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2月28日(木) 旧暦1月24日
薔薇の芽。 今日は夕方にいただきものの「とろゝ巻昆布」を二つずつスタッフに配った。 「こういうのって、ちょっと小腹が空いた時にいいのよね、カロリーも低いしね」と言いながら。 北海道産である。 キャンディのように銀紙に巻いてあって、それをはがすと中から5㎜厚の4センチくらいの昆布がでてくる。それにとろろ昆布がまきつけてあるという、なかなかしゃれたお菓子(?)である。 ぎゅっと噛むと昆布の風味とやさしい甘さが口にひろがる。 「美味しい!」ってスタッフたちも喜んでいる。 お昼におやつコーナーを探索して、隅の方で小さくなっていたものを(おお、これは)とわたしが見つけ、絶対今日の夕方に食べようっと決めたものである。 おつな味の「とろゝ巻昆布」。 なんだかビールが欲しくなってきた。 2月24日発売の信濃毎日新聞を送ってもらった。「本のひととき」の「ヤングアダルト」欄に、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』の評が載っている。藪内亮輔さんの第1歌集『海蛇と珊瑚』(角川文化振興財団刊)と一緒にである。評者、翻訳家の金原瑞人氏。タイトルは「言葉の可能性 あざやか」。 抜粋して紹介したい。 昭和初期の約10年間に、俳句の新しい方向性を模索した文学運動が新興俳句だ。水原秋櫻子〈白樺を幽かに霧のゆく音か〉、橋本多佳子〈まつさをな魚の逃げゆく夜焚かな〉、西東三鬼〈水枕ガバリと寒い海がある〉、金子兜太〈蛾のまなこ赤光なれば海を恋う〉、東鷹女〈幻影はくだけよ雨の大カンナ〉。これらの人たちは教科書などにも載っていて、よく知られている。 この「新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか」(現代俳句協会青年部編、ふらんす堂 2592円)はその他、今はほとんど忘れられている人々もふくめ、この運動にかかわった44人を取り上げ、それぞれに数ページの解説と、代表作百句を添えている。 文学性を追求した俳句、リアリズム俳句、プロレタリア俳句、戦争俳句など、驚くほど多様な試みがなされたことがよくわかる。 波止影夫〈この海に死ねと海流とどまらず〉、鈴木六林男〈暗闇の目玉濡さず泳ぐなり〉、佐藤鬼房〈馬の目に雪ふり湾をひたぬらす〉、桂信子〈窓の雪女体にて湯をあふれしむ〉、仁智栄坊〈日本語がわつと裂け中隊は地に〉などなど。 俳句って、こんなに新しかったのか、そう感じる人も少なくないと思う。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装クータ-バインディング製本 194ページ 著者の関千賀子(せき・ちかこ)さんは、1948年愛媛県新居浜市生まれ、現在は千葉県船橋市在住。2001年に俳誌「岳」に入会し、2008年「岳」同人。現代俳句協会会員。本句集『翅音』は、第1句集であり、平成14年(2002)から平成29年(2017)の作品を収録、宮坂静生主宰が序文を、小林貴子編集長が栞を寄せている。 関千賀子は知性の力を藉(か)りながら情の生かし方が巧みである。 さくらの夜エンドロールの微熱かな テレビ画面や映画シーンの最後に字幕が出る。エンドロールと呼ばれ、出演者や制作スタッフ名などが静かに流れて消える。折からさくらが咲く夜の昂ぶりに今しがたまで見ていたドラマの余韻は「微熱」となって後を曳く。 千賀子俳句を読み感じる情感を喩えて表現するならば「エンドロールの微熱」のようだ。 関千賀子は一九四八年生まれ、今年古稀を迎えた。(略) 翅音して父の来てゐる辰巳かな 藁灰の丸く残れり巳正月 四国愛媛の新居浜生れ。実家は父が先立ち、律儀な母がいる。愛媛の東予では辰巳(たつみ)、中予では巳(み)午(うま)とか巳正月(みしょうがつ)と呼ばれる地貌季語がある。一二月の初めの辰あるいは巳の日に新仏のために墓参し、墓で餅を食べ、予め正月祭を行う。暖かい句だ。 鳥か虫か静かな翅音がして亡き父が来ている。 裂織(さきおり)の古き背当てや木の根明く 姥百合の雨を呼びたり奥会津 風土という、どこの地域でものっぺりと指す標準語ではなく、私は土地固有の歴史や風俗習慣など生活を見事に掬い上げる地貌という呼称を愛して使う。外国暮しから日本へ戻る。(略)「木の根明く」「姥百合」などは従来通用の季語より古くから日本列島にあった季節のことば。地貌季語と呼び、近年、光が当てられている。 水鳥の清冽さ。