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2月25日(月) 北野梅花祭 旧暦1月21日
今朝の梅。 ご近所の畑に咲いていた。 梅林の梅はそれはそれできれいだが、こんな風に畑の一角に咲いている梅もいい。 やわらかな白色の白梅。この梅の色ちょっと覚えておいてくださいな。 夕方、突然スタッフのPさんが叫んだ。 「ああ、ラーメン食べたい。しばた(ご近所の有名ラーメン店)やってるかなあ、しばたのラーメンが無性に食べたい!」と言って調べたところ、残念ながら今日はお休みだった。 そう、ラーメンってあるときふっとたまらなく食べたくなる時がある。 そう、そう仙川にあるやはり人気ラーメン店「ラーメン二郎」がこのところお休みしている。 いつも店の前に若い男子が列をなしている人気店であるが。。 今日の讀賣新聞の「枝折」に、片山由美子著『鷹羽狩行の百句』が紹介されている。 海外詠、リフレイン、対句などの特徴をとらえて100句を紹介する。狩行と師の山口誓子の両作品について、時代背景を踏まえた解説も掲載。 今日の毎日新聞の酒井佐忠さんによる「詩歌の森へ」は岸本尚毅著『山口青邨の百句』についてである。タイトルは「山口青邨の文体論」。 抜粋して紹介したい。 (略)岸本は、青邨の「文体の多様さと自在さ」に注目し、百句解説に加え文体論として青邨像を明らかにした。 〈みちのくの町はいぶせき氷柱かな〉〈初富士のかなしきまでに遠きかな〉。代表作はいずれもオーソドックスな「かな」で止める形式。「かな」の前は「氷柱」や「遠き」のように名詞か連体形が多い。それが詠嘆を強調する。〈泣く時は泣くべし萩が咲けば秋〉など名詞そのもので止めたものも多い。「敗戦の日の率直な悲しみ」と岸本はいう。かと思うと〈秋風や人の命のことをふと〉など、独特な副詞止めが自在さにつながっている。 そのほか、現代俳人では比較的少ない「に」や「も」などの助詞で止めて言いさす場合もある。この文体の自在さこそが「青邨俳句」の大きな特色と気鋭の俳人岸本は指摘する。(略) この記事をよまれた深見けん二氏よりお電話をいただいた。 「いやあ、尚毅さん、さすがですね。わたしなんかこういうところに目をとめてなかったなあ」とおっしゃる。 青邨は深見先生の師である。 「深見先生や斎藤夏風先生が百句について書かれたとしたら、またそれはもう少し違ったものになっていたかもしれませんね」 「ううん、そうですね。もう少し人間青邨にふれるということもあったかもしれないし、しかし、尚毅さんだからこそ書き得た青邨論です」ときっぱりとおっしゃって深見先生は電話をお切りになったのだった。 この本をきっかけとして山口青邨の俳句がもっと読まれていくことをわたしは願っているのである。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 188頁 著者は董振華(とう・しんか)さん。中国北京出身。平成8年(1996)に慶應大学に留学しているときに金子兜太に師事し俳句を学びはじめる。平成10年(1998)「海程」同人。「海程」終刊後、「海原」同人。日本中国文化交流協会会員、現代俳句協会会員、中日詩歌比較研究会会員。句集に『揺籃』『年軽的足跡』『出雲駅帖』など。そのほか随筆集や訳書など。また映画の脚本や漫画なども多数訳されている。本句集は平成30年(2018.10.10)に一度中国にて刊行されたものをすこし手を加えて刊行し直したものである。題字と序文(「序に代えて」)は金子兜太氏によるものである。 中国人にして俳句に多大の興味をもち果敢に俳句を作られてきた董さんについては、金子兜太氏の序文を読むのがいちばんよく分かるのでそれをできるだけ紹介したい。 董振華の句集はこれで四冊目で、第一句集は慶應大学に留学中、わたしと一緒に俳句をつくっていた。二十年前のことになる。むろん日本語で書く俳句で、漢俳ではない。そのころ、いっしょに俳句をつくっていて、感心したのは、日本語の語感をきちんと受け取る感性の宜しさ。複雑な内容でも五、七、五音(字)に巧みに納めて書いていた。そのため、わたしの主宰俳句誌「海程」に投句するようになるとすぐ、トップクラスの人たちに伍して、少しも遜色のない俳句作者になってしまった。帰国の時にまとめた句集(董振華の第一句集)も、大変好評だった。 