ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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生と死のイメージが、半睡で背を丸めたわたしの上を昼と夜のように流れ過ぎた。

2月27日(水)  旧暦1月23日


生と死のイメージが、半睡で背を丸めたわたしの上を昼と夜のように流れ過ぎた。_f0071480_16585343.jpg

谿の梅。

二月は早い。
もう明日でおしまい。

平成の時代もいよいよカウントダウンにはいりつつある。

来たるべき時代はいったいどんな時代になっていくのか。
今朝、わたしは猫のトイレを掃除しながらふっとそんなことを思ったのだ。






新刊紹介をしたい。


田桐美流句集『散布』(ばらふ)。



生と死のイメージが、半睡で背を丸めたわたしの上を昼と夜のように流れ過ぎた。_f0071480_16591101.jpg
四六判変型フランス装 136頁 一句組

著者の田桐美流(たぎり・みりゅう)さんは、フランス文学者である。女子美大で教えておられるがこの3月に退職をされるのである。その「卒業」記念として、「あとがき」によれば、「いわば自主的な卒業制作である。」ということで、本句集『散斑』を上梓された。田桐美流さんは、1953年、東京生まれ、現在は東京・東村山市にお住まいである。俳誌「玉藻」の同人、本句集には「玉藻」主宰の星野高士氏が序文をよせておられる。序文によれば、通常の句集上梓には時すこし早しの感がないわけではないがと記しながらも、「卒業記念」としての句集上梓という著者の気持ちを大切に星野高士主宰はあたたかな序文を寄せられている。

こんなに始めてから早く句集を出す方は殆ど居ないがその時季とその句の熟成さを感じとられていたのであろう。
それは作者が一番よく知っていたのであって句集に早いも遅いもないとつくづくと感心した。
女子美術大学でフランス語の先生と聞いていたが言葉に対する感受性はこの俳句型式によって面白く表に出ているのではないか。
 
 囀のあとにふるへる一枝かな
 星空に吊橋沈む登山小屋
 濡れ縁の高き離れや避暑の宿
 放課後の校舎がらんと涅槃西風
 厚揚げが自慢の女将桃青忌
 清滝の駅夏空へ抜けにけり
 年を経て雛にいやます命かな
 飯だけを飯だけで食ふ今年米
 色褪せし蔵書の背中秋暑し

私も楽しんでいるが御一緒している時の美流さんもいろんなことを乗り越えて俳句と共に謳歌されておられると思うと更なる作品の飛躍にもなるであろう。(略)
全体で百句であるがどれも捨て難い光りをもった作品ばかりで一気に読めたのも有難かった。
早くも次の美流さんの世界を垣間見た気がするが、第二第三とこの速度で句集を出せる実力者であることは間違いないと確信した。

本句集は四季別に編集されているが、その季節と季節の間に「三つの項目」が置かれている。その「項目」は、著者の田桐さんにとっては、大切な思いにつながる特別な項目として配されたのである。「子供の領分」「Dark Fantasy」「命」。このことについて、田桐さんは「あとがき」で丁寧に触れておられる。

フランス語でミリュウというと「真ん中」という意味になります。句会の上の方などとんでもない。しかしいつもいちばん下というのも淋しい。句会の真ん中あたりを目標にさせていただきたいので、「みりゅう」と名乗ってもいいでしょうか。
先生はにこやかにうなずいてくださった。
先生の寛容を物語る、命名の由来となったこの傾向の句もここにとどめたかった。「Dark Fantasy」としてまとめたのがそれである。しかしこの十句を、さて、句集のどこにどう配すればよいか。
この思案から句集全体の体裁がおのずと決まった。新年・春に始まる四部の間に、小主題を持つ三つの間奏を挟む。全百句。ちなみに残りふたつの小主題にも、すこし話しにくい動機がある。
二〇一七年一月に妻が急死。身辺の一切をひとりですることにはすぐに慣れて、その面で心がささくれることはなかったが、妻の不在に慣れることが出来ない。
峠は晩秋になってからだった。早朝に目覚めると、動揺が起こる。すがる気持ちで血縁の小さな姿を思い、また、思い出した。生きなければ。そう言葉を嚙みしめ、命ということをぼんやり考えた。生と死のイメージが、半睡で背を丸めたわたしの上を昼と夜のように流れ過ぎた。「子供の領分」と「命」はその所産である。


 秋の日や形見の櫛の散斑(ばらふ)にも

句集名となった一句である。「散斑」とはちょっと聞き慣れない言葉なので、辞書をひいてみた。
「タイマイの甲(べっこう)に黒いまだらの有るもの」と新明解にある。「タイマイ」とは海亀のこと。
鼈甲の櫛などにあるあの斑点のことだろう。
この句の「形見の櫛」とは、亡くなられた奥さまの櫛のことだ。もちろん。
1頁一句というかたちで、スマートにして瀟洒な句集ではあるが、田桐美流さんの祈りにも似た思いが凝縮している一冊なのである。

