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1月24日(木) 初地蔵 旧暦12月19日
![]() 国立・谷保に咲いていた臘梅。 ひょんなことからある本を読み出した。 いままで決して手にすることのなかったジャンルの本である。しかも大冊。 460頁ちかくある。 なんの本かは、言わない。 で、読み始めた。 しょっぱなからわかんない字句が弾丸のように出てきて、辞書を手放せない。 辞書を引いたって、ウム、っていうことは、この解釈でこの文節をどう理解しろっていうんだ、という感じで、とてもとても前途多難である。 ときどきため息をついて厚さをたしかめたり、先の頁をぺらぺらとめくったりして、いる。 このまま読んでいく意味があるか。 そういう本に出会った場合。 いつくかの対処方があると思う。 ◯フン、役に立たない本よ、と捨てる、もしくはAmazonなどで売る。 ◯今はちょっとわかんないけど、積んでおくか。(きっと永久に積まれることになりそう) ◯いやいや、頑張って少しずつ頭から読んでいく。 いまのわたしの場合、このいずれも採用していない。 捨ても売りも積みもしない。 とりあえず読むことにした。 その種の用語がならび、78%は意味分からん。しかし、かろうじて用例によってわかるのである。 そして、一行くらい、目下4分の1ほど読んでであるが、その通り!、っていう箇所がごくたまにあって、わたしの思っていたことは、的外れではないな。とグッとくるのだ。 そんなこんなで、今日からソイツを読み出したのだが、まずはすっ飛ばしながら、拾い読みしてわかるところを読んでいく、ときどき「異議なし」とか「異議あり」とか、「わかんねえ」と思いながら、なんとか最後まで行こうかなと思っている。 しかし、厚い本である。 こんな厚い本を手にしたのは、あの素晴らしい一書『薔薇の名前』以来か、いやいや、『ハリー・ポッター』も結構厚かった。これらの本はすばらしくわたしをうっとりさせてくれたけど、今回の本はちょっとした苦行である。そこそこ頑張ろうっと。 今日送られてきた総合誌「俳句」2月号で知ったのであるが、俳人の遠藤若狭男氏が亡くなられた。 昨年の12月16日逝去とある。 頭を殴られたよう。 昨年お目にかかってとても嬉しそうにいろいろとお話くださったばかりのような気がしていたので、信じられずしばし呆然としてしまった。奥さまで歌人でおられる大谷和子さまにお電話をしたところ、10月頃から体調をくずされ、11月にはほどんど寝たきりとなられてしまったということであった。新聞に訃報が出たらしいのだが、不覚にも見落としてしまった。ご葬儀にも伺えず無礼をお詫びしたのだった。 ![]() 奥さまがおっしゃるには、現代俳句文庫81『遠藤若狭男句集』(2016年刊)を刊行しておいて良かったということ。 「あの句集一冊あれば、これまでの精選が読めますし、ハンディで人にも差し上げられて」とおっしゃって下さった。 実はわたしは遠藤若狭男氏の第1句集『神話』(牧羊社1986年刊)を編集担当している。処女句集シリーズの一環として刊行されたのだった。本づくりに興味がおありで、『神話』の特装版をおつくりしたことを覚えている。若いときは小説家志望でおられたこともその時に伺った。「遠藤若狭男句集」で解説を寄せられた伊藤伊那男氏は、この『神話』に触れて、句集の特徴のひとつとしてまず、「小説的技法を駆使して、物語性・寓話性・完結性のある作品が多いこと」をあげておられる。福井県敦賀市のお生まれで、2015年「若狭」を主宰、いま手元には「若狭」11月号がある。 生きて生きて十一月の風立ちぬ 病臥より力を振りしぼって詠まれた一句かもしれない。 以下、『遠藤若狭男句集』より。 ひかりとは風に乗る初蝶のこと 紅梅の数を尽くせし暗さかな 首拭ひくちびる拭ひ薬喰 白地着てわが胸の辺の翳りかな 葬列の映りて蝌蚪の騒ぎ出す わが影に母入れてゆく墓参り 鮟鱇の凍てざる腸(わた)を掴み出す 秋風にさめざる母の骨拾ふ 妻の声薫風となる橋半ば われが癌とはすさまじく生くるべし われ去ればわれゐずなりぬ冬景色 凍蝶の花にならむと石の上 ご冥福をこころよりお祈り申しあげます。 おなじ「俳句」2月号のグラビアに深見けん二先生がおられる。 すこし前に深見先生から伺っていたので、「俳句」を手にしたときさっそく拝見した。 「あらあ、晴れやかないいお顔!」って叫んでしまった。 すぐに深見先生にお電話をした。 先生の声も弾んでおられる。 奥さまの龍子夫人ともお話した。 「わたくしのことも編集後記にちょっと書いていただいているんですのよ」とおっしゃる。 さっそく拝見。 律儀な深見先生をリラックスさせようと奥さまがちょっとチャチャをいれる様子が伝わってきておかしい。 ともかくも晴れやかなお顔を拝見してわたしも嬉しくなったのである。。。。 今日はお客さまがひとり見えられた。 八王子からのお客さまである。 第1句集シリーズにご参加くださる「泉」(藤本美和子主宰)の小橋信子さん。 句稿を持ってご来社くださった。 小橋さんは、石田勝彦先生の俳句教室に入ってより俳句をはじめられたということ。 「石田先生からだったのですか」とわたしは感慨深い。 「そうなのです。だから、こちらで出しているふらんす堂文庫の句集を勝彦先生からずいぶんいただきました」 「そうだったのですか。石田勝彦先生は、ずいぶんふらんす堂文庫を買ってくださいました。そもそも、久保田万太郎や高野素十は、石田先生が是非出すといいよって強くすすめられて、刊行したのです。ふらんす堂をわたしが始めた時からずっと亡くなるまで応援してくださったお方なのです」とわたしは懐かしくなって申し上げたのだった。 石田勝彦、綾部仁喜、「泉」を主宰されたふたりの俳人はすでにこの世にいない。 それでもそういう方を知っている方にお会いするとわたしはとても懐かしく嬉しくなってしまう。 「お二人とも俳句の指導は厳しかったのではないですか」と申し上げると、 「タイプは全然ちがいますけど、厳しかったですねえ」と小橋さん。 「藤本美和子主宰も厳しいでしょう」と更に申し上げると、 「ええ、ええ、とっても厳しいです」と笑っておっしゃったのだった。 厳しい指導をする結社が少なくなっている今日、わたしは「泉」という結社をとても信頼している。 小橋信子さん。 句集名は、いくつか用意されてきたが、担当のPさんと話しあって、「火の匂ひ」と決まった。 「いいですね、火の匂ひ。」 厳しい指導に鍛えられて来た方らしい句集名だと、とっさに思ったのだった。。
by fragie777
| 2019-01-24 19:12
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