ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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俳句が無ければさぞ辛かった……

2月19日(火) 雨水 旧小正月  旧暦1月15日


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武蔵野の耕を待つ土。


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その傍らに咲いていた犬ふぐり。



今日は忙しい日だった。
仕事の手を休めて午前と午後、二度ほど出かけたのであるが、二度ともわたしは降りるべき駅を通過して乗りすぎってしまったのだ。
どちらも路線検索をして時間どおりの電車に乗ったのに、途中でぼんやりして上の空になってしまって、気づいたときは行きすぎてしまったのだった。
どうしてそういうことになるのか、さっぱり分からないのである。
果たして誰かの陰謀なのか。。。。。








嬉しいお知らせがひとつ。

俳誌「鬣」第70号(2019年2月)を送っていただいた。


俳句が無ければさぞ辛かった……_f0071480_17545946.jpg



そこに第17回鬣TATEGAMI俳句賞の発表があった。

受賞は、

◯福田甲子雄全句集刊行委員会(代表・瀧澤和治)
 『福田甲子雄全句集』(ふらんす堂)に対して

◯四ッ谷龍氏
 『田中裕明の思い出』(ふらんす堂)に対して

鬣の会編集委員会の林桂さんの文章を抜粋して紹介したい。

深代響は、『福田甲子雄全句集』について、次のように指摘する。「全句集として異例ではあるが見事な編集である」「この編集によって福田甲子雄という俳人の姿がほぼ総合的に浮かび上がる。それは同時に、昭和三十年代から平成の半ばに至る俳句史の重要な側面を具体的に明らかにすることでもある」(本号書評)(略)もちろん、俳句史を照らす一冊になるかどうかは、読者である私達の今後の問題でもある。編者にバトンを渡されていることを自覚する必要があろう。
林桂は、四ッ谷龍の『田中裕明の思い出』について、「裕明大好き人間の四ッ谷が『私は俳人であるから、裕明の句集を読むに当たっても、感傷に流されることなく冷静に俳句そのものを味わわなければならない』と努めて書いたのが本書である。四ッ谷の距離感の揺れと葛藤が不安を誘うと言えば言えるが、それ以上に魅力的でもある(本号書評)と書く。その意味でスリリングな面白さがあるが、それ以上に裕明の俳句史的な高揚へ向けての視点があることを評価するべきだろう。(略)本書は、その裕明の俳句史的評価の礎となる貴重な仕事となるものと思われる。
(略)
「鬣TATEGAMI俳句賞」は、発表とそれに続く対象者の論考の掲載のみという、俳壇でも最も小さくシンプルな賞として、ここに十七回を迎え、俳壇に認知されてきた。しかし、小さいということは私たちにとって、選出にあたってどのような障害物をももたないということであり、この上なく大切で大きな意味を持つものと考え、それを大切にしている。(略)



次号において、さらにこの賞の顕彰の特集がされるという。
楽しみである。
また本号には深代響さんによる『福田甲子雄全句集』の書評と、林桂さんによる『田中裕明の思い出』の書評も収録されている。

福田甲子男全句集刊行委員の保坂敏子さま、滝沢和治さま、齋藤史子さま、おめでとうございます。

また、

四ッ谷龍さま おめでとうございます。

心より御祝いを申しあげます。179.png179.png










新刊紹介をしたい。


髙橋白崔句集『無役』(むやく)。


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四六判変型ペーパーバックスタイル。 168頁


てのひらに乗る小さな本である。そのシンプルさと軽さがまず印象的だ。
著者の髙橋白崔(たかはし・はくさい)さんは、1951年宮城県仙台市生まれ、現在神奈川県川崎市在住。1994年職場句会「二火」を友人とたちあげる。1996年「木語」入会、山田みづえに師事、「木語」終刊まで在籍。現在は「椋」(石田郷子代表)会員。俳人協会会員。本句集は、第1句集『清拭』(2008年刊)につぐ第2句集となる。

句集『清拭』の序文で石田郷子代表は、
どんな世の中が来ても、私達は俳句の目を通して、日常の中に季節を見付けられる。季節の中に自分を置くことが出来る。季節の中に私達の生がある。
と書いた。その言葉は本第2句集においてより以上に実感させられるものとなった。

 寒の底とはかくも晴れゐたるもの

季節と我との間に夾雑物がまったくない。作者はただ季題と向き合っているのみである。
寒晴れの只中に人間がいて、その空をみあげている景が浮かんでくる一方、われもまたその厳しい寒さの底にいて青空を仰ぎ見ている、季語を体感するような気持ちにさせられるのだ。本句集は、季題にのびやかに向き合う作者の姿を彷彿とさせる句集だ。