第2句集は、「留学が終わって帰国後、間もない時期のもの」。第3句集は、「は国際交流員として、島根県庁に在任し、県や県内の自治体、商工団体、企業が中国との経済交流をすすめてゆくための、さまざまな支援活動を一年間つづけた、その生活の中から生まれたもの。」であると書かれている。そしてこの第4句集については、 早稲田大学で修士課程、東京農業大学で博士課程を終え、それから中国の職場を離れ、独立して仕事をしながら、その日常の生活の中から生まれたもの。いわば波浪起伏の活動を土台とした所産なのである。 董振華の作品は土地土地の風物を題材として取り入れ、そこで感応し思惟したことを書き込んでゆく。若い感性は、活気とともに多感。旅愁にとらわれることも多く、それらを逆らわず表現している。 そして、わたしの好きな句としていくつかの句を挙げている。 春暁の火車洛陽を響かせり 微夢半醒の華北平原火車通過 春耕や郷思の影に月の光(かげ) 葉桜となりなお急ぎ足となり 皆既日蝕から日常へ黙契とは 万里の長城でんでん虫振り向いた 仮設住宅の放送聞こゆカナカナカナ 盆の月峠越えれば寝るとする 明月を独り占めして対飲す 朝日煙り夕日煙らせ秋分日誌 初冬の独り居という一行詩 如月の月影少年の猫背来る なおこの日本語で書かれた句集にはすべて中国語の訳が付されている。兜太氏の序文も董振華さんが中国語で訳している。 こんな風に。 本文もまたそうである。 董振華さんの「あとがき」を紹介したい。 思えば、平成五年に金子兜太先生ご夫妻の率いた俳人代表団を初めて北京でお迎えした時から、四半世紀もの歳月が流れゆきました。最初お目にかかった時は俳句を勉強することになろうとは、全然考えられませんでした。しかし、それから三年後の平成八年に私が慶應義塾大学に留学した際、金子兜太先生から俳句の手ほどきを受けるようになって以来、ずっと先生ご夫妻にお世話になっており、孫のように可愛がって頂きました。当時、兜太先生がお忙しい時には、いつも奥様の皆子先生に句を見てもらい、私も俳句を作るのに夢中でした。 本句集には、金子兜太氏や皆子夫人との写真の口絵が3葉収録されているが、そのうちのこれは、金子ご夫妻と若い頃の董振華さん。 その後、皆子夫人がご病気をされ、董さんも北京に帰ることになる。 それまでのように、先生ご夫妻から直接に教えて頂くことは難しくなりました。当時、北京から電話をするたびに、ご子息である真土さんの奥様の知佳子さんに皆子先生のご体調の様子だけを伺い、俳句のことに自ら一切触れることはありませんでしたが、兜太先生が電話にお出になる時はいつも「董君、俳句も頑張ってますか」と尋ねて下さり、「はい、頑張っています」と答えて、先生に安心してもらっていました。しかしながら、北京で独り、しかも日本語で俳句を作るのは、中国人の私にとってどれだけ難しいことであるかを思い知らされました。 その間、何回も俳句を作ることを止めようとまで思いましたが、何か月も欠稿すると、兜太先生がわざわざ日本から電話をかけてきて、心配してくださいました。平成十年になると皆子先生の病状も一旦快方に向かい、私が仕事で日本へ行くと必ずご夫妻にお目に掛かり、そのつど私の俳句を見てくださっていました。しかし、その後しばらく闘病生活は続けられ、平成十八年に皆子先生はとうとう病魔に命を奪われました。 「海程」誌で兜太先生の句「病いに耐えて妻の眼澄みて蔓うめもどき」「合歓の花君と別れてうろつくよ」などを読む度に、奥様に対する愛情とご夫妻の間の堅固たる絆を強く感じ、また皆子先生が自らの闘病生活を記録した句「腎摘出か朝日子の医師と思いぬ」「皆子頑張れ生きとし生けるものの春」などを読む度に、人間の意志の強さに心を打たれずにはいられませんでした。私が今日まで俳句を続けることができたのは先生ご夫妻から励ましを頂いたお陰でもあります。 董さんの「あとがき」には、金子兜太ご夫妻と董振華さんとのあたたかな交流が書かれている。ご夫妻にとても可愛がられた董さんなのである。 そして、第4句集のために、句集の題字と序文をいただくことができた董振華さんであったが、その時に中国にいるお母さまの病気が発覚して、句集を出せないままに時が過ぎていく。そして去年の2月に金子兜太氏逝去。その後中国人の友人たちによって編まれたのがこの第4句集『聊楽』である。 この句集をあらためてもう一度日本で出版し直したのが、本句集『聊楽』なのである。 