本句集の担当は文己さん。

 春展を出づ掌に軽き雨
 立子忌の空へ尾を振る小さきもの
 雛調度繕ふ妻の幼顔
 灼岩や小さき手の跡薄れゆく
 割箸を割りそこなうて蕪汁


 春展を出づ掌に軽き雨

この一句、わたしも好きである。春の雨のあかるさが見えてくる。「重たい雨」とか「雨が重たい」という言葉はよく聞くが、「雨が軽い」とか「軽い雨」ってあまり言わないように思う。もし言い得るとしたら、それは「春の雨」に限ったこと。濡れていくことも厭わないような優しい雨に限るのである。掌を打った雨、それを軽いと捉えたことで春をたのしむ著者の心も見えてくるようだ。

 立子忌の空へ尾を振る小さきもの

この句、星野高士主宰も序文で紹介していたが、わたしも大好きな一句である。「蝌蚪の鼻」とか「緋目高の目」とか小さなものに心をとめてそれを巧みに詠んだ星野立子の忌日にふさわしい一句であると思う。「尾を振る小さきもの」で、立子が詠んだあれこれの小さな命が見えてくる。
生きものたちの「立子讃」である。

 
ほかに、

 寒ければ鬼九つで振返る
 老桜の根のなまぐさき切通
 てきぱきと死す姨捨に小鳥来る
 木槿垣越しに農夫の野球帽
 マフラーを髪ごと巻いて二番線



本句集の装幀は、藤田千鶴さん。
田桐さんの女子美の教え子であり、まだ学生であるが、テキスタイル作家として仕事をしておられる女性だ。



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見返しは淡いピンク。
扉の前に遊び紙をはさんだ。


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この白の和紙の薄紙をめくるとすっきりとした扉が現れる。


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一句組。

さらに素敵なのは、各賞のとびらにカットを配したこと。


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こんな風に。

すみずみまで著者の思いが行き渡った句集となった。



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句集上梓の喜びは大きい。一段落ついたという思いが打ち重なる波のように寄せてくる。
いま、わたしは不思議に穏やかな心境でこの一文を記した。
米でも研ぐか。次になすべきことが、すっと頭に浮かぶ。


「あとがき」の言葉である。

「あとがき」を通して、著者の田桐美流さんがいかに俳句とその仲間によって豊かな時間を生きておられるか、わたしたちは知るところとなるのである。


 裏窓を細く開けおく冬の蠅

好きな一句である。「命」の項目の最後の一句である。説明の必要がない景だ。裏窓をなぜ細く開けておくのか。。蝿を逃がすためか。しかし、蝿はきっと逃げないと思う。逃げる力なんてないかもしれないし、寒々とした北風に飛び立とうとも思わないだろう。しかし裏窓を細く開けておくことによって、死にゆく蝿にとってそこに一縷の希望があるように思えるのである。締め切ってあったら絶望的だ。寒くてもそこには自由な世界がある。それが見えるだけでも蝿は倖せなのかもしれない。などと書いていたら、わたしがこの蝿になっていくように思えたきた。「窓は開けておいて欲しい!!お願いだ」










お昼にお客さまが二人いらっしゃった。

俳人の山崎祐子さんと、富山に住んでおられるお義姉さまの成瀬真紀子さん。
成瀬真紀子さんも、俳誌「りいの」に所属しておられる俳人である。

今日は、おふたりのお義母さまの句集の相談にいらしたのである。
お義母さまの今越みち子さんは、澤木欣一主宰「風」にかつて所属し、今日まで俳句を作り続けて来られた方である。
お嫁さんの山崎祐子さんを俳句に誘われた方でもある。
お二人の強いおすすめもあって、この度第1句集を上梓されることを決心された。

「本当は義母も、一緒に仙川に来たかったんですけど、やはり道中を思って止めました」と成瀬真紀子さん。

今越みち子さんは、今年で90歳になられるのだ。
とてもお元気であるということ。

目下句稿の整理中で、3月半ばには入稿されるとのことで、今日は装幀や造本などのご相談に見えられたのである。



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お義母さまのために、忙しい時間をぬってご来社くださった成瀬真紀子さん(左)と山崎祐子さん。


山崎祐子さんは、民俗学の学者さんで、仙川にある白百合女子大にも毎週教えに来られている。お話を伺えば、とてつもなく忙しいそうである。
「民俗学という学問は、わたしたちの年代の忙しさが一番ピークなんです」と言ってにっこりされた。

ご実家が福島のいわき市にあり、「復興いわき」の実行委員長として俳人のお仲間達ととり組んでおられるのだ。



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今年も「海の俳句全国大会」が、7月15日に開催される予定である。












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by fragie777 | 2019-02-27 19:29 | Comments(0)


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