カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
12月29日(日) 旧暦11月23日
きれいに刈り込まれたご近所の椿。 こういう咲かせ方もあるんだ。。。 今朝は歩いて出社。 いざでかけようとしたら、家の前に落葉がすごい。 この落葉はどうごまかそうと思ってもごまかせないわが家のえごの木の落葉である。 う~む。。 このまま行っちまうか。 一瞬そう思ったが、やはり掃いてから行くことにした。 わたしが門の前を掃くなどという姿はきわめて珍しい。 こういう時にこそ、ご近所から誰か出てきてわたしの働く姿を目にとめてくれないかしら、とキョロキョロしたが、誰も姿を見せない。 仕方がないから、アッピールはおしまいにして仕事場に向かったのだった。 夕方まで仕事。 で、 これから新刊紹介をします。 四六判薄表紙カバー装 156頁 3句組 俳人・中井洋子(なかい・ようこ)さんの第2句集である。中井洋子さんは、1941年栃木県生まれ、栃木市在住。1960年頃俳人・石田よし宏のすすめで俳句をはじめる。1985年「風」「鷹」を経て「小熊座」入会。1986年「小熊座」同人、2000年「地祷圏」創刊同人。第九回小熊座賞を受賞。栃木県現代俳句協会副会長兼幹事長、栃木県俳句作家協会会員、日本現代詩歌文学館振興会評議員。本句集は第1句集『十二時」に次ぐ第2句集となる。跋文を「小熊座」の高野ムツオ主宰が寄せている。タイトルは「詩魂のありか」。 抜粋して紹介したい。 『十二時』以後、三十年の句業をまとめたのが本集である。珠玉の精選といっていい。 中井洋子の俳句の本領は、増山美島がすでに指摘していた通り、その発想の柔軟さと感覚の鋭さにある。たとえば、 プール出て水の光に寄りかかる という句。「水の光」だからプールの反射光だろうか。シャワーの水の光でもいい。泳いだあとの心地よい倦怠を伴った肉体が光と同化している。 シリウスに耳がもつとも繫がりぬ 冬空のシリウスを見つめながら、シリウスと会話しているという句である。「繫がりぬ」が見えない糸電話を想像させる。シリウスは地球に近い恒星で光度も大きく全天でもっとも輝く星の一つだ。それでも距離は約八・六光年、想像を超える遠さだ。その星と直接繫がっていると断定する大胆さ。そして、そう納得させてしまう力技と方法が中井洋子なのである。 この世にて足るものの無し月夜茸 自転車に虹の空気を入れてやる などたくさんの句をあげながら、「死生観の意識の色の濃さ」や「諧謔性」などにも触れている。「連衆」の系譜として同じ栃木の俳人だった栗林千津をとりあげ、「中井洋子のたくましい詩魂はその血の一筋ゆえなのではないか。」と記している。 本句集の担当は、文己さんである。 ああ、そう言えば、文己さんも栃木出身だった。。。 春灯やいとしきもののおそろしき 旅ゆくは春田を見るためだつたのか少年の歩けば歩くほど風花 ががんぼが朝の空気を歩きをり ゆくゆくは重なる線に蛍の火 雪の夜の五臓は清くつながりて 豆の花夜中は星になつてゐる 油蝉死んだふりして死んでゆく この蝶や名を聞きたくてついて行く 夢を見しころの服なる案山子かな 炎天をこの象駆けてみたいのだ 大芋虫この世の音を立ててみよ 囀りを容れてまるまる四百字 人工知能も団扇もあなどれぬ 文己さんは、「渡良瀬、両毛線、女体山など栃木のことがたくさん出てきて親しみやすい句が多かったです!」と言うことである。 春灯やいとしきもののおそろしき この一句、感覚的な一句だ。分かるような気がするが、ちょっと漠然としている。春灯ゆえにそれでいいのかもしれない。しかし、問いたい。いとしきものとは何か。いまふっと思ったのがたとえば「いとしきもの」としての赤子の笑い顔なんてどうだろう。春の朧夜に赤子があんぐりと口を開けて笑った、意味もなく笑う赤子をふとおそろしいと思った。というのはわかる。