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2月20日(水)土脉潤起(つちのしょううるおいおこる) 旧暦1月16日
何十年もつかっているステンレスのふた付き小鍋である。 ほかの料理を準備をしている内にぐつぐつとしてきたので火をとめた。 さあ、盛りつけようと二つお椀を用意して蓋をとろうとしたところ、蓋が開かない。 蓋と鍋の間に味噌汁がにじみ出て、真空状態になってしまったのだ。 もうどうやっても開かない。 水をかけたり、ゆすったり、赤い顔をして蓋をあの世に行けとばかり力任せにねじったら、あれまあ、把手がボキッと折れてしまった。 な、なんということ。 把手は折れたが、蓋はガンとして開かない。 結局、食することをあきらめたのだった。 数時間後、ためしに蓋にふれてみたらあっさりと開いた。 なんだ、開くじゃん。 今朝のわたしのお昼のお弁当は、味噌汁に玉子が一個入った、もういい加減玉子が硬くなったそれを持ってきたのだった。 今日はお客さまがひとり見えられた。 董振華(とう・しんか)さん。 ふらんす堂でおすすめしていた句集句集『聊楽』(りょうらく) が出来上がったばかりである。 今日は、ご丁寧に御礼にということでいらしてくださったのである。 この句集『聊楽』はまたあらためてこのブログで紹介したいと思うが、董振華さんは、金子兜太について俳句を学び、学生時代から兜太さんご夫妻に可愛がられた方だ。 日本の俳人と中国の漢詩人との友好のために通訳として尽力をされても来られた方だ。 この度の句集『聊楽』の出来上がりをとても喜んで下さった。 句集『聊楽』を手にした董振華さん。 「聊楽」の題字と序文は金子兜太による。 兜太先生のご生前に間に合わなかったのが惜しまれるが、本ができあがると同時に兜太先生の家に行ってその御霊前に『聊楽』を供えてこられたという。 「まだまだこれから俳句のことをいろいろと勉強したいし、中国の若い人たちにも俳句を知って欲しいと思う」と語る董振華さんだった。 突然の訃報のお知らせをいただいた。 俳人の江中真弓さんより、お電話をいただいて、俳人の九鬼あきゑさんが昨夜亡くなられたことを知る。 それはあまりにも突然のことですぐには信じられなかった。 伺えば、昨年は手術、闘病をされていたということで、昨年の暮れにはかなりお悪くなっていたということである。 「会えばとても元気に振る舞っていましたけれど、もう身体のあちこちに病巣は広がって、とても苦しかったんだと思います。」と江中さん。 「日頃とても仲よくしておりましたので、本当に辛いです。」と。 共に「寒雷」で加藤楸邨に学んだ俳句仲間である。 「わたしより一つ年下なので、なんとも悲しいです」とも。 明日がお通夜で明後日が告別式。(場所 浜松市 雄踏斎場) わたしは明日の夜にお通夜に伺うつもりである。 享年 76歳。 なんとも早い逝去である。 原田濱人、加藤楸邨、原田喬に師事。浜松を拠点に夫・原田喬よりゆずり受けた「椎」を主宰し、活発に俳句の活動と指導をされていたのである。 わたしは牧羊社時代に九鬼あきゑさんの第1句集『海月の海』を編集担当したときに始めてお会いした。 浜松から渋谷まで出て来られて、ああ、あの時は今井聖さんもご一緒だったかもしれない、いろいろとお話しをしたのだった。 加藤楸邨と原田喬をこころから尊敬し師事しておられる、ということが一語一語から伝わってきた。 教師をされていて、姿勢がよろしくハキハキとものをおっしゃる印象さわやかなお方だった。 その印象はいつお目にかかってもかわらなかった。 ふらんす堂を始めたときから、原田喬氏とともに応援をしていただき、ずいぶんとご本を作らせていただいた。 現代俳句文庫より句をすこし抄出して、九鬼あきゑさんを偲びたい。 春の鹿遠くを見つつ近づきぬ 盆過ぎてまつ青な虫歩みをり ゆるるもの持ちて海月に会ひにけり 低き音して棒稲架の解かれけり かたまつてひろがつてゆく墓参 おほむらさき眼前濡らし過ぎゆけり 九鬼一族冬の怒濤の村離れず 夏桑がしんと満州開拓史 螢袋のどの袋にも母のこゑ 七月の雨鬼房と聞いてゐる(楸邨葬儀場にて) 鶏頭を百本植ゑて人に会はず 白鳥に近づく己に近づくため 君ら皆なづなたんぽぽ卒業す 夕顔の花を数へにいくところ 我等集へばあめんぼうもゐるはゐるは ごつごつのほんたうの鬼柚子とゐる ぞくぞくと真赤なる蟹楸邨忌 巻末の解説に寄せた片山由美子さんの九鬼あきゑ論の一文を紹介しておきたい。タイトルは「信念の人」。 寒明の雨が濡らしぬ竹箒 どの雛もはるかなる眼を沖に向け ゆたかなる風の一日風知草 雛の句は、九鬼さんの作品の土台ともいえる海を詠んだ作品の一つである。海をモチーフとした作品が多いのは、九鬼水軍の裔という自覚とともに、浜松にあっていつも海を見て暮らしてきたからであろう。海は、打ち寄せる大波ともなるが、未知の世界へ続いている。たとえどんな大波であろうとも、海に向かって一歩も引かず、未来に視線を向ける、それが九鬼さんの俳句であり、生き方だと思う。 ご冥福をこころよりお祈り申しあげたい。 