋したい。 冷菓ぷるぷるうわべの話もう真っ平 七十過ぎてもムッちゃんアッちゃんかき氷 堪えてなお「馬鹿めが!」と吠ゆ星月夜 一句目「真っ平」と拒絶を示しはするものの、そこに出てくるのが「冷菓ぷるぷる」である。これは例えば三橋鷹女の〈夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり〉の、ひたすら自分の芯に集中していくような拒絶とは、ありようがいささか異なる。「ぷるぷる」「まっぴら」の破裂音pのリズミカルな連打は、韻文を形成するとか何とかいうよりも、むしろ発音の際に接触しあう口唇が、幼児的な快感まで引き出してしまうかのようなのだ。 句のメリハリの強さはこうしたリズムの強さからも来ていて、二句目の対句じみた「ムッちゃんアッちゃん」や三句目の強拍性を帯びた「馬鹿めが!」なども同種の働きをしている。この辺なども「三尺の童」が強烈に生きている証といえる。 おなじ「野の会」の句仲間の石田杜人さんは、「天真のひと」というタイトルだ。 俳句には魔物が潜んでいる。俳句を始めた人間に取りついて、遊んだり、制御したり、開放したりする。魔物は頭に忍び込み心の隅に棲む。そして誰であろうと裸にしてしまう。スランプは誰しも経験があるが、細々と続けていれば魔物も憑りつくのを緩める。それもいずれは顔を出す。その準備は秘密裏に続けられる。 が、しかし、作者敦子女史は魔物を住まわせない。なぜなら透き通った身体には隠れる場所がない。まして、見透かされ魔物は魔物という姿すら消えてしまう。 あーっと安堵ふーっと不安お元日 本閉じて目だけボォーと蝶追ってる 死ねばわたし蝶々になって汝が肩に ご夫君でもある鈴木明主宰の跋文は、身近にくらす良き理解者として夫らしい跋文である。愛おしい思いが見え隠れする。 さらっとさよなら言えない私花氷 「棺ってシングルですか」冬黄バラ 人好きが私の勲章でも寒い 敦子が商いから離れられない一つの理由は、生まれながらの「人好き」。 これは常に彼女が言葉にするセリフ。人に対して、対する人を賢く、聡く見つめ洞察し、己のこころの内側に相手を引き込み、敏く理解し、時に迷うことがあっても許し、好きになる。彼女の天性といっていい。 本句集の担当はPさん。 あなたが居れば千倍きれい嵯峨野は雪 梨の歯ざわり青年の正しき礼「信じねば(アイ・ビリーブ)」敵は自分だ春嵐
死ぬまで華やげ木枯が鞭を打つ あーっと安堵ふーっと不安お元日 堪えてなお「馬鹿めが!」と吠ゆ星月夜 全山紅葉まっ只中に憂さなどなし 柔らかき人に芯あり葱香る Pさんが抜いた好きな句は、けっこうわたしとかぶる。 死ぬまで華やげ木枯が鞭を打つ これいななあ。わたしのキャッチコピーになりそうなくらい。厳しく寒い人生であってもこんな心持ちでいたいわ。Pさんもそうなのかなあ。これって女同士だから共感する句なのかもしれない。男子はどなんだろう、この句にぐっとくる男性もいるのかな。この「華やげ」は他者に言っているというよりぜったい自身に言っているんだと思う。他者に言っているとしたらちょっとサディスティックだ。「「信じねば(アイ・ビリーブ)」敵は自分だ春嵐 」この句も同じトーンなのだけど、わたしは「木枯」の方が好き。「春嵐」はちょっと説教調な感じがするので。 堪えてなお「馬鹿めが!」と吠ゆ星月夜 これも好き。山本敦子さんって結構ハードボイルド的だよな。女版フィリップ・マーロウか。「堪えてなお」がストイックだ。「吠ゆ」の荒々しさがなんともいい。 句集名「八月四日に生まれて」についての由来を「あとがき」より紹介したい。 先ず始めに、何故題名を「八月四日に生まれて」と、自分の誕生日にしたか。お話します。