秋でも夏でも冬でもない、やはり大気がすこし緩んできたそんな時の春の宵の赤子の笑顔、大人の人間もどこか弛緩して油断している。ふとあなたの後で赤子が意味もなく不気味に笑っているかもしれなくてよ。おお、コワ! 人工知能も団扇もあなどれぬ この句も面白い。高野ムツオさん言うところの「諧謔性」がある。「人口知能」と「団扇」を対比させるなんていったい誰が思うだろうか。それは「太陽光パネル付きモバイルバッテリー」と「鯥五郎」をはるかに凌駕して凄い。人工知能(AI)のこの世への席巻はそれはもうすさまじいものであり、21世紀はAIと人間とが美しく共存していく時代になっていくだろうし、そうであって欲しい、しかし、である。あのパタパタと仰いで涼しい風を手動でおこす「団扇」の存在を絶対人間は忘れてはいけないのである。あのシンプルな動きからいともたやすく起こる風、風の起源は明解である。パタパタで風が生まれる。なんと素晴らしいか。この一句、21世紀を生きるわたしたちは胆に銘じておこう。 本書は『十二時』に次ぐ第二句集です。「小熊座」に入会してから平成二十九年までの三十年余りの作より七六〇句を自選し、高野ムツオ先生のご選を経て三七九句を収録しました。(略) この頃は、風景の在りようや物の存在を可愛く思うようになり、その愛しさを表現する言葉もまた可愛く試行錯誤していますが、そのなかで独りよがりという陥穽にも気付かされています。この点はムツオ先生のご指導や句連衆の評に頼らねばと思っております。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ほかに、 半島に齢の日焼重ねゐる 四五人の頭がふさぐ夜店かな 三寸の麦へ還りしベレー帽 (鬼房師逝く) 長身のさびしきことも日の盛 楽隊が過ぎ麦秋の中に道 奥まつて舌はありけり油照 人体のどこも先端風光る 春分や水の音より夜に入りぬ 枯れてゆくものを支へに葦枯るる 冬の山から道が出て人が出る 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 囀がまるい器になつてゐる 句集名となった一句である。 丸背である。 帯をはずすと。 タイトルは金箔。 扉。 花布と栞紐。 枇杷むくとたちまちにして灯の昭和 言葉を五七五の空間に自分の感覚のみを頼りにできるだけ遠方へと放つ、そして、その言葉と互いに引っ張り合う。その緊張感の中に新しい世界を創造する。 高野ムツオ「跋」より。 物音のひとつでありし黒揚羽 この句、音だけで黒揚羽の物質感のようなものをとらえた。黒揚羽のやや気持ちの悪い存在感が見えてくる。風を過ぎった音なのか、あるいは無風のところに現れた黒揚羽がたてたかすかな音なのか、表現に工夫があって下五に黒揚羽をすえたことでいっそう黒揚羽の不気味さのようなものがみえてきた。あの黒々とした重そうな翅とそれを支える身体と細く長い触角を持つ物体のような生きものが、生存の暗く重たい音を発したのだ。 今日は机の上を午後四時以降になってすこし整理した。なんせ、山崩れ起こしそうなほど本が積まれている。そしてわたしの背後の棚にも本が折れ線グラフのようにあっちゃこっちゃして積まれている。 明日はそれらと抽出を整理したい。 抽出は14から15個くらいあってどれも混沌を極めているが、ともかくよく開ける引き出し3個は絶対整理する。そのあと時間があったらお正月のための買い出しかなあ。 仕事場はたいへん静かであるが、ひとたびドアーをあけて商店街におりればそれはもう師走の風が吹きまくっていて、肩をおされるように歩きだすしかない。みな一目散の顔をしている。 わたしも人並みの顔つきをして歩きだすのである。
by fragie777
| 2018-12-29 19:46
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||