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1月11日(金) 水泉動(しみずあたたかをふくむ) 鏡開き 旧暦12月7日
ホーチミンの歴史博物館の犬の石像。 12世紀から13世紀のもの。 俳人の中原道夫さんといますすめている句集のことで昨日電話でちょっとお話をしたのだが、中原さん一家もベトナムでお正月を過ごされたとのこと。中原さんは二度目でフエを訪れたらしい。ホーチミンは一度目に行ったということだった。 「フエに行かれたの? 良いところでしょう? わたしも次に行きたいとおもってるのよ」と言うと、 「うん、良いとこだった。ハノイから入ったんだけど寒いよ。ダウン着てたからね」 「ええ、そうなの! ホーチミンは夏、29度あったし…」 「ホーチミンはそうだよね。でもベトナムって縦に長い国だから緯度が全然違うんだよね。だからダウンだよ」 そうなのか。。。。 知らなかった。 だとすると、バイクで暮らす男たち(?)は、ホーチミンならではのことなのか。 あの長閑さは、ホーチミン特有のものなのかもしれない。 ベトナム最後の王朝があったフエ。古都の風情がただようフエ。 行ってみたいところである。 新刊紹介をしたい。 四六判薄表紙ハードカバー装 176頁 著者の山崎彩(やまざき・あや)さんは、1940年大阪生まれ、現在は所沢市在住。2002年「炎環」入会、石寒太に師事、2007年「炎環」同人。2011年に合同句集『花冠』(炎環叢書)に参加されている。 本句集は第一句集であり、炎環主宰の石寒太氏が序文を寄せている。タイトルは「ペリドットから梟まで」。 本句集は編年体に構成されてはいない。19項目に分けて構成されており、どれも著者の明確な意図によるものである。句集のタイトル「ペリドット」についても、「あとがき」に書かれていることをまず紹介したい。 題名の「ペリドット」とは、地下深部から噴き上げた、造岩鉱物の橄欖石のことです。しかし、星が太陽にぶつかって燃える時、雫となって地球に落ちる隕石を含むものもあるようです。原石はオリビンと言い、古代から珍重されていたようです。ペリドットとはオリビンの宝石名です。そのグリーンの宝石の美しさに惹かれ、句集名にしました。 美しい碧の宝石「ペリドット」。 ホーキング逝く星のしづくのペリドット という一句が収録されている。 石寒太主宰の序文を紹介したい。 蛇穴に入るみづうみの乱反射 晩年や葱一本をひかりとす すずなすずしろノックしてゐる胎児 『吾輩は猫』を喰ひけりきらら虫 パントマイムプラハの秋を刻みけり 蛇穴に入る生意気な喉仏 体内に水溜りあり蝌蚪生るる なにもいらないさくさくらちるさくら みんみんのみんの口火の切られけり 蟻蟻蟻黒黒黒黒リクルート 生きてゐるあかしの一句烏瓜 松明けのはらわた句苦と哭きにけり 彩さんは伝統的な俳句の季語とはちがった、自分の新しい季節感を生み出している。それは従来の俳句の季語にはすべてとらわれない、自由奔放な季語の効果、その中に自分の身をどっぷりと置いている。わざとそうしているのではなく、彩さんにとっては、それがごく普通の彩流なのである。 この句集がユニークなのは、他にもある。たとえば、カバの連作・草間彌生への連作・蛍の連作、能、沖縄、海外詠。特にシルクロードなどにも意欲的に挑戦しつづけている。それが成功しているか否かは別として、このあくなき挑戦こそが彼女の俳句のエネルギー源といってもいい。 石寒太氏が触れているように、この句集の終わりの部分「春の雷」「いのち」と題された章は、今は亡き夫の癌の発症から死、そして残された著者の思いが連句として詠まれている。「どの句も胸を打つ。本句集の絶唱である。」と石寒太氏は記す。連句形式であるので全部を紹介したいところであるが、あえて抜粋して少し紹介したい。切り取って紹介するのは申し訳ないと思うが。 逃げ水を追ひし一世や化ゖ学者 花あかり白湯飲みくだす喉仏 春の雷先逝くことを詫びらるる 清拭のタオルを熱くおぼろ闇 櫻東風力自慢の骨拾ふ さくらの実言霊ひろふわが時間 わが鱗はがれゆくなり花吹雪 こゑ出さぬひと日過ぎをり余花の雨 ふらここを漕いでそちらへ行けますか 壺へあぢさゐ余震のやうに寂 死は生の焰のつづき小望月 人はみなひとりにもどりかいつぶり 山崎彩さんは、夫の死後半年後に句のメモをみつける。 命いとし妻もいとしや春疾風 博史 亡くなる三日前につくった句であったということである。 後半に置かれたこれらの作品を作ることによって著者は嘆き哀しみ死者に呼びかけ鎮魂しやがて甦生していく、わたしたち読者はその一人の人間の心の軌跡を目の当たりにするのだ。 俳句という小さな詩の器の力である。 本句集の担当はPさん。 