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1月30日(水) 雞始乳(にわとりはじめてとやにつく) 旧暦1月31日
冬日が当たっている枯烏瓜。 とうとう、バランスボールは我々を制圧してしまった! 今日のふらんす堂の午後は、スタッフ全員(パートさんを覗いて)はバランスボールに乗って、プカリプカリと仕事をしたのである。 これはわたしのヤツ。 スタッフの緑さんのも同じブルー。 文己さんは、夕方近くになると、 「もう、お腹の筋肉が痛くなってきました」という。ほかのスタッフも、そうらしい。 しかし、yamaokaは、全然どこも痛くならない。快適である。 「これはね、きっと日頃太極拳で鍛えているからよ」って私は自慢したのであるが、あながち間違いではないと思う。 わたしは、昨日午後バランスボールに乗っただけであるが、今朝起きると身体がとてもしなやかなのである。思うのだけど、私たちのように日々の仕事がデスクワークで運動をすることがない、そういう人間にとってこのボールは良いのかも知れない。 どう、 バランスボール、使ってみたくなったでしょ。 一つ購入してみようかなあって思っているあなた、高いのは買う必要なくってよ。 一個千円ので充分です。 お試しあれ。 昨日は、いま句集の制作をおすすめしている藤本夕衣さんが、装幀の打ち合わせにご友人で画家の伊藤香奈さんと一緒にご来社くださった。 今回の句集に、伊藤香奈さんが装画を寄せておられるのである。 装幀は和兎さん。 いろいろとじっくり検討されてお祖母さまで俳人の加藤喜代子さんにご相談すべくお持ち帰りになられた。加藤喜代子さんは、「青」「ゆう」にいらした方で、田中裕明さんのお弟子さんである。ふらんす堂からは、第1句集『聖木曜』と第2句集『霜天』を上梓しておられる。藤本夕衣さんは、加藤喜代子さんの強いおすすめがあって、学生時代に俳句をはじめられたのだ。田中裕明さんが指導される「ふらんす堂句会」に対中いずみさんたちと一緒に参加されていた。田中さんの指導を受けられたのは僅かな年月だったのだが、俳句を拝見するとまごうかたなき田中裕明の詩情の継承者のお一人であることを実感した。 藤本さんは、大学院の時に第1句集『風水』を10部限定で出版された。まったくの手作り本である。そう、田中裕明さんの第1句集『山信』のように。その『風水』を昨日は持参くださったのである。 わたしもはじめて手にする「風水」であり、もうこの時は田中裕明さんはこの世にいない。 「すこし汚れてしまってるんですけど」とおっしゃって夕衣さんが見せてくださった『風水』。 出づくりならではの味わいがある。 田中裕明さんと同じように、自身のためにのみ作ったという清潔な佇まいがある。 そしてたとえ10冊の刊行であっても、師・田中裕明と同じようにこの句集を第1句集とするという作品への矜持をわたしは感じたのだった。 「ゆう」の田中裕明さんの言葉を「序」としている。 第1句目におかれた 大学の眠れる本やほととぎす の句、これは夕衣さんによると、「はじめて裕明先生から特選をいただいた句なんです」ということ。 いますすめているのは、第2句集となる。 「ゆう」以後、俳誌「泉」「晨」で俳句を学びさらに力をつけられたのではないかと思う。 3月3日の刊行を目指してあともう少しである。 今日も装幀の打ち合わせで、歌人の山地映子さんがご来社くださった。 ブログをご覧になられていて、yamaokaが調子の悪いのを心配して下さって、胃薬を持ってきてくださった。有難いことである。 「胃ではなく、腸だったのですね」と山地さん。 「ありがとうございます。そうなのですが、もうおおかた良くなりました」とご親切な思いに感謝しながら、御礼を申し上げたのだった。 担当の文己さんとじっくりと打ち合わせをされて、「どれも気にいったのだけど、おすすめのにします」と言ってお帰りになられたのだった。 凍鶴を飼はば百年ともに寝て 福田鬼晶 句集『リュウグウノツカイ』(ふらんす堂 2018.11)所収 飼うのは鶴ではない。凍鶴である。だからこの鶴は飛ぶことはおろか、動くこともしなければ、頭は翼の中に隠されているから顔を見ることすらできない。ただただ一本足で身じろぎもせずに立っているのみである。餌も食べなさそうだ。そんな凍鶴を飼うとするなら、百年間、ともに寝続けることだけだという句。 つづきを読む。→「月曜日の一句」 作家の橋本治が亡くなった。 好きな作家と言ってもそんなにたくさんは読んでいないが、なんといってもデビュー作『桃尻娘』は大好きな一冊だった。 一度だけ、「ふらんす堂通信」の「一句の風景」に原稿をもらったことがある。 彼があげてきたのは、富澤赤黄男の一句だった。 鑑賞もすこぶる面白かった。 その一句のみを紹介したい。 瞳に古典紺々とふる牡丹雪 富澤赤黄男 彼がまだ学生だったころに、東大の駒場祭のポスターによせたキャッチコピーは有名である。 第19回駒場祭。11月23日、24日とある。 とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く ポスターは刺青をした男の後ろ姿が版画のように描かれている。 制作されたのが、1968年の秋、翌1969年の1月に「東大安田講堂 落城」という時代だった。 すでに半世紀も前のことである。 享年70歳。 まだまだ面白いことを書ける作家だったと思う。 すごく残念である。 心よりご冥福をお祈り申しあげたい。
by fragie777
| 2019-01-30 18:36
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