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3月28日(木) 旧暦2月22日
![]() 神代植物園へむかう道に咲いていた花馬酔木。 顔をちかづけるとでっかい虫、虻か?がいた。 どうしてもおやつに桜餅が食べたくなって、いま山本耀子さんの『季語のごちそうⅡ』のゲラ読みをしていることもあって、そこに桜餅のことが書かれていて、道明寺でも長命寺でもどっちでもいいから無性に食べたいと思い、銀行に出掛けたついでに仙川の街を桜餅をもとめてしばし彷徨った。むかしからあった和菓子屋さんが昨年閉店してしまったことで和菓子がずいぶん遠くなってしまったのだ。新しいお店もできたのでそれではと行ったところお休み、もう一軒すこし歩けばあったはずと行ってみたがそこもお休み。あきらめきれずにクイーンズ伊勢丹のお菓子コーナーを覗いてみたところ桜餅だけというのはない。で、桜餅はあきらめて、みたらし団子を買って帰った。みたらし団子は大好物でそれはそれなりに美味しかったし、スタッフたちも喜んだが、しかし、やはり桜餅が食べたいなあ。と思っているyamaokaである。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 206頁 3句組 俳人・八染藍子(やそめ・あいこ)さんの第6句集である。八染藍子さんは、俳誌「廻廊」を主宰、「狩」創刊同人を経て、現在は「香雨」創刊同人。俳人協会名誉会員、日本文藝家協会会員。本句集は平成20年(2008)から平成30年(2018)までの作品546句を収録した第6句集である。 短冊の天の二(ふた)藍筆はじめ 句集名はこの句に因みました。「二藍」は日本古来の染色名で、若い頃に手がけた型絵染で関心を寄せた色の一つです。布地を先ず紅花で染め、その上に藍をかけたのが「二藍」ですが、その比率は、藍の淡い方が若年向き、紅の淡い方が壮年向きということが源氏物語にも記されています。 「あとがき」にあるように、「二藍(ふたあい)」とは藍の色である。広辞苑によるとやや赤味のある藍色とも。美しいことばである。しかもまず紅色で染めて、その上に藍色をかけるとは、なんとも奥行きのある藍色である。この句集名によってはんなりとした俳句の世界に導かれていくようだ。 本句集の装釘は、ご子息である杉山龍太さんがされた。ニューヨークでデザインの勉強をされたという。いまは企業人でおられるが、この度お母さまのためにこの「藍色」を生かして素敵なブックデザインの一冊を手掛けてくださったのだ。 東京にお住まいの杉山さんは、ふらんす堂に何度か足を運んでくださり装釘のための打ち合わせをされたのである。 本句集の担当はPさん。 八千草や乱るるといふ褒めことば 花屑を食みて牡鹿を生むつもり新茶汲む一滴づつのもの思ひ 折れ針を瓶に封じて原爆忌 目を溜むる器となりて朴落葉 春光やこけしは回りつつ生まれ 冬日和爪に一点飛雲かな 墨を磨る音なき音の淑気かな 手花火をおそれて棒となす腕 間紙に落款ほのとさくらの夜 端正で達者な句づくりをされる方である。穏やかな落ち着いた物腰の暮らしぶりのなかでも、俳人としての繊細なる感性を研ぎ澄まして句をつくられる方であると思った。 花屑を食みて牡鹿を生むつもり わたしも面白い一句だとおもった。目の前で花屑を食べている鹿がいる。なかなか絵になる風景かもしれない。それを見て著者は、「牡鹿を生むつもり」なんだと思ったのだ。この発想が面白い。素敵だ。なにゆえ「牡鹿なのか」理屈はないのだろう、しかし、牡鹿だから花がもつ華麗さと儚さとに響きあうように思う。 墨を磨る音なき音の淑気かな 八染藍子さんは、書をたしなまれるのだろうか。この句は句集の後半におかれたものだが、本句集は、「書初の毛氈を水玉走り」「船出するここちに筆をとる吉書」の二句で始まっている。また、硯は筆の句も少なくない。掲出の一句、わたしも好きな句である。墨を磨る時、音はでるのか、わたしは自慢じゃないが大人になってから墨を磨ったことがないように思うので全然わからない。が、この句「音なき音」が墨を磨る人間の精神に響いているのである。それは墨を磨っている人間にしかわからない音であり、墨を磨るという行為をとおして身体がその行為に集約されていくような、あたりの音はすべて消え、墨を磨る音なき音のみが身体を支配するのである。その身体が呼び込んだ淑気である。 手花火をおそれて棒となす腕 今回すきな句がPさんとかなりダブっているのだが、この句もそう。