今日は夕方から日本記者クラブにおいてドキュメンタリー映画『天地悠々 兜太・俳句の一本道』完成発表記者会見と試写会があり、スタッフのPさんが赴いている。 さきほどPさんより、取材記事と写真が届いたので紹介したい。 映画上映前に、金子兜太と親交が深い作家の方々、監督の河邑厚徳さんを招いたトークショーが開かれました。 ●黒田杏子氏 今日は金子兜太さんの一周忌、あっというまだった。 私は師系も違うし弟子ではないですが、兜太さんの縁はたくさんあった。60年安保の時、樺美智子が死んだ時、私は大学生でとてもショックだったが、そのとき金子兜太という人が「デモ流れるデモ犠牲者を階に寝かせ」という句を詠んだ。この作品を見て私は俳句な力を感じたのを覚えています。 私は日経新聞の選者をしているが、人が死ぬとみんなその人の投句が来るんですね。でも2、3週間でたいてい終わっちゃう。ですが、兜太が死んでから兜太の句の投句がやまない。これはすごいことだと思います。 金子兜太は人が望んでもできない大往生をされた。 死は決定的な終わりだけれも、彼は極楽大往生し、最後に素晴らしい句を残されました。 「河より掛け声さすらいの終るその日」 他にも何句かありましたが、これは素晴らしい句を残していった。 亡くなって一周忌になりますが、金子兜太という人は、今、これから人生も思想もはっきりしてくるのではないかと思っています。 ●下重暁子氏 最後に兜太さんが詠まれた句の中の「春落日しかし日暮れを急がない」、私はこの句が大好きです。 「しかし」がすごい、とても俳句に入れられない言葉です。この句を見たときに、ああ悠々と生きられた方、最後まで生きるという覚悟が語られているなと思いました。 映画に「他界」という言葉がでてきます。 兜太さんは亡くなったというより、よその"界"に行ってしまった、そういう印象があります。 以前出版した『この一句:108人の俳人たち』という本の中で「金子兜太という俳人が出たということは事件であった」と書いたことがあります。金子兜太さんは事件を起こした犯人なんです。(笑) 兜太さんは詩人でした。作品に詩があるかどうか。 「おおかみに蛍が一つ付いていた」 詩というものが本当に分かっている人は滅多にいないけれど、その詩をよくよく理解していた素晴らしい人でした。 ●嵐山光三郎氏 人間として惹きつけられてしまう人だった。 俳句には辞世の句はないと思っている、なぜなら俳句というのは全てが辞世であるからです。 40年前に金子兜太を紹介されたのは楸邨からでした。一緒にいた安東次男も「兜太がいいよ」と。 芭蕉の最後の句の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」というのは最低の句だという話を安東次男さんと、金子さんとしました。芭蕉ともあろうものが、女々しい、と。その時、金子さんが俺が昨日読んだ句だよといって「おおかみに蛍が一つ付いていた」と書いてくれたのを思い出しました。 金子兜太という、人に句を投げつける、存在そのものとしてある、そして、事件です。 金子兜太という人は大きかった。その場にいる人を包み込むし、すべてを受け入れる人だった。 会うたびに楽しい思いをしました。 金子兜太の立禅をすることがありますが、私は「生きること・死ぬこと」を金子兜太に教えてもらえました。 ●河邑厚徳監督 他界された当日に、はじめての上映。 人の命は時空の中に生きていて、時空というのは「時間」と「時」でできていると思います。 時間は過去に薄れていくけど、時というのは永遠。時を思い出すというのとても自由なことだと思います。 皆さんの話を聞いても、金子兜太は別格ですね。 金子さんは過去になっていない、今生きている日本の前にいる人だと思います。特別な存在なんだと改めて思いました。 築地の朝日新聞で選句をしている時にインタビューをさせてもらいました。 「金子兜太さんの仕事は前衛なんですか??」と。伺ったら、「そんなチャチなもんじゃない、私はジャーナリストです」と仰った。ここが兜太というひとを取材する糸口だと私は思いました。 「社会」と「人間」を五七五で取り組むのだ、と。 社会とは現象ではなく、日本の国の行く末であり人々の自由、個性を尊重する社会なのか、ということを俳句を通して問うている人だと思いました。 私は「時」をつないでいくためには、時間と時間を橋渡しするためのリレーのバトンが必要だと思っています。それを映像記録として残したいと思っています。 兜太さんは、「死んでいった人たちのために私はいき続けなければならない」と仰っていました。 それは死んでいった人たちの思いを言葉にしていきたいということだと思っています。 他界されてもやはり「金子兜太」は生き続けていて、私たちに力を与え続けていると思っております。 いまもなお、愛されつづけている金子兜太さんである。
by fragie777
| 2019-02-20 19:24
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