以前、米国映画に「七月四日に生まれて」(一九八九年主演トム・クルーズ)というアメリカ独立記念日に生まれた青年が、一九六〇年代のあの悲惨なベトナム戦争で、一兵士として負傷し、不具者になり、祖国を愛しているのに拘わらず、国家を訴えるという内容の映画でした。私は迚も感動し、その時ふっと頭に浮かんだのが、将来もし私が句集を出すとしたら、私なら八月四日だなあと一瞬思ったのです。当時はまず、そんなことはあり得ないと思いつつも、です。それに後日、私の敬愛する米前大統領バラク・オバマ氏の誕生日がおなじ八月四日と知り、決定的になり、結果、題名となりました。 先ず始めに、何故題名を「八月四日に生まれて」と、自分の誕生日にしたか。お話します。以前、米国映画に「七月四日に生まれて」(一九八九年主演トム・クルーズ)というアメリカ独立記念日に生まれた青年が、一九六〇年代のあの悲惨なベトナム戦争で、一兵士として負傷し、不具者になり、祖国を愛しているのに拘わらず、国家を訴えるという内容の映画でした。私は迚も感動し、その時ふっと頭に浮かんだのが、将来もし私が句集を出すとしたら、私なら八月四日だなあと一瞬思ったのです。当時はまず、そんなことはあり得ないと思いつつも、です。それに後日、私の敬愛する米前大統領バラク・オバマ氏の誕生日がおなじ八月四日と知り、決定的になり、結果、題名となりました。(略) 私たちには子供がいない。句集出版は、自分自身の一生の、生きた証しと言う意味を籠め、纏めてみました。 長い年月を「野の会」の主宰者である鈴木明氏をささえながら、仕事人としても頑張って来られた山本敦子さんである。仕事を辞められた今日は、俳句と向き合う日々である。 本句集の装幀は和兎さん。 山本敦子さんは、「黄色の本」を希望された。 タイトルは金箔 栞。 扉 花布と栞紐はご自身で決められた。 着物も創作されていた方であるので、こだわりがはっきりとある。 すこし細身であるのが、はんなりとしている。 染帯の金魚泳がせ信号待つ これは自分のことを詠んだのだろうか。それとも、姿よく和服を着こなした若い女性に目をとめての作だろうか。どちらにせよ、ささやかなスナップが時に永遠をひきこんでしまう、短詩型の機微がここに働いていることはたしかだろう。四十年近くにわたる作品をおさめるだけあって、この句集には以上記したのにとどまらない多面的な魅力がほかにもいろいろつまっている。 高山れおなさんの序文より。 さくらちる商魂抜ければ常(ただ)の人 呉服屋さんを辞められたときの一句だと思う。 「商魂抜ければ」に仕事に入れ込んだ気合いが見える。「仕事辞めれば」じゃないのだ。 魂を入れ込んで来たのである。どれだけ仕事にかけてこられたのだろうか。 わたしの家もささやかながら呉服屋であり、母の背中をそれとなく見てそだったので、商売の大変さはなんとなくわかるが。 「商魂」。 これは持った人でなくてはわかんない「魂」である。 「商いのたましい」ですよっ。 それがすぽっと抜けてしまったのだ。 それほどの打ち込み方である。 「この句わかるわあ、わたしも仕事を辞めればきっとそうよ」とスタッフに言ったら、「いいえ、yamaokaさんは、「さくらちる商魂抜ければドジな人」ですよ。「ああ、そうねえ」と笑ったところ、「いや、間違った、「商魂あってもドジな人」でした。 反論できない自分がかなしい。 しかし、「商魂」と言えるほどのものはまだまだであるとわたしは思っている。 アキンドダマシイ。。。。。だよ。
by fragie777
| 2019-04-16 20:57
|
Comments(0)
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||