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1月16日(水) 雉始雊(きじはじめてなく) 藪入り 旧暦12月11日
ベトナム、ホーチミンのサイゴン大教会。19世紀末に建てられた赤レンガ造りの教会。正式名称は、聖母マリア教会。 美しいカトリック教会だが、目下工事中ということで、中をみることはできなかった。 このすぐ傍にあの中央郵便局の建物がある。 昼寝する足。これは女性の足。 こういう風景を通りのあちこちで見かけた。 新刊紹介をしたい。 四六判フランス装カバー装 148頁 白のシリーズ 中田尚子(なかた・なおこ)さんの第2句集である。中田尚子さんは、昭和31年(1956)東京生まれ、昭和54年(1979)「濱」入会、平成6年(1984)「濱」退会、「百鳥」入会、平成22年(2010)「百鳥」退会。平成24年(2012)同人誌「絵空」を4人で創刊。平成15年(2003)第1句集『主審の笛』で第27回俳人協会新人賞を受賞している。俳人協会幹事、日本文藝家協会会員。本句集は、平成23年から30年までの作品とそれ以前のものを加えて収録。 本句集名について、「あとがき」に書かれているところを紹介したい。 二十四年秋、山崎祐子、茅根知子、土肥あき子と共に同人誌「絵空」を創刊した。以来、福島県いわき市に吟行を重ねている。初めて訪れたのは、東日本大震災の翌年。深い傷跡を眼前にした。しかし、いわきは立ち上がる。私たちは、六年間いわきを歩き、食し、泊り、詠み、その都度この地からエネルギーを享受してきた。何度も乗った磐越東線。運転席の後ろに座ると、体中に汽笛が響く。初めは哀しみに満ちていると思えた音が、今は力強く聞こえる。「汽笛一声耕人を呼ぶやうに」句集名はここから採った。 中田尚子さんは、「あとがき」によると一昨年定年退職をされたが、それまでずっと教職におられた。つまり学校の先生をされていたのだが、句集を読んでいくとそのことがおのずと分かってくる。 明日からは誰かの机春時雨 卒業と入学の間の教室におかれた机って、人間におけるモラトリアムの時期のようにそこにむなしくあるだけで所在がない。新しく生徒がやってきて、ふたたび誰かのものとなることによって机は息を吹き返す。机はそうやって歳月を重ねていく。そしていずれは朽ち果てていく。ああ、むなしい、って机はつぶやくことがあるのかしらん。教室の窓を春の時雨がやさしく濡らしていく。 いぢめつ子瀨尾君の行く夏野かな この句も好きな句である。瀨尾君は「いぢめつ子」である。本人は意識しているのだろうか。多分していると思う。中田尚子先生はそんな瀨尾君をどう思っているのだろう。(あらら、また瀨尾君が誰かをいじめている、困ったもんだわ)そんな感じの「いぢめつ子」なんだと思う。多分、集団で一人をいじめ追いやるようないわゆる陰湿ないじめとは違う「いぢめつ子」なんだろう。つまり先生の眼からもどうどうとしている「いぢめつ子」だ。そんな瀨尾君がひとり夏野を行く。夏野は草が丈高く生い茂り、身体にあたると痛いくらいだ。日差しだってガンガンである。「いぢめつ子」瀨尾君にはぴったりだ。彼は強気だ。ピシパシと頬を打ってくる夏草を手でかき分け、ぐんぐんと行く。そんな瀨尾君の背中を見る中田先生の視線はやわらかく、あたたかい。 忽然と折れたるチョーク日の盛 本句集の最初におかれた一句である。なかなかドラマチック仕立てである。黒板に何か書いているときにバキッとチョークが折れた。あまりにないことかもしれない。ちょっと呆然としてしまい、悪い予兆のようで気持ちがぐらつく。「日の盛」が、さらにその気持ちに追い打ちをかけるようだ。「忽然と」に計り知れない驚きがある。そんなドラマチックな一句を最初にもってきたことになにか意味があるのだろうか。あえてその折れたチョークからこの句集をはじめたい、そんな気持ちがあるのだろうか。そうであるならばわたしはそこに中田尚子さんの不屈の精神を見る。あっぱれとも。 ほかに、 冬草や一年生はいつも駈け 難しき顔に戻れる焼芋屋 網棚に投げ入るる冬帽子かな ぐんぐんと雨吸ふ大地卒業す 端居して夢見る頃のやうにあり 俯いて少し老いけり濁り酒 綿虫と呟く少し打ち解くる 手から手へ流れてゆきぬ大熊手 数へ日や教室に陽のゆきわたる まだ誰も知らぬ決心朴の花 学問に哀しみあり椎の花 新米を盛るや死者にも生者にも 黒板の冷たさを背に立ちにけり 青蘆の中であらうと追つてゆく この一句も一途な著者の姿が見えてくる一句だ。青蘆は夏の季語。3メートル近くにまで伸びるものもあるらしい。遠くでで見ている分には、涼感もあって清々しいかもしれないが、そば近くまでいくとなにやら恐ろしささえある。ましてやわたしなどからっきし意気地なしなので、青蘆の中まで踏み込もうなんて思わない。いかし、追っていくんですって。何を追っていくのか、あるいは誰を追っていくのか、一句では語られていないが、青蘆なるものがよく見えて来る句だ。いや、ひょっとするとこれは鳥が鳥をおいかけていく景を詠んだのかもしれないが、それをこう詠む作者は、やはりその追う姿に自身を重ねているのだ、とわたしは思う。 本句集は白のシリーズの一環として刊行された。 装幀は和兎さん。 ブルーは著者のご希望の色だった。 明るい方のブルーを中田さんは選ばれた。 天アンカットで。 汽笛一声耕人を呼ぶやうに 今を大事に、これからも俳句を詠み続けるほかはない。 「あとがき」より。 冬の水子どものこゑの転がり来 厳冬のぴんと張りつめた空気感が伝わってくる一句だ。冬の水は硬い。「こゑが転がり」というのがまさに冬ならではだ。しかも、子どもの声だからこそ。鏡のような水がみえ、緊張した空気を感じ、よく響く声が聞こえる。感覚が研ぎ澄まされる冬の句である。 午後にお客さまがひとり見えられた。 俳誌「沖」(能村研三主宰)に所属する佐々木よし子さん。 今はじめての句集の編集をすすめている方である。 今日は、装幀と造本をお決めに、なんと浦安からお出でになられた。 「遠かったのでは」と伺うと、 「そうでもないんですよ。わたし出かけるの好きだから」と楽しそうである。 40年間、住宅関係の会社につとめ定年退職をされてからはじめられた俳句である。 「会社を退職した時は、ゴルフに夢中になっていたんですよ。それがいつの間にかこうして俳句をつくるようになって」と、能村研三主宰との出会いなどを語ってくださった。 「研三先生が、そろそろ句集をとおっしゃって下さらなかったなら、句集をつくる気持ちにならなかったかもしれません」と佐々木よし子さん。 造本はフランス装カバー装のものをお選びになられたのだった。 打ち合わせがすんで、「武者小路実篤公園」のことを申し上げたら「そこに行ってみたいわ」と、向かわれたのだった。 愛猫のヤマトが昨夜より元気がない。 昨夜、たくさんのものを口から吐いた。 猫はものをよく吐くのでそれ自体は心配しなかったが、 しかしそのあとも元気がない。 ちょっと気になっている。 さ、 早く帰って様子を見よう。
by fragie777
| 2019-01-16 19:55
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