関千賀子には瀬戸内の水軍の末裔らしい逞しさがたしかにある。若き日に何回も挑戦したネパール行、一〇〇〇メートルの信濃の高原での薔薇作り。つねに温かく抱擁してくれる連合いがいて、生きる力を十分に出し切り愉しんで来た。 序文を読むと、関千賀子さんは、日本のみにとどまらず果敢に海外へでかけ、また外国の山登りもこなし、八ヶ岳斜面の山荘の薔薇園で薔薇をそだてるというなんとも旺盛な探求心と行動力のある方のようである。本句集も海外詠から始まっている。栞を寄せられた小林貴子さんによると、「南米、アフリカ、欧州、アジア、ヒマラヤと、その足跡はまさに全世界に及んでいる。」とありまさにハンパない。本句集の句集名ともなった一句〈翅音して父の来てゐる辰巳かな〉についても、わたしなどは、「あら、この句、季語ってなに? 『辰巳』かしら、でもいったいどういう意味?」などとわけがわかっていないのだが、序文によってそれが「地貌季語」というものであることを知った。 小林貴子さんの栞は、序文とは別の顔の関千賀子さんを語っていて面白い。タイトルは「ダニエル・デイ=ルイスの会 誕生以来」。とあり、どうやら、お二人はイギリスの俳優ダニエル・デイ・=ルイスがお好きであるらしい。「岳」内部における秘密結社「ダニエル・デイ= ルイスの会」は千賀子さんが会長で私が番頭を務め、暗躍している。とあり、すごく楽しそうである。 城門に爪弾くリュート蔦紅葉 この句のリュート弾きの青年の写真を千賀子さんから頂き、ずっと大切にしている。千賀子さんはバルト三国を旅行中にこの青年に会い、写真に収めたという。まさに映画の一場面のような、今すぐ絵画として留めておきたいような、完璧なワンショットである。静かに座する青年の内面の静謐さが手に取るように伝わり、この青年はそれ以来、私の心の内を去らない。 ダニエル・デイ= ルイス内なる薄氷 貴子 拙句で恐縮だが、ダニエル・デイ= ルイスも、城門にリュートを爪弾く青年も、千賀子さんも、共通するのは胸の内に薄氷をひそませているということではないだろうか。薄いのだが溶けてはいない。氷だが、冬ではなく春である。鋭いと同時にキラメク。やっかいだが、これこそが私だと言いたい胸中の一処。「ダニエル・デイ= ルイスの会」は今後ともこの胸中の薄氷を大切に、明日も俳句を紡いでゆきたい。 「胸中の薄氷」。なんだかゾクゾクしてきた、とってもいいじゃあないですか。 特別な親愛の思いを籠めて寄せられた小林貴子さんの栞文である。 本句集の担当は文己さん。 春宵や旅の荷物を解かずをり 呪ひを土に球根植ゑにけりペディキュアのくれなゐ夏の了りけり 洎夫藍やモディリアーニの傾ぐ首 夏羊歯や神話はここに生まれたる 山茶花や父はしづかに壊れをり ペリカンの嘴差し交す冬日向 動かねば崩れる象や花の雲 水のいろ風のいろなり糸蜻蛉 さくらの夜エンドロールの微熱かな 春宵や旅の荷物を解かずをり 関千賀子さんのことだから、きっと海外から帰ってきたときのことだろう。あるいはネパールに行って「林檎栽培」に尽力されてきたときのことか。序文によると、かのよく知られた山岳家田部井淳子さんの大学の後輩にあたられる関さんは、田部井さんが主宰していた「日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト」に参加しておられたということ。そんな単なる観光旅行とはちがう旅の荷物である。やや気合いの入った旅から帰ってホッとしている。春宵のけだるさに身をまかしている著者の姿が彷彿としてくる一句である。荷物のそばに身体をよせている女性の艶めかしい姿も見えてくるような一句だ。 ペディキュアのくれなゐ夏の了りけり マニキュアでなくて、ペディキュアなのだ。マニキュアは一年中つけている人はいるだろうが、ペディキュアがもっとも輝かしく見えるのは素足となる夏の季節だ。関千賀子さんは、ペディキュアもなさるお洒落な方なのね。(わたしはマニキュアもあまりしないし、ペディキュアは一度もしたことがない。嫌いとかでは全然なくて、そこまで思いが至らないのである。美しいマニキュアの指も好きだし、ペディキュアはその人のゆとりを感じさせていいなあって思う)この句、「ペディキュアのくれなゐ」とあり、そして「夏の了りけり」なのだ。この句を読んだとき、どうして「夏の来たりけり」じゃないんだろうって思った。そして「夏の来たりけり」だと当たり前か、とも思い、そうだとすると若いネエチャンが真っ赤に足の爪をさせて夏にいどんでやろうじゃないのっていう、なんという若さだけが前面に押しだれてくるような、ってふっと思ったのだ。夏を経てやや疲れた足の爪、ペディキュアの赤だけが目を突き刺してくる。