「ふらんす堂さんで美しい本に仕上げて欲しい」と董振華さんはご来社のときにおっしゃったのだった。 そしてあらためて校正をし直し、間違いを指摘し、句を追加し、本句集の出来上がりとなったのである。 本句集は四季別で編集されている。 担当はPさん。 ダダダダと亘に亘る春の馬車 胃袋のようなる西湖の初春かな 乳呑児の声の細さよ春一番 初夏の感覚ここにも流派あるような 片足で立ちつづく鷺は修行者 月落ちて秋立つころのあくびかな 走る鳥も歩く鳥も冬天の気配 静寂に唯一のかたち飛雪かな 胃袋のようなる西湖の初春かな Pさんは行ったことがあるらしいが、わたしはまだ中国に行ったことがない。だから、もちろん「西湖」も知らない。インターネットで調べたところなんとも美しいところであるようだ。しかし、董さんは、その「西湖」を「胃袋のような」と詠む。なんでも呑み込んでしまう「西湖」なんだろうか。いつか中国を訪ねて「西湖」に行ってみたい。そこで、この一句を実感したいと思った。 如月の月影少年の猫背来る これは兜太さんが好きな句として選んでいたもの。わたしも好きである。まさに今は「如月」であるが、この「如月の月影」という措辞によってなにか美しくて鋭いものの気配を思う。そしてやって来たのは少年。ここまではまあ、よくわかるイメージ、しかし、「少年の猫背」と表現したことによってやや世界は異常な雰囲気をただよわせて、まるでアニメの世界のあやかしの出来事のようである。ちょっと背筋がぞっとするようなところがまさに好み。 万里の長城でんでん虫振り向いた これは分かりやすく面白い一句だ。万里の長城にも当然ながらでんでん虫はいるのだろう。人影を感じてでんでん虫は振り向いたのか。と言ったって、万里の長城にはたえずいろんな旅行者が訪れていて、人間がたえることはないだろう。しかし、この一句、万里の長城にはでんでん虫とわたししかいないようなある閑散とした風景がわたしには見えてくる。人が途切れて誰もいなくなった万里の長城の一角にふと目に留まったでんでん虫。そのでんでん虫も私の気配に驚いたかのように振り向いたのえある。「振り向いた」という口語的言いきりが一瞬を立ち上がらせた。 本句集には、「金子兜太・皆子御夫妻を悼む」と題して、あたらしく作った句を収録した。いくつか紹介したい。 月落ちて梅散るころの離別かな (兜太師を偲ぶ) 再会は黄泉の苔の青むころ ( 〃 ) 来たりてはまた去る花恋の月朦朧 (皆子夫人を悼む 『花恋』は夫人の句集名) 無言のままの祖母の居て夏菊(きく)咲きぬ 新しい句集を先生にお見せすることができなくて大変残念に思っております。拙い私ですが、これからも先生の遺志を受け継いで、引き続き五、七、五の韻律に乗せて、自分なりの世界を表現し、兜太先生と皆子先生に恩返しをしたいと考えております。 「あとがき」をふたたび紹介した。 本句集の装幀は和兎さん。 董さんの思いを聞きつつ、甘くならないような装幀を心掛けた。 梅がモチーフになっているが、なかなかハードな仕上がりになったのではないだろうか。 題字はツヤ消しの金箔で。 この写真ではわからないが、この梅にはブルーが隠れている。このブルーがなかなかいいのである。 表紙は今日の写真のような白梅の白。 箔押しはツヤ消し金。 見返しは、カバーのブルーの色をとって青。 扉。 カバーの折り返しに董振華さんの近影と略歴をいれた。 董振華との付き合いは長いが、おどろくほど早い時期に、日本語で俳句を書くようになり、しかもその語感が美しく、内容の豊かなことに感心してきた。天生の詩才に恵まれている証拠とも思うが、日本人のかなりの人に見受けられる修辞を必要以上に凝らして書く俳句より、はるかに平明で、魅力を覚える。中国人でなければ書けない俳句の新鮮さがある、といってもよい。 ふたたび序文のことばを紹介した。 異国の言葉の俳句を学び、格闘し、なおもより深く俳句を知ろうとしている董振華さんの句集が読まれることを願っている。 愛していると言わず死ぬなよと言う梅擬 この一句、いいな。梅擬(うめもどき)がいい。梅擬は秋の季語。赤い小さな実がことさら美しい。見つけるとシンと心に飛び込んでくる。
by fragie777
| 2019-02-25 19:46
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