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4月3日(水) 旧暦2月29日
花冷えの日がつづくので、散ることもなく張りつめて咲いている。 今日はめずらしくお弁当を持参した。 とびきり美味い辛子明太子を友人からもらったので辛子明太子パスタをつくってみた。 風味豊かなオリーブオイルをたっぶりいれて和え、紫蘇をふりかけ、プチトマトを添えた。 と言ってもわたしのことだからかなり大雑把な作り方である。(明太子パスタは凝りようもないか) デザートは甘夏みかんを4分の1。 まあまあ美味かった。 お昼に炭水化物を仰山摂取したので、夕食は炭水化物を抜くつもり。 それでも体重は減らないのが悩みの種。 新刊紹介をしたい。 四六判小口折表紙装 198頁 著者の植原陽一(うえはら・よういち)さんは、1940年(昭和15)群馬県高崎市生まれ、現在は千葉県佐倉市にお住まいである。2005年(平成7)にNHK文化センター俳句入門講座を受講、2006年(平成8)「いには俳句会」(村上喜代子主宰)入会、2014年(平成26)「いには俳句会」同人、2015年(平成27)俳人協会会員。本句集は、「いには」に10年余に亘って発表したものを中心に340句を四季別に編集した第1句集である。序文を村上喜代子主宰が寄せている。 村上主宰の序文によると、植原陽一さんが住まわれている佐倉市は「印旛沼や佐倉城址に近く、晴れた日には富士山と筑波山が共に見えるという景勝の地であ」り、「主宰誌「いには」はこの印旛の古名からいただいた。」ということである。「印旛が万葉集の防人の在所と記されていることを知り、そのおおらかな響きにロマンを感じて名付けた」とある。そして本句集の著者植村さんは、この「いには」の地を愛し、句をたくさん詠まれていると記されている。 梅東風や薄むらさきの筑波山 春暁や満月残る富士の峰 筍の焼けて「いには野」てふ地酒 遠筑波夏野に伏する牛のごと いには野の風は亜麻色花すすき 沼風や稲架のはるかに筑波山 句集『青嵐』は、印旛沼と筑波山と富士山、これらの名山や景勝の地に住む氏の第一句集である。 春惜しむ癒ゆるあてなき母とゐて 母の日や卒寿の母に吾が名問ふ 母の日の母には告げず吾が病 新盆や百寿で逝きし母迎へ 村上主宰は、集中の母を詠んだ句をとおして母の命に向き合う著者を紹介し、そして リハビリは腹式呼吸青葉木菟 一日を生きて一献冷奴 三年の白紙の未来日記買ふ 老支度こころに春の支度かな 自らの病気が判明するが、息子の名前さえ覚束なくなった母に病を打ち明けることは出来なかったという。こうして母の命、自らの命と直面せざるを得なくなったのである。 これらの句からは、命ある一日に感謝しながら残された人生を大切に過ごそうとする植原さんの覚悟が窺える。(略)病気でなくても明日知れぬのが命なのだが、特に病んでいるときは生きている有難みや喜びをより強く実感する。俳句を詠むことは日々生きている証なのである。 懇切に書かれた序文の一部を紹介した。 七十の胸吹き抜けよ青嵐 集名となった一句である。植原さんは、現在は79歳、まもなく傘寿を迎えられるが、この一句は「古稀を迎えた頃の自分自身に対するエールであり、その後の人生への決意を表したものである。」とあとがきに書かれている。この一句のあとにおかれた句が「喜寿までは青春後期立葵」であり、若々しい句が並んでいる。 本句集の担当は文己さん。 この根つこありてこの幹大桜 せせらぎの流るる先の蝌蚪の国新緑やポケットチーフの色を替へ 現地集合万緑の中の駅 緑蔭や声懐かしき人に逢ふ 八月の空の碧さを恐れけり 団栗の唄のやうには転がらず 稔り田を一望にして風を聴く 秋の暮ひとりの時の独り言 ゐのこづち付けて銀座の八丁目 新緑やポケットチーフの色を替へ ポケットチーフをどんな色に変えられたかは詠まれていないが、きっと新緑の色を意識したそれに合う色であり、初夏らしいものだったのだろう。夏服にポケットチーフをあしらうとはなかなかダンディである。序文にも書かれていたが、植原さんは、現役時代は全日空に勤務して海外を飛び回っておられた方だ、お目にかかったときも紳士然としておられた。わたしも好きな一句である。お洒落であるのみならず、季節への賛が素敵だ。 現地集合万緑の中の駅 気持ちのいい句である。鳥瞰図的な構図の一句である。圧倒的な緑、言葉少なくして情景を切り取ってみせた。ひらがなは「の」がふたつあるのみ。これから俳句仲間と吟行に向かうのか。