説明がひつようないくらい情景が浮かんでくる。手花火をやっているのは子どもでも大人でもいい。あんがい大人の腕だったりするかもしれない。「棒となす腕」の表現が巧い。腕がすべてを語っている。 この句集は、平成二十年から三十年までに発表した約三千句からの自選・五四六句を収めた第六句集です。 鷹羽狩行先生が昭和五十三年にご創刊の「狩」が昨年四十周年を、狩行先生が米寿を迎えられ、平成三十年は門下にとり、大いなる祝福の年になりました。しかし同時に、「狩」が去年十二月号で終刊という大きな衝撃も味わいました。今改めて、ひたすらだった四十年を振り返り、感無量のものがあります。 平成二十八年に夫の急逝、その他近年の私自身の体調不良もありましたが、父・杉山赤富士から受け継いだ俳誌「廻廊」が、お陰様で平成最後の三十一年一月号で通算八百七十号に達しました。 今日まで並々ならぬご支援を頂きました「廻廊」俳句会の皆さま及び関係各位に厚く御礼申し上げます。 「あとがき」をふたたび紹介した。 ほかに、 風花を箔としとどめたき山河 初蝶や墨磨りて息ととのふる 鵯の嘴椿の嘴と睦み合ふ 大奥へ踏み込むここち菖蒲園 手袋を脱ぎ柏手を響かする 擂鉢の奈落明るき木の芽和 一片の落花にもあるこころざし 判じ読むおのれのメモや日の短 摘草のひたすらなれば跪き 秋風や諾ひがたき子の五十路 紫陽花を描き化(ばけ)学は不得手なり 白玉や従ふに足る子の齢 白扇をたたむ音にも為人(ひととなり) いつよりか鵙の木と呼ぶ野の一樹 女の雛にまさる男雛の富士額 これはわたし好みの一句。お雛さまって女子に視点がおかれて男は添えもののような感があるのだけれど、わたしはお雛さまを見るたびに男子の雛が美しいと思ってしまうのよね。言ってみれば女子は美しくて当たり前で男子はまあ、凜々しくあればという感があるけれど、さすが美しいものに敏感な八染さん、男雛の美しさにちゃんと目を留められた。この冨士額、いいですねえ。 本句集の装釘は、先ほど書いたようにご子息の杉山龍太さん。 お母さまの好みを熟知しておられて、素敵な装釘をしてくださった。 タイトルはツヤなしの金箔。紫がかった藍色とよく合っている。 扉。 花布と栞紐 「今度は米寿にむけて頑張って欲しい」と、句集が出来上がったときご子息の杉山龍太さんはおっしゃった。 良き息子さんである。 ご主人を亡くされた八染藍子さんをはげますお気持ちがわたしたちにも伝わってきたのだった。 梅雨深き夫の遺品にわが句集 夫の遺品を整理していたら、夫にあげたご自身の句集が出て来て感慨深くそれを手にしたというのだと思うが、いい夫婦の間柄が思われる句である。俳句をする妻を尊重しその句集を大事にしている夫、きっとそれぞれの世界を大切にしながらよき距離をたもって来られたご夫婦なのだろう。「梅雨深き」という季語が、残された妻の気持ちをよりしみじみとしたものにしている。 今日はお二人のお客さまが栃木県宇都宮市からいらしてくださった。 岡田幸子さんと星野乃梨子さん。 お二人とも俳誌「運河」(茨木和生主宰)の同人である。 この度、岡田幸子さんが第1句集を上梓されることになった。 どんな本にされるか、今日はその相談に見えられたのだった。 担当は文己さん。 文己さんは栃木県の出身である。 岡田さんと星野さんは、栃木の有名な作新学園の教員でおられる。 実は文己さんの弟さんは、3年前だったか作新学園の野球部のキャッチャーとして甲子園に出たのである。 そんなご縁を申し上げると、「ああ、◯◯君ね、よく知っているわ」という話しになった。 「なにしろ200人ちかい野球部員がいるんですよ、その中でレギュラーを勝ち取るっていうのはよほど力がないと」ということである。 「すごいんだね、文己さんの弟は」ってわたしもあらためて思ってしまった。 星野乃梨子さんは、すでに第1句集を上梓されている。 今日は句友として一緒にいらしてくださったのだ。 いろんな本をご覧になって、ソフトカバー装小口折表紙に決められたのだった。 岡田幸子さん(左)と星野乃梨子さん。 岡田さんは、俳句歴すでに20年になるという。 星野さんに誘われてはじめたのがきっかけであるとのこと。 打ち合わせが終わると、仙川ははじめてであるというお二人、武者小路実篤公園へ向かわれたのだった。
by fragie777
| 2019-03-28 20:25
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