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4月11日(木) 旧暦3月7日
琵琶湖辺に咲いていた八重椿。 朝、鏡にむかって口紅ペンシルで輪郭をつけていたら、上唇の右のところが大きくはみ出してしまった。 (あらら、) ひとさし指でそのはみ出したところをこすったところますますはみ出してしまう。 (もう、あらら) 今度はティッシュでチョチョッと拭く。 あとがまだ残っているけど、 (平気、わかりゃしないわ) と、R眼なのでよく見えないことをいいことに、ヨシとした。 一事が万事、こんな具合である。 ほんと、おおざっぱなヤツだ、って自分でそう思う。 おおざっぱな上にガサツである。 先日、池袋発のレッドアロー号に乗った。 すべてが指定席である。 わたしは座るやいなや目の前にある小さなテーブルを開いた。 そこに水やら本やらを載せた。 そう、コートを脱ごう、ということで今度は水や本を窓枠においてテーブルをしまい、ガサゴソとコートを脱いだ。 そして、ふたたびテーブルを開いて、本などを載せる。 すると、 前の席の人がちょっと立って、こちらを見ながら、 「すみません、もう少し静かにやってもらえませんか」 「あらあ、ごめんなさい!」 (すげえ恥ずかしい。。。) ニコニコと少し困り顔の紳士だった。 本当に恥ずべきガサツな女だと思った。 でも、ま、生きていかなくっちゃならないからね。 深くは反省しないyamaokaである。 新刊紹介をしたい。 46判小口折表紙カバー装グラシン掛け。 218頁 著者の相川シマ(あいかわ・しま)さんは、昭和15年(1940)埼玉生まれ、現在埼玉・志木市在住。昭和63年(1988)「若葉」入会、平成14年(2002)若葉」新人賞受賞。「若葉」同人、俳人協会会員。本句集は、昭和63年(1988)から平成30年(2018)の30年間の句を精選収録した第1句集である。序を鈴木貞雄主宰が寄せている。 懇切な序文より抜粋して紹介したい。 どんど火の猛りし影のさ走れる 泥濘を捏ねて山車出づ春祭 長茄子の紫紺をすべり雨の粒 秋雨の降るとも見えぬ水輪かな 据ゑられて肩怒らする案山子かな 杖ついて来しとも見えぬ踊かな 登りつめなほ炎をとばす山火かな 静もれる高麗の一つ家夕河鹿 白梅の日陰の色も捨てがたく ひと色はみづうみの色秋の虹 染め残す青美しき夕焼空 をりしもの満月屋根に村歌舞伎 たくさんの句を引用され、写生の確かさ、発見のある句、長い凝視の中から生まれた句、季語を巧みに詠んだ句、感性が光る句などについて丁寧な鑑賞をほどこされているが、ここではその一部の句のみ紹介した。そして、 『ヨットの帆』一巻には、作者の性格そのままに素直な句が多い。中には、〈初蝶来紛れなき黄をちらつかせ〉〈玉と聴く五十鈴川なる初河鹿〉のように表現に工夫を凝らした句も混ってはいるが、最高の技巧は、無技巧の技巧と言っていいであろう。そして、そのような句がシマさんの真骨頂なのである。 と書かれている。 句集『ヨットの帆』の上梓にあたっては、ご本人の相川シマさん以上に、編集長の伊東肇さんがいろいろと相川さんを助けられて、この句集に尽力された。装幀のこと、活字のこと、句集を上梓するのは初めての相川さんであるので、相川さんも信頼して伊東編集長に任せられたのだった。 ふらんす堂の担当は文己さん。 「伊東肇先生が打ち合わせから装丁まで細々とお世話して下さいました。 装丁は海を感じさせるようなもの、ということでこの案に決まりました。」と文己さん。 文己さんの好きな句を紹介したい。 引越の荷につきにけり春の泥 欲しきものなきてふ母に新茶買ふ 若竹に未練の皮のぶらさがり 剪定の音にためらひなかりけり 邯鄲の止むとなき音を綴りをり 初蝶来紛れなき黄をちらつかせ 朴の花揺れをさまりし白さかな たうたうと街中流れ雪解水 月を待つ門前蕎麦屋灯を消して 引越の荷につきにけり春の泥 「春の泥」って聞いただけでも、ちょっと黒々として水分をふくんで光っているそんな土を想像してしまう。泥とはもともと水分をふくんだ土のことを言うわけであるが、そこに「春の」とあると、さらにさらにねっとりとした生ぬるいような土のことを思い起こす。引っ越しの荷物にだってつきやすい。春は引っ越しシーズンだ。春先の引っ越しは人間の気持ちもずいぶんと軽やかになってあたたかさに向かっている。