おなじ「万緑」の句で、「湧き水に映る万緑掬ひけり」という句があり、こちらもいい句だ。 止まり木の足泳がせて荷風の忌 この句、けっこうわたしは好き。なんだか面白いじゃない。その前に「荷風忌の近き一夜の神谷バー」という句があるから、あるいは浅草の「神谷バー」の止まり木か。電気ブランを飲ませるので有名なところだ。「荷風忌」によく合っていると思う。序文によると忌日の句が多いと書かれていたが、忌日の句のなかではこの句が一番好きかな。「足泳がせて」に俳諧味があって、滑稽かつ遊び心、そしてちょっぴり悲しいようなそんな味わいがある。植原さんはポケットチーフをしてバーでお酒を飲まれるのかしら、やはりダンディだなあ。 私の俳句との出会いは、退職後、何か刺激性のある新たな目標を持ちつつ、その後の人生を送りたいとする思いから、今から十二年程前に、NHK文化センター主催の俳句入門講座を受講したことに端を発している。その後、先生の主宰する「いには俳句会」に入会、以降、吟行中心の佐倉句会並びに題詠のある八千代句会の末席をけがし、NHK講座と併せて今日まで継続することが出来た。 そして、移り行く自然との邂逅と自らの心情の変化を楽しみつつ俳句に残せることに大きな悦びを感じてきた。 (略) 本句集に掲出された句を顧みると、深みや骨のある句が殆どなく、反面、やや甘の句が多く、内心忸怩たるものがあったが、傘寿を前にした「老支度」のひとつとして、今までの心情を心の記録として残して置きたいという強い気持ちから出版することとした。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ほかに、 桜見る己が心に向きあひて せせらぎを聴くひとときの心太 鉦叩世にも淋しき間のありぬ あはあはと八重の十月桜かな 寄り道も近道もまた露の道 余生とは余命にあらず菊の酒 ふと影を落として去りぬ冬の蝶 夕べには雨になるらし枯蟷螂 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 緑色を基調にというのがご本人の希望であった。 タイトルのみツヤなしの金箔。 紙に風合いがあるのだけれど。。。 小口折表紙である。 見返し。 扉。 本句集には、植原さんのご希望によって、俳句の読みをひらがなで小さく句の横に付した。 俳句に馴染みのない友人にも読んで欲しい、と。 すっきりと清新な一冊となった。 植原さんはあとがきで「移り行く自然との邂逅と自らの心情の変化を楽しみつつ俳句に残せること」が大きな悦びだという。富士山や筑波山が一望できる自然豊かな地に住み生きている悦びを、これからも豊かにおおらかに詠み続け ていただきたい。 村上喜代子主宰の序文より。 噛み合はぬ話のままに春の海 たくさんの良い句があるが、わたしはこのちょっととぼけたような一句が好きである。「春の海」だから、噛み合わぬ話であってもなんだか許せてしまいそう。話しが噛み合わぬことって案外ある、内心焦ったり、苛立ったり、(分かれよ!)なんて心で毒づいたりしちゃうのだが、ふと気づくと大らかな春の海が目の前にある。ゆったりと波をかえして、鷗なども大きく翼をひろげて気持ちよさそう、まっ、いいかっ、と。しかし、噛み合わない。 夕方にお二人お客さまが見えられた。 寺澤始さんと寺澤佐和子さんである。 お二人とも、俳誌「未来図」の同人である。 寺澤佐和子さんは、2017年にふらんす堂より句集『卒業』を上梓されている。 今度はご夫君の寺澤始さんが、第1句集を上梓すべく句稿をもってご来社くださった。 寺澤始さんは、大学生のときに俳句を4年間つくったことがおありだという。 松尾芭蕉を勉強するにあたり、俳句もつくろうということになったということ。 その後は、ブランクがあって九州で俳人首藤基澄の下で学び、未来図に入会した。 奥さまの佐和子さんもそうである。 「句集に大学時代の句もいくつかはいってるんです」と寺澤始さん。 寺澤始さんと佐和子さんご夫妻。 「お二人で吟行をすることもあるのですか」と伺うと、 「ええ、この間しました」とにっこりされた始さんだった。 今日は、句集『卒業』にある一句、 壇上の五歩踏みしめて卒業す のお子さんが高校へ入学されたということ、その入学式があってお二人とも参列されたその帰りであるということだった。 おふたりとも学校の先生でいらっしゃる。
by fragie777
| 2019-04-03 19:48
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