ああ、夏も終わりなのだ、という大人の女性の感慨がみえてくるのよ、そうだから「夏の了りけり」の方がよっぽど奥行きがある。足の爪をみつめながらため息などをついているやや疲れた女性像なんて女のわたしでもぐっと来る。いっぽうで〈カヤックの白髪に夏来たりけり〉という句が後半にあって、こちらは「夏来たる」で気持ちのよい句だ。こちらは白に夏が来る。しかも「白髪」、若者でないらしいところがまたそれも渋く爽やかだ。 縁あって、八ヶ岳山麓の家に通いはじめて四半世紀になります。山歩きと庭造りをする中、十六年前、富士見高原で「岳」の「すずらん句会」を見学させていただいたのが俳句との出会いです。十数名の小さな温もりのある会が私の俳句の出発点であり、八ヶ岳の豊かな自然や生活を詠まれる句がとても新鮮で力強さを感じました。 その後、江東区芭蕉記念館での関東支部句会に参加し、良き先輩方や多くの句友の皆様に出会えたことも倖せでした。 まだ十六年の短い俳句人生ですが、このような出会いの中で掛け替えのない時を過ごせたことを本当に有り難く思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ほかに、 胡桃落つ木曜だけの診療所 河骨の花や国境暮れがたし 鳥かごの小さき自由花ミモザ 冬深むエジプト文字に鳥多し 煮凝や火の色知らず子の育つ 春惜しむ銀の手回しオルゴール 涅槃図の象の口より雲生まる ちちろ虫父の手紙を読み返す 邯鄲や父の図入りの農日誌 雛まつり絵巻の牛車雲を曳き 垂直に魚の跳ねる晩夏かな 本句集の装幀は、君嶋真理子さん。 とても美しい一冊となった。 カバーに押されたパール箔が印象的である。 差し色の緑が爽やかである。 カバーをとった表紙。 扉。 栞はおなじ色調に。 クーターバインディング製本である。クーターは明るい緑。 古稀はいまだ青春。さらに慈愛に満ちた日々を続けられんことを願っている。 宮坂静生主宰の序文のことばである。 熊笹に流れる霧の音ならむ 本句集のなかにあってはあまりにもさりげなくて地味な一句かもしれないが、この句につよく心惹かれた。霧の音を聞いたのである。ひじょうにかそけき音だったと思う。作者は断定はしていないが。いかにも音を感知しやすそうな(と私は思う)熊笹である。そこを霧が流れていく。絶対音がしたのだ。視覚から聴覚へとふいに転換させてみせる一句。「音」でわたしはこの一句に釘付けとなった。 今日はお二人のお客さまがおみえになった。 「鷹」に所属する俳人の辻内京子さんと、成瀬真紀子さん。 おふたりとも句集上梓のご予定があって、その打ち合わせにおみえになられたのだった。 辻内京子さんは、第2句集となる。 2008年に上梓された第1句集『蝶生る』では、俳人協会新人賞を受賞された。 11年後の第2句集である。 句稿はすでにいただいている。 句集名を「引き潮」とされていたが、それを今日変更された。 新しい句集名は、内緒にしておこう。 出来上がりを楽しみにしていただきたい。 瀬戸松子さんは、はじめての句集となる。 俳句をはじめられて20年近くになるという。 辻内さんも瀬戸さんも小田原の句会でともにはじめられたということだ。 いまは軽舟主宰に選句をしてもらっている最中であるということ。 句集名は「梨の花」と考えておられたのだが、やはりもう一度考え直したいということ。 「実は『梨の花』の句が、角川さんの歳時記の例句にとられたのです。それで記念にと思ったのですが。」 「まあ、どんな句なのですか」 「一村の尽きて道あり梨の花 です」 「ああ、いい句ですねえ」とわたし。 「しかし、梨の花って、句集名あるかもしれませんね」と申し上げると、「そうかもしれません」と。 そんなやりとりを楽しくしながら打ち合わせはすすんで行ったのだった。 瀬戸松子さん(左)と辻内京子さん。 辻内さんは、このふらんす堂にいらして下さったのは2度目。 「今日も道にまよってしまいました。前回来たときには30分くらい迷ったので今回こそはって思ったのですが、、」 「あまり迷う人はいないんですけど。どちらに行かれたのですか。」と笑いながら伺うと、どうやら商店街を反対方向に行ってしまったらしい。 「方向音痴なんです」とにっこり美しく微笑んだ辻内京子さんだった。
by fragie777
| 2019-02-28 20:44
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Comments(2)
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