人とはぐれし花冷えの尾骶骨 すずなすずしろノックしてゐる胎児 初てふてふタイマーの螺子巻きなほす 女正月悪玉コレステロール増ゆ 晩年や葱一本をひかりとす 体内に水溜りあり蝌蚪生るる 晩年や葱一本をひかりとす 「葱」とは不思議な食材であると思う。あの白の輝き、泥まみれになって地上から生まれるのであるが、泥を洗い流すと清浄無垢といってよいような白の肌があらわれる。その白さは大根の白や蕪の白さともちがって一条の光りがつらぬいている。その葱の神々しさ(?)は、食い気が盛んな若い頃にはなかなか気づかないのではないだろうか。晩年という意識をもつ年齢となると葱のその白さはひときわ尊いものに思えてくる。まっすぐに葱一本につらぬく光り。それがほんの身近なところに転がっているものであるから、いっそう素敵だ。わたしはこのブログでずっと前から書いているように葱派である。野菜のなかで「葱」が一番好き。だからこの句、よくわかる。ああ、だけどPさんは若いのにわかるのかなあ。。 体内に水溜りあり蝌蚪生るる この句もなんか不思議。人間の身体をしめる水の割合は多いと聞いているので、気がつかなくてもわたしたちの体内にはきっと水溜まりがあると思う。しかし、何故に蝌蚪生るるなのか。蝌蚪は水の中に生まれるものだからといって、蝌蚪が体内の水溜まりに生まれたっていうんじゃないよね、しかし、体内の水と蝌蚪が生まれる水がどこかでひびき合っている。その着想がおもしろい。水の中の蝌蚪を見ているときに、山崎彩さんの体内の水が動いたのかもしれない。ああ、今思ったのだけれど、この体内の水の温度と蝌蚪が生まれる温度が同じくらいだったりして。。。命が生まれる温度ってあるかもしれない。 遠雷やたんとほめられひもじけれ これはわたしが面白いと思った句。「遠雷」は夏の季語。この句の「ひもじけれ」がぐっと胸に突き刺さった。「たんとほめられ」たんだからさぞ満足でしょう、と言いたいところだが、いやいや「ひもじい」とは。。。これはもっとほめられたいということのひもじさでは当然なくて、ほめられてもほめられても、充足することのない、いやほめられることそのことがかえってひもじさを増してしまうという、人の心のどうしようもない虚無に触れている。そのなんとも言いようのない飢餓感のようなものを抱いている身体に、遠くの方でなっている「雷」がかすかに響いてくる。するとさらにその飢餓感は意識されてしまう。「たんとほめられ」たことのないyamaokaであるが、すごくよくわかる一句である。 「炎環」に入会して石寒太先生の指導を受けるようになり、早や、十五年が過ぎました。 このたび、寒太先生のおすすめと、「石神井句会」の皆様の後押しをいただき、今までの俳句をまとめることに致しました。 私は長い間、専業主婦として家族のために過ごしてきました。が、子供たちも自立した後、自己確認のできるものを求めるようになりました。そんな時、俳句という最短詩に出会い、創作の楽しさと、座の出会いに魅せられました。(略) なお、私事ではありますが、昨年(二〇一七年三月)、夫を亡くして大きな喪失感のなかにおりました。その悲しみを癒すためにも、句集を編む作業は大切な時間だったと気づかされています。(略) いま、俳句の力の大きさを改めて痛感しています。俳句に癒され、俳句に励まされ、大きな節目を乗り越えることができました。 これからも俳句と共に歩んでいきたいと思っています。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ほかに、 絨毯紡ぐ春夕焼のをんなの子 直角に曲がる白足袋雁渡し 秋の風鰊番屋にいち早く 黒髪に磁力のありし大南風 水玉のオブジェ蛙の目借時 かの人と思ふほたるへ息合はす 天の川女装をのこの太きこゑ 本句集の装幀は和兎さん。 著者のご希望はすっきりとしたもの。和兎さんは星座を意識したということ。 光沢のある用紙をカバーに。 表紙は色鮮やかな碧。 夜の眼鏡かけ梟になつてをり これから、山崎彩さんの俳句がどう展開していくのか。この句集のあとが、本当に楽しみである。 ふたたび序分より。 万緑へ眠らせておく樫の樽 本句集のなかでは、たいへんさり気ない句である。「樫の樽」は、ウイスキー、ブランデー、ワイン、シェリー酒などを寝かせておく樽のことである。この句「万緑」がとても良いと思った。だって「万緑」に眠らせておいたお酒なんてすんごく美味しそうじゃない。もうそれだけでこの一句は好き。本句集は「フラクタル」と題された章の海外詠のひとつ。海外詠でなくても通る一句だ。 「万緑」はこの句集の碧とも響き合っている。 いま、家の冷蔵庫にはガバ(スペイン産スパークリングワイン)が冷やしてある。ああ、早く帰って飲もうっと。
by fragie777
| 2019-01-11 20:43
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