だからその荷物についた泥だって、どうってことない、すぐ乾くよと許せる気持ちになる。そんな春の泥である。 欲しきものなきてふ母に新茶買ふ この一句、そうなのか、何も欲しいもののないお母さまなのか。って思った。わたしなぞ歳をくっても欲望だらけ、欲しいものがたくさんある。(弱ったものだわ)。相川シマさんは、そんな殊勝なお母さまに新茶を買ってあげたという。「新茶」だったらもらって迷惑っていうことは絶対ない。さっそくお茶を淹れて新茶の香りをたのしまれたことであろう。すばらしい娘の思いだ。わたしは母に新茶を買ってあげたことはなかったな。。なにしろガサツだからね。この一句、母と娘のしみじみとした感情がいきかう。 切売りの西瓜の匂ふ夜店かな この一句はわたしの好きな句。西瓜ってあまり匂わない果物である。ましてや一個まるごとで売られていると全然匂わない。しかし、切り売りされている西瓜がある。しかも夜店である。狭い店に隙間なく並べられた西瓜、切り口が濡れて光っている。そこにきっと裸電球の強い光が直撃している。風もない暑い夜だ。そんな夜店の前を通れば、西瓜はその特有の匂いを発散しているだろう。そして夜店に並べられた西瓜の色もまた昼間の色とはちがう赤の色をしているのではないか、夜店の親爺のさびしげな顔も浮かんでくるそんな一句だ。 蕗の薹立子の墓に供へあり たいへんさりげない一句であるが、好きである。星野立子の墓に供えられた「蕗の薹」、なんと立子にふさわしいことか。供えられてこんなに蕗の薹が似合う俳人はいないのではないか、立子の句を心から愛する人が供えたのだろう、きっと。 子供たちが手を離れて寂しい思いをしていた昭和六十三年五月、友人に誘われて地元の志木若葉会に入会致しました。志木若葉会は故萩原滴生子氏により設立され、初代選者・故長尾雄氏の御指導のもと和気藹々とした楽しい句会で、すぐに俳句のとりこになってしまいました。 後年、長尾雄氏のご逝去により、後任の伊東肇氏、埼玉若葉会の新井ひろし氏にはやさしい中にも厳しい御指導を賜り、誠に有難いことでした。また、志木若葉会、埼玉若葉会はじめ鎌倉若葉会等の多くの良き先輩、句友に支えられ、のびのびと俳句を学ぶことができました。 句集を編むことは夢にも思っておりませんでしたが、最近、主人がしきりに句集を出すことを勧めるようになり、また、句友の後押しもありまして、私も喜寿を迎えてようやく決心致しました。 句集名の『ヨットの帆』は、私にとって記念碑的な句〈ヨットの帆色失へる遠さかな〉から取りました。 「あとがき」を紹介した。 ほかに、 涅槃図のうすれし色の仔細かな 杖ついて来しとも見えぬ踊かな 古着屋のいとも小さき置炬燵 閻王に睨まれてゐて涼しかり 一葉の墓へ踏み行く霜柱 在りし世の姿勢崩さず古雛 ことのほか樹下静かなり青嵐 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 相川さんと伊東編集長の希望のかたちになるまで、頑張ってくださった。 「ヨットの帆」題簽は、相川シマさんのご夫君の相川仁男氏。 「海」の感じを出して欲しいというご希望だった。 扉。 ヨットの帆色失へる遠さかな 沖へ出たヨットの帆は、もし晴天であれば紛れることはなかったであろうが、曇天で水天朦朧としていたが故に、白い帆も紛れてしまったのだ。そうした情景が、奥行きをもって余韻深く詠まれている。 「序」より。 草渡る蜥蜴に重さなきごとし わたしの好きな一句である。序文で鈴木主宰もあげておられる句。「蜥蜴」が夏の季語だ。「蜥蜴」の身のこなしの素早さとそのスピード感を、「重さなきごとし」と表現した。「草渡る」がいい。草上を猛スピードで走り去っていく蜥蜴がみえる。気持ちのよい句だ。 「ふらんす堂通信」の校了が迫っている。 明日中には校正をしなくてはいけない。 午後、わたしの目の前にゲラがおかれた。 ほかの校了もあって、ちょっと慌ただしい。 校正はむいていないのだけど(ザル校のきわみ)、でも、誰も気づかなかった大事なことに気づくことだってある。 校正は目が多いほどいいのだ。 こんな私でも(大雑把を誇る)あながちまったく意味がないっていうことはないのよ。 だから、頑張る。。。。
by fragie777
| 2019-04-11 19:37
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