略歴によれば、髙橋白崔さんは、大手音響メーカーに勤めておられたという。きっと重職をこなしておられたにちがいない。
句集名は「無役(むやく)」。

題は、永年勤めた会社の役職を解かれた折に浮んだ一句から採りました。

とある。そして、

それにつけても俳句が無ければさぞ辛い定年だっただろうと今更ながら思います。

と書かれている。

定年をむかえ、役職からも解き放たれ肩書きナシのひとりになって、さらにリセットして森羅万象に向き合うことになったのだ。
その心機一転の心の余白が、あらたに季節を呼び込んでそれが俳句となっていった、季節(季題)とのうつくしい親和が本句集にはある。
自身のことは多く語らず、季語と人間(われ)との関係が詠まれているのだ。

 初蝶にすこし蹤かるる嬉しさよ
 箱庭の空に現はる犬のかほ
 押せば押し返す風船葛かな
 初蛙わが掌を離れざる
 降つてきて湧いてきて水温みけり
 深々と礼なす人よ薔薇の門
 根こそぎのものを給はる豊の秋
 わが息の濃くなつてゆく薔薇の空
 止まらせて指細くなる蛍かな
 銭葵咲いて淋しき大人かな
 文化の日歯の裏側をよく磨き
 もの書くはひと思ふことヒヤシンス
 
 
 押せば押し返す風船葛かな

ここにあるのは、風船葛にむきあう我しかいない。しかも、風船葛と我は対等である。風船葛をみると誰だってぐうっと押してみたくなる。白崔さんも押したのだ。すると敵も然るもの(?)、押し返してきたのである。空気をはらんでふくらんでいるとみえる風船葛の有り様がよく見えてくる一句だ。しかも語られていることはシンプルで、季題についての説得力がある。風船葛をあなどってはいけないのである。

 初蛙わが掌を離れざる

この句も好きな一句だ。冬眠から目覚めてまだ心許ない初蛙である。その蛙を手のひらにのせてみた。逃げないのである。可憐ささえのこる蛙を愛おしく見ているわたし(作者)がいる。その手のひらはかつて仕事や生活のためにバリバリ働いてきた手である。いまは、働く手から解放されて蛙を乗せている。離れない蛙をたのしむ心の余裕は、「無役」であるからこその自由さだ。しかし「離れざる」という措辞によってわたしは一人の男のかすかなこころの屈折を感じてしまうのだが、これは読み込みがすぎるのだろうか。。


ほかに、

 川幅はひかりの幅や桃の花
 いななきや日のゆきわたる葱の列
 緑さす祠のきはに津波痕  (七ヶ浜)
 銀幕を人の名流れゆく夜長
 落葉踏むもつとも深きところ踏む
 建てばすぐ住んでをるなり春灯
 はつなつのするするすると鉋屑
 銭葵咲いて淋しき大人かな
 蟇跳ぶとき皮膚の遅れたる
 日面も日陰もあらず蟻の列
 もの書くはひと思ふことヒヤシンス

 
 はつなつのするするすると鉋屑

面白い一句だ。省略が効いている。大工仕事をしているのか、やや汗ばみながら人間が鉋をつかっている、とうぜん鉋屑が出る、それをはつなつが生みだしていくような錯覚を与えるところが面白い。よく動く鉋と鉋屑にのみ焦点を合わせた。木屑の香りとはつなつの季節がよく合う。



本句集の装幀は和兎さん。

髙橋白崔さんのご希望は、小さな本であること、造本はできるだけシンプルに、そして1枚の絵を使って欲しいということだった。
その絵は、髙橋さんの家に飾られていたもので、ご友人の息子石井岳さんが描かれたものであるということ。



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文庫本くらいの大きさである。


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 而して無役の夏に對ひけり


本句集のタイトルとなった一句である。

手にしたとき、とても爽やかな印象の一冊である。



 影ひとつ影を這ひ出て冬の蝿

好きな一句である。
「這ひ出て」という措辞に「冬の蝿」らしさがある。すでに力尽きている状態であるのかもしれないが、あたたかな日差しをもとめてノロノロと這い出てきた一匹の蝿。「影ひとつ影を這ひ出て」という表現が巧みであり、蝿はいっそうあわれである。









ブログは書けたが、これからまだ大切なメールを書かなければならない。

あと、少し、頑張ろう。








 
 
 
 
 

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by fragie777 | 2019-02-19 20